第3話 妹
フレイ・ブレンネンの妹であるイオ・ブレンネンが生まれたのはフレイの三年あとの出来事だった。
彼女のことを端的に表すのなら『天才』まさにこれに尽きる。彼女はブレンネン家が欲してやまなかった炎熱系魔術に最適な魔力特性『熱い魔力』を持って生まれたのである。
生まれて初めて目を開いたその瞬間、その場に居合わせた誰もが息を呑んだ。父母、そして祖父含めて誰よりも燃えるような深紅の瞳をしていたのだ。
その眼を見た瞬間、あまりの美しさに涙を流す者さえいた。そして魔力鑑定を受け正式に『熱い魔力』の持ち主であると判明すると家はまさにお祭り騒ぎと言わんばかりの浮かれ具合で、その影響は領地の村々にも届き、領地を上げて盛大にお祝いが開かれた。
当然誰しもすでに生まれていたフレイのことなど気にも留めず、まるで存在していなかったかのようにイオをブレンネン家の正式な後継者として扱っていた。
家中すべてのものから大切に扱われるイオと反対に、誰からも相手にされないフレイ。フレイは生まれてから父の笑顔を見たことがなかったが、イオに対して満面の笑みを浮かべていたのをみて驚いた記憶がある。
フレイはそんなイオに対して当初は大嫌いだった。それはイオが周囲から愛され、認められて育っていったからではなく、フレイにとって最も大切だった人母ターリアを奪ったからだ。
ターリアはイオを産むころには、自分で起き上がることさえ困難なほどに弱っていた。そんな状態で子を産めばどうなるかなど、わかっていたはずだが、ターリアは産むことを決してやめることはなかった。
それからターリアはイオを産むと同時に息を引き取ってしまう。もし生きていれば手のひらを返したブレンネン家の扱いを受け、これまでよりは幸せに生きることができたはずだが、その恩恵を受けることはないままこの世を去ってしまった。
幼いながらもフレイは妹を産んだせいで母はいなくなってしまったということを理解しており、自分から母を奪った直接的な原因であるイオのことが大嫌いだった。
それが少しづつだが変わるきっかけとなったのはフレイ六歳、イオが三歳の頃である。
次期当主としてあらゆる期待をされていたイオは物心つく頃から徹底的に教育を施されていた。それは学問や教養だけでなく魔術に関する知識など古今東西あらゆる事柄について叩き込まれていた。
そんな
それが破られたのはイオが偶然家を抜け出して近隣の森へ出かけた時のこと。イオが失踪したとその時のブレンネン家は蒼白となり家中を探し回った。
だがどんなに探してもイオのことを見つけることはできず、一日が経とうとしたその時、涙を浮かべるイオの手を連れて、体中擦り傷まみれにしたフレイがブレンネン家に戻ってきたのだった。
この時からというものイオは何をするにもフレイの後をつけて歩くようになり、これ以上引きはがすのは不可能だと考えた父は接触禁止令を解いたのだった。
しかしこの時のフレイはまだイオに対する嫌悪感というものは拭えていなかった。あれから年月が経ち、母を奪った原因として憎いという感情は薄まっていたものの、やはり産まれてこなければという感情は残っていた。
だがイオが生まれたことで一族の注目がすべて妹の方に向いたため、完全無関心となったフレイは邪険に扱われるよりは何倍もマシであると考え、イオが生まれたことによる恩恵を受けていたことも事実だった。
そのためフレイはまるで小鳥のように自分の後ろをついてくるイオのことをどう扱っていいのかわからないまま一か月が経っていた。
その頃になると『にいさまといっしょじゃなきゃいや』とあらゆる勉学を拒むようになっていた。父もフレイを同席させるだけでイオの機嫌が取れるなら……と、イオの勉学にフレイも付き合わせることになる。
すると当然同席しているフレイもイオの高等教育のおこぼれを預かることができた。それは自主学習やコルマンの教えだけでは到底享受することができない教育で、学ぶことが嫌いではないフレイもまんざらではなかった。
それが最も顕著に表れていたのは魔術に関する教育だった。史上最高の魔力特性を持つイオのために、父と祖父は、父の兄である男を指導者として用意していた。
その教えはフレイにとって非常に有益なもので、そこで始めてフレイは魔術の薫陶を受けることができた。
しかしイオに魔術を教え始めてしばらく経った後新たな事実が浮上した。
それはイオが魔術を使う素養がほとんどないということ。魔力自体は史上最高のものを持っているがそれを引き出して使う才能がほとんどといっていいほどない。
しかし反対に兄のフレイはめきめきと魔術師としての才能を発揮させていく。
これには一族も頭を悩ませ、緊急会議が行われるほどだった。
これまでイオに対してありとあらゆる教育を施してきたのは、引いては優秀な魔術師として宮廷魔術師として育て上げることである。
にもかかわらず魔術の素養がないというのは、本末転倒もいいところでこれまでの手間と労力をすべて無駄にするようなものであった。
フレイはこれまでイオに対してあらゆる面で劣等感のようなものを感じていたが、こと魔術に関してはイオの何倍も先を行くことができたので優越感に浸っていた。それから数日後、フレイは日課としてその日ならった魔術の復習をするために夜遅くまで起きて魔術の練習をしていた。
『火を起こす練習』それは、幼い頃から一族から認められることなく育ったフレイなりの悪あがき。後になって振り返ればあまりにも無意味な努力でしかないが、この時のフレイは火を起こせれば認めれもらえるんだと幼いながらに淡い幻想を抱いていた。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
部屋の窓を閉め切って床に座り込む。貴族の嫡男が住むにはあまりにも狭すぎる自室。元々物置だった部屋の荷物を移動させて急拵えで造った部屋だ。しかしフレイにとってはそれが我が城のように落ち着くものだった。
眼前には二本のろうそく。片方には火が灯り、片方には火は灯っていない。講師から教わっているのは魔術の基本、魔力運用の仕方だ。
“体内にある魔力炉を励起させ、魔力を生み出す。その魔力を魔力回路に流し身体中を巡らせる。”これが魔力運用の基礎である。フレイはさらにその先、魔力回路を通して魔術式に流し込み魔術効果を出現させる段階まで進んでいた。
フレイの全身を“碧色の魔力”が包み込む。その魔力を脳内にある魔術式に流し込み魔術を起動させる。それは手から火を生み出す魔術。
魔術式の構築ができている、魔力も流しこんだ、あとは魔術を起動させるだけ──。
「ふッ!!」
……しかし、結果は手から迸る炎が出るとは真逆の結果。手からはコップ一杯分の水が勢いよく飛び出しろうそくの火をかき消してしまった。とたんに部屋は真っ暗になる。
「はぁ……」
何度やったかわからない。いつもの結果だった。これを予期していたからこそ、フレイは予備のろうそくに火を灯し、用意していた布巾とバケツで水を回収した。だがこの日の夜の結果はいつもとは少しだけ、違っていた。
とん、とん、とん、と。弱々しくだが確かに扉を叩く音がした。
「! ……誰だ?」
突然のことで体が硬直したが、冷静を装って扉の向こうに聞き返した。一族から疎まれている自分を訪ねてくる者はほとんどいなかった。コルマンがたまに来ることはあったが、こんな夜中に来ることはなかった。
「……誰だ、答えないと……」
「あの、兄、さん……わたしです」
「……イオ?」
訪ねてきたのは妹のイオ、フレイからすれば予想外もいいところだ。第一こんな自分に何の用があるのか、普段特に会話をしたことはなかったはずだが。
「こんな遅くになんの用だよ」
「えっと……その……兄さんにおしえてほしくて……」
「教えるって何を」
「まじゅつ、です」
「はぁ!?」
魔術を教えてほしい、そのイオの言葉に対して反射的に浮かんだのは“俺の優位性がなくなる”こと。現状フレイがイオに対して唯一進んでいるのは魔術師の才能のみ。それすら妹に奪われてしまったらフレイはほんとうに用済みとなってしまい──。
「嫌だ。叔父さんに教えてもらえよ」
「やだ……あのひと、こわいから」
「怖い? そんな怖くないだろ」
「やだ、こわい」
フレイからすれば叔父が怖いというイオの言い分はよく分からなかった。確かに火を扱えないフレイに対しての当たりはキツいところはあったが、魔術を教える者としては至極真っ当で、教えも的確だと思っていた。そこまで怖いという印象はなかった。
「兄さん、おねがい……」
「無理なものは無理だね。わかったらさっさと寝な──」
「じゃあ、かあさまのおはなし、きかせて?」
「──ッてめ……」
かあさま、母、ターリア。月日が経ち忘れかけていた事実が一瞬のように頭に浮かんできた。母だけはいつも優しく接してくれた、いつも笑顔でおれの話を聞いてくれた。そんな母を俺から奪ったのは、オマエガ──。
つい、声を荒げて手をあげようとした瞬間、イオの顔が目に入る。妹は涙を浮かべて口元を結び、体を硬直させていた。
明らかに“殴られる”とわかっている者の所作であった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「………………チッ、あーもうほら早く部屋に入れよ」
フレイは廊下を見渡して他に人がいないことを確認してからイオの手を握って部屋に連れ込んだ。その際イオの手が震えていたことは今でも鮮明に覚えている。
それからイオをベッドに座らせ、何があったのか聞くとポツポツと事情を話してくれた。
端的に言えばイオは虐待を受けていたのだ、それの主な原因は魔術の講師であった叔父。初めは中々魔術が上達しないイオに対する苛立ちのようなものだった。しかし、それが徐々にエスカレートしていったのだ。今にしてい思えばイオに魔術を使わせることができない叔父に対する、一族からの重圧に対する精神的負荷があったのだろう。とはいえ弱い三歳の幼女にぶつけるのは何があっても間違っている。
しかし父も虐待に関して薄々気付いていたが黙認していた。いち早く魔術を使えるようになるためにはそれぐらいの“荒療治”は不可欠だと考えていたのだろう。だが結果として幼いイオは、やればやるほど萎縮してしまい、魔術が上達しない。それに対して叔父が怒り──の悪循環が形成されてしまっていたのだ。
その中で頼ってきたのがなぜ自分なのかと思いたくはなるが、あの時森で助けたせいかと後悔してしまいそうになる。
「……はぁーーーーー……お前に魔術を教える気はない、けどな母さんの話だったら。してやってもいい」
「……! うん!」
それからというもの、イオは来れる日は毎日フレイの部屋に来るようになった。イオがベッドに座り、フレイが話をする。いつの間にか寝落ちしたイオがフレイのベッドで寝て、夜の逢瀬がバレかけたことがあったので、秘密の邂逅はろうそくが燃え尽きるまでのルールができた。
そんなことが一年ほど続き、いつの間にか兄妹の間にあったギクシャクした確執のようなものはなくなっていた。
「ぐぬぬぬ……」
「だから、お前は硬いんだって。もっと力抜いてやるんだよ」
「それができたら苦労しないの!」
いつの間にか、イオの魔術の面倒をフレイが見るようになっていた。最初はフレイが火を生み出そうとしていた様子をみて自分もと、魔術の自主練を始めたのがきっかけ。しかしあまりにも魔術がうまくいかないイオに対してフレイが口を出すようになり、自然と指導するようになっていた。
「ほら、もっかいだ」
「うん、よーし……」
イオは静かに瞳を閉じて、呼吸を整える。すると胸の辺りから暖かな魔力の光が灯り、やがて全身を暖かい魔力が包み込んだ。ここまでくるのにイオは一年近くかかっていた。初めてできた時はイオ以上にフレイが感動していたぐらいには、教えるのが難航した部分だ。
「そう、そして頭の中で魔術式を構築するんだ。どんな魔術を起こしたいのか想像するんだ」
「……」
イオがゆっくりと手をろうそくに近づける。そして親指と人差し指で、ろうそくの芯を挟み込み、その間に熱を集めるイメージをすれば──。
「あ! ついた!」
ついにイオの指先にはろうそくの火と同じくらいの小さな炎が揺らめいていた。吹けば簡単に消えてしまいそうなほど小さな弱々しい炎だったが、確かにまごうことなき本物の火が灯っていた。これまでフレイがどんなに求めても求めても、手に入らなかった火が、目の前で起こっていた。
「よしっ!! ……あーいや、おめでとう」
「ふふっ、ありがとうございます、兄さん」
ずいぶん素直に称賛の言葉が出た。なんて無粋な考えもすぐに消えてしまうほどに、満面の笑みを浮かべて喜んでいる妹の顔を見て喜んでいる自分に苦笑いをしながら、今夜はろうそくの火がもっと灯っていればいいのに。と思っていた。
水流物語 JULY @Julyknt
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