第4話 師

 フレイがイオと共に伯父から魔術を習い始めた頃の話。フレイは教わったことを自分のものにするために、夜間は自室で特訓を行なっていたが日中は屋敷近くの森で特訓を行っていた。


 “焔の森”。ブレンネン家を取り囲むように生える大木たちは、陽の光を容易に遮る。しかし、森の中は一年中昼のように明るかった。

 その理由が焔の森に生える固有の樹木『可燃樹』である。


 可燃樹は常緑針葉樹の一種であり、その葉が朽ちることはない。高さはゆうに五十メートルを越して育ち、曲がることなくまっすぐ天高く育っていく。まさに杉のような特徴をもっている樹木である。


 しかし一番の特徴はその繁殖方法にある。十分に育ち種子を蒔く段階になると、可燃樹は非常に粘性の高い樹液を木や葉に纏うようになる。そして、周囲の水分を根こそぎ吸収し森全体の空気を乾燥させて自然発火するのを待つ。そしてあるきっかけで樹木に火がつくと、不燃性の軽い種子を一斉に放射する。風に乗りやすい軽い種子は、樹木全体が燃焼する際に発生する上昇気流に乗って大空高く舞い、より遠い場所へと散布されていく。


 可燃樹は、育ちすぎた葉を間引くために燃焼しているや、定期的に燃焼することで、森の下部にも陽光を当てて森全体の代謝を促しているや、森林火災が発生した際にも生き残る生存戦略であるや、燃え尽きた灰が土壌改善の役割を果たしているなど様々な学説が唱えられている。


 そんなこんなで辺り一面可燃樹が聳え立つこの森は、見渡せばどこかしらで木が燃えており、暗いはずの森中でも煌々とした明るさが確保されている。それがコートベールの大森林が“焔の森”と呼ばれる所以である。


 当然ながら、自然発火しやすくするため空気が乾燥して、至る所で火が立っているため森の中の気温は非常に高温で、常人ならば耐えられない。しかしブレンネン家の一族はこの環境に適応し、森の管理者として役割を果たすとともに、森の中に屋敷を建てた。


 ブレンネン家にとっては焔の森が天然の要塞の役割をはたしてくれているのだ。


 だがそれは、ブレンネン家の中でも『炎熱系適正がある魔力』を持つものに限る話。水属性魔術に最適である『流れる魔力』を持ったフレイには適さない環境だった。しかしそれを幼いながらにフレイは克服していた。


「ふぅ……」


 焔の森に足を踏み入れる際に、フレイは魔力炉を励起させた。そのまま魔術式を起動させて、とある魔術を発動させる。

 手のひらから水を生み出し、それを全身にまとっていく。やがて体の表面に薄く伸ばした水を張り付けることで、焔の森の激しい熱気に耐えられるようにしているのだ。


 フレイはこの魔術を《水衣アクア・アウターと名付けていた。

 この魔術を使えるようになってから焔の森での活動範囲や活動時間が飛躍的に伸びた。それまでは、森の浅い場所までしか入れなかったが水衣のおかげで魔力が尽きるまで探索できるようになっていたのだ。


「今日もこの辺で……いいか」


 そしてフレイがわざわざこの場所にやってきたのは……魔術の特訓のためである。日中は焔の森で、夜間は自室で自主訓練をするのがフレイの日課になっていたのだ。最近はイオの魔術訓練のおこぼれを預かれるようにはなっていたが、これまで身に染みた習慣というのは変え難く、今でも時間が空けばこうして一人で特訓しにやってきているのだ。(夜の特別特訓が始まるようになってからイオは前ほどくっついてこなくなったので一人の時間も増えていた)。


 そして何よりこの場所を選んでいるのは、何かを燃やしてしまうことに怯えなくていいからである。火を起こしたことがないため、杞憂であるが。


「ふぅ……、はぁああああああっ!!」


 心を落ち着かせ、自分の魔力に集中する。魔力炉を励起させ、魔力を生み出す。生み出した魔力を練って制御していく感覚。それはまるで巨大な生地をこねるかのように。少しづつ魔力の量を増やしていき、身体から発せられる魔力の波動も大きくなっていく。


 可燃樹が燃える際に発する気流によって焔の森全体は絶えず強い風が吹いている。しかし、今可燃樹由来ではない風が場を噴き始めた。フレイを中心に魔力の波動とともに強い風が吹く。木々を揺らし葉を巻き上げて、地面は響きを伝える。


「もっと……強く……!!」


 ここまでは、これまでも到達したことがある世界。しかし、今日はその先へ――。もっと扱う魔力を増やしていけばいずれきっと――。


 魔力を増やして、増やして、増やして。すでにフレイがまとっている魔力の輝きは可燃樹が燃える輝きにも負けない鮮やかな碧色を放ち、森の中でひときわ目立つ星のような輝きを見せている。


 魔力炉がきしみ、全身の魔力回路が悲鳴を上げているのを感じる。フレイはまだ魔力を練っているだけで、魔力に使い道を示していない。早く解放されたい魔力が体内で暴れようとしているのを必死に抑えている。


「もう少し、待て……あと、ちょっとなんだから」


 体内暴発を迎えそうになる直前、溜まった魔力を魔術式に流し込もうとする。それはこれまで散々挑戦してきた火を出現させる術式。構築は済んでいる。あとはこの術式に魔力を流し込んで――。


「《フレイム》!!」


 それまで押さえつけていた魔力が一気に解放される。溜まりに溜まった魔力たちは、魔術式という行き場を与えられて一目散にそこめがけて雪崩れ込んでいく。だが問題は、術式と魔力が合っていないこと。術式は火を起こすものであるのに、魔力は火を生み出すことに適していない魔力。


 魔術を起動させるのに適さない魔力を無理やり流し込むとどうなるか。

 それは魔術式には流れ込んだが、魔術として成立せず行き場を失った魔力が、体内をめぐる魔術回路に逆流し、その回路内で暴発する。魔力逆流入現象へと発展し――。


「やば――」


 魔力のエネルギーが、逆転して全身を駆け巡る感覚とその言葉を最期にフレイの身体は全身から弾けとび、魔力の爆発によって半径百メートルほどの森が消し飛んだ。


 

 ◆◆◆◆



「……う……あ」


 目が覚めるとフレイは、半円状に抉れている地面の中心に寝ていた。自分がなぜそのような状況に陥ったのかぼんやりと思い出してきた。


「ぐ……う”あ!?」


 寝転んでいる身体を起こそうとすると、激痛が走り思わず呻いてしまう。しかし口も満足に動かせないため、変な言葉を漏らしただけだった。


「おいおい動くな。せっかく繋いだ身体が崩れるぞ」

「……?」


 聞きなれない言葉。そちらの方向に視線を向けると見慣れない男がフレイの身体に触れていた。


「だ、れ……」

「俺? あー……通りすがりの不審者ってことでよろしく」

「ふし……んしゃ……!」

「だから動くなって。仮に俺が悪もんだったとして、今お前にできることはないんだって」


 男はボサボサの黒髪に、黒を基調にした革製の動きやすい服装をしている。まるで冒険者でもやっているかのような装いだ。


「いや面白そうなことしてるなーって見てたらいきなり内側から弾け飛ぶんだから笑っちまうだろ」


 男は手でフレイの身体に触れて何か魔術を発動していた。そこで初めて自分の腕に目を向けると、肉体は眼をそむけたくなるような酷く損傷していた。皮膚が裂け肉が見えている。そしてそれを補うかのように赤い線が網目状に張り巡らされていた。


「俺の魔術で、裂けた肉を継いでる。仮に止めてるだけだから下手に動くとまた裂けるぞ」

「なん……で……」

「なんで助けたかって? そりゃ死なれちゃ困るからだよ。なんで死なれちゃ困るかってのはナイショ」


 男は飄々とした態度を崩さないが、その目つきだけはまったくふざけていない。ほんの少しでも気を抜けばフレイの命が失われるということを理解しているからこそ、魔術の手つきだけは真剣そのものだった。


「っと、さすがにあの爆発を嗅ぎつけてお迎えが来たようだな。俺は消えるからお前も俺と会ったことは黙っとけよ」

「ま……て」

「それじゃ、おやすみ」


 そう言うと男は指先をフレイの顔の前に持ってくると、何か魔術を発動させた。するとフレイは途端に睡魔が襲い少しづつ、視界がぼやけて意識が遠のいていく。薄れゆく意識の中で、自分の名を呼ぶ声を聞いたような気がした。



 ◆◆◆◆



 次に目が覚めたのは、屋敷の医務室のベッドの上だった。全身包帯でぐるぐる巻きにされ身動きが取れない状態で辛うじて目の部分だけは空けられていたので視線を動かすことはできた。自分のすぐそばの椅子にイオが腰かけたまま眠りについていた。目が覚めるまでずっと自分の傍にいて看病してくれていたらしい。


 その後、目が覚めたイオに鬼気迫る勢いで本気の説教をされたことはこの先ずっとフレイのトラウマとして記憶に刻まれることとなる。ブレンネン家の者たちはフレイの安否を形だけでも気にしてはいたが、どちらかというとフレイに施された処置の方が気になっていたようだった。


 フレイの身体は至るところが体内の暴発によって文字通り弾け飛んでいた。だが、森で倒れていたフレイは全身が”フレイの血液”で繋ぎ留められていた。割れた茶碗を溶かした金で接着するかのように、血液によって離れた肉体が接着されていたのだ。それは肉体だけでなく、体内の神経、魔力回路に至るところまで完璧と言わんばかりの処置が施されていたのだ。


 当然そんな芸当ができる魔術師はブレンネン家にはいない。となると必然的にこの処置を施したのはブレンネン家外部の人間、つまるところ侵入者に他ならない。


 それから一族は焔の森の警戒を強化し、フレイやイオの森の立ち入り禁止。どこへ行くにも監視を強化することとなった。焔の森に守られてきたブレンネン家の者にとって、外部の敵というのは意識の範囲外であったため、慌ただしく動いていた。


 それからフレイの方にも詳しい聞き取りが行われた。なぜ森で魔術の特訓を行っていたのか、森で何があったのか、森で誰と会ったのか。だがしかし、フレイは魔術の特訓をしていたことは思い出せてもその後誰と会ったのかという記憶は思い出すことができなかった。


 一族の者がフレイの前で、小さな火を灯してみせたが芳しくない結果に顔を顰めていたことがあった。おそらくフレイが知らない火の魔術だと思われるが、嘘偽りなく答えていたためどうすることもできない。


 フレイが全身包帯の状態から、包帯が外されるまで半年。そして自由に動けるようになるのはそれから半年の月日を要した。


「まったく……兄さんは私が見てないとダメなんですから」


 結果としてイオがこれまで以上に自分に引っ付いてくるようになったのが、フレイにとっては一番の悪影響であった。



 ◆◆◆◆



 焔の森への立ち入り禁止令が出された。けれどフレイは依然と同じように焔の森へと立ち入りできていた。これは一族にとってフレイはまさに”どうでもいい”とみなされているからで、監視として付いてきているコルマンも屋敷を抜け出して森へ向かうことを咎めることはしなかった。

 理由を尋ねると……


「私はぼっちゃんに仕えております。ぼっちゃんがされたいことを止める気はありません」


 とのことだった。

 

 フレイが森に来たのは理由がある。それは一年前、自分が魔力暴発で瀕死の重体を負った際に応急処置を施した誰かを探ること。フレイは魔力暴発を起こしたあと何があったのかは記憶にはないが、状況証拠的に誰かに助けられたはず。


 その誰かを確かめたかったのである。

 自分を介抱してくれた誰かに会いたいということをコルマンに相談し、了承をもらっている。彼は森の外で待機してもらっているのだ。合図を出せばすぐにフレイのもとへ駆けつけるという約束で。

 

「おい、誰かいるのか?」


 問いかけに応える者はいなかった。可燃樹が燃えるパチパチという音と、森を吹く風でなびく木々の音が聞こえるだけ。この森には誰もいないはずだ。


 だが、フレイには必ず誰かが自分を見ていると確信があった。理由は瀕死の重体にその誰かの治療が間に合ったからである。つまりその”誰か”は自分をすぐ助けられるような場所から監視しているということだ。


「居るんだろ? 出てこいよ」


 しかし、呼びかけても反応はない。

 それならば……、とフレイにはとある考えがあった。


「はぁああああ……」


 再び、魔力炉を励起させ魔力を生み出す。そして生み出した魔力を練りながら体内に溜めて内圧を徐々に上げていき――。


「わかったわかったっ! 出てくからお前それやめろマジで。次は直せないかもしれないんだぞ」

「やっと出てきたな」


 フレイはすぐに魔力を溜める行為をやめて、体外に放出させた。そして木の陰から出てきた男のことを見る。相変わらず目の前の男については記憶がないが、この発言からして一年前自分のことを助けてくれた人物で間違いないのだろう。


「ったく……お前、俺が出てこなかったら本気で去年と同じことする気だったろ」

「まあね」

「前回はたまたま俺が見てたからいいけど、今回も間に合う保証はなかっただろ。正気とは思えない」

「……それでも俺はアンタは見捨てないってそう思ったんだ」


 目が覚めたときフレイは自分の身体に施されている処置を見た。それはまさに今にも死にかけていた自分の命を繋ぎとめようとしてくれていた証だった。生まれてから母と妹を除いて家族から自分という存在を尊重してくれる人に出会えなかったフレイは、家族以外で自分のことを大切に思ってくれるような人に出会えたのが嬉しかったのだ。


「わかった。じゃあ最初に言っておくが、次はないからな。自分から命を棒に振るような人間を助ける気はない」

「ああ、二度としないって約束するよ」


 男はフレイに対して指を指して念入りに忠告をしてきたが、そのあまりも必死な態度にフレイは少し苦笑しながら答えるのだった。


「じゃ、俺は消えるから今度は無茶しないように……」

「待って。今日来たのはお礼が言いたかったんだ。俺はアンタのことはよく知らないし、なんでこの森にいるのかとか、なんで俺を助けてくれたのか、とか聞きたいことはたくさんあるけど、関係ない。一年前命を助けてくれてありがとう」

「……別にいいさ、そういう約束だ。それじゃ――」

「俺に魔術を教えてくれ!」


 今度こそお別れだ、と踵を返そうとした男の背に、フレイは言葉を投げかけた。


「は? 今なんて……?」

「お願いだ、俺に魔術を教えてくれ」

「なんで俺なんだ? そもそもお前にはちゃんとした魔術の指導者がいるだろ」


 なぜかこの男はフレイが伯父から魔術を教わっていたことを知っていた。だがそれはこの際深く追求しないでおく。


「あの人……元々は妹の先生なんだ。そのおこぼれを受けてるだけで……それに最近イオがあんまり一緒に魔術の授業を受けたくないって言い出してさ。だからちゃんと教わってはいないんだ」

「ほう……」


 魔術の使い方はそれなりにできている割に、魔術逆流入現象など危険行為のリスクを知らないで魔術訓練を行なっていたのはそういう理由があったのかと男は心のうちで納得していた。


「それにアンタなら、もっと魔術を教えられるんじゃないかって思ったんだ」

「なぜそう思う?」

「アンタが俺に施した処置、あれは俺の血で裂けた体を繋いであった。実際にこの身で受けたからわかる。恐ろしいぐらいに完璧な魔術だった」


 血で肉体を繋ぎ止める。言葉にすれば簡単だが、実際に魔術で行うとなると途方もない高度な技術の結晶の賜物である。まず当然だが医療知識が必須、ただ肉をくっつけるだけでなく血管や神経、魔力回路に至るまで完璧に修復されていた。人体の構造や機能まで隅々まで人体を知り尽くしておかないと処置は不可能。

 それに加えて医療行為にまで昇華された繊細な魔術制御、毛細血管の一本まで丁寧に血でくっつけられていたことを知ったブレンネン家の医者は、そのあまりの神がかり的な技術にしばらく言葉を呑んだという。

 そして最も重要である魔術の効果時間。せっかく血で体を繋ぎ止められても、すぐに魔術が解けてしまえばフレイの体はバラバラになってしまう。そうならないために、彼の体の細胞たちが自然とくっつき合うまで効果が血で繋ぎ止める魔術の効果を持たせなければならない。長期間に渡って魔術を起動し続けるようにすることもまた、高度な技術なのだ。


 それら全てが奇跡のように噛み合わさり、フレイの一命を取り留めたのである。


「あんな芸当おそらくそう使えるようなもんじゃない。だからきっとアンタはすごい魔術師なんだ……と思う。だからアンタに魔術を教わりたい」

「まあ、そうだな。きっとあんな風なことができるのは世界でも俺くらいだろうさ。それで、俺に魔術を教えてほしいって願いの答えだが……結論から言えば、無理だ。その頼みは聞けない」

「……理由を聞いてもいいか」

「こっちこそ理由を聞きたいね、なんのために魔術を習いたい」

「それは……」


 なんのため、そう問われてフレイは言葉に詰まった。なぜ魔術を教わりたいのかという理由について、漠然と考えていたがいざ言語しろと言われると難しい。けれど、ここで答えられなければこの男から魔術を教わる機会は永遠に失われる。そう直感が告げている気がして、フレイはゆっくりだが自分の胸に手を当てて言葉を紡ぎ出した。


「俺は……この家を出たいんだ。生まれてから、母を除いて誰からも相手してもらえなかった。誰にも認めてもらえなかった。俺が火の魔力を持ってないから」

「家の連中が俺のことを見る時、決まって髪の色と瞳を見てるんだ。『その髪色と瞳は一族の者ではない』って視線で伝わってくる」


 フレイは自身の碧い髪が嫌いだった。母から素敵な髪よ、と褒められてから少しだけ好きなれたが根本的には今でも好きになれなかった。


「だから俺はこの家に居場所はない。家を出て自分の居場所を見つけたい……それが俺が外の世界に行きたい理由、だと思う」

「……」


 その言葉を聞いた男の顔は芳しくはない。神妙な顔つきでジッとフレイの顔を見つめている。


「嘘だな」

「う、嘘じゃ」

「嘘ではない……けどそれが全てではない、だろ? 自分の気持ちを偽るようなやつに教えることなんて何一つないね」

「母さんの──! 母さんについて知りたいんだ」

「!」


 フレイはどこか、心の奥底でずっと抱えていた思いの丈を吐き出していく。一度口から出てきた想いは堰を切ったようにとめどなく溢れていく。


「確かに魔力の遺伝は確実じゃないし、未だ全てが解明されたわけじゃない。けど火属性の魔力持ちの両親から水属性の魔力を持った俺が生まれたのはやっぱりおかしいんだよ、俺はその秘密を知りたいだけなんだ」

「それがお前の母の不貞を暴くかもしれないとしてもか?」

「──っ!」


 母の不貞。それが火の魔力を持った両親から水属性の子が生まれる理由の最も簡単で単純な理由だ。これまでフレイはできるだけ考えないようにしていたが、頭をよぎった回数は数え切れない。きっと一族も父もそれを真っ先に疑ったのだろう。だからこそ、フレイは冷遇され、世間からも隠された。


 しかしフレイは不貞の可能性を疑いつつも、もっと他に理由があると思っていた。


「もし仮にそうだったとしても、俺は真実を知りたい。俺の父親が父さんでも、そうじゃなかったしても母さんが愛した人との間に出来た子供だってことは分かるんだ。どんな真実があったって受け入れる、ただ知りたいだけなんだ」

「そうか……」


 今度こそフレイの心根を全てぶつけた。これでダメなら次はもっと強硬手段に……とフレイが男の次の言動に注目する。すると男の中で一つの結論が出たのか、ジッとフレイを見つめていた瞳が不意に下を向いた。


「はぁああああああ……」

「それで、魔術は教えてくれるのか──」

「ダメだ」

「えっ……?」


 フレイがつい、言葉を漏らしたその瞬間。顔のすぐそばを心地の良い風が吹いた。それは焔の森特有の熱気のこもった風ではなく、優しく頬をなでるような風だった。風に撫でられた頬が、くすぐったい感覚がしてついその場所を手で触ってみると、生温い感覚。


 フレイが纏っている水衣とは別の粘性のある液体が手の感触から伝わってくる。なんだろうとその手を見てみると、鮮やかな血がべっとりと手に付着していた。


「な……んで?」

「お前、それを知ってどうすんだ?」

「どうもしないって! 俺はただ知りたいだけで……」

「六大貴族の一角、それも嫡男の出所の秘密なんていう超一級の秘密を、たかがガキ一人が暴けると本気で思ってるのか?」


 男がそれまで纏っていた飄々とした態度から一転、男の視線はまるで死線をいくつも潜り抜けてきた歴戦の戦士のようにどこまでも、冷徹で鋭い眼差しだった。

 

 さらに態度が変わるのと同時に男の魔力が膨れ上がる。それはフレイのような上品で品行方正な優等生な魔力ではなく、もっと根源的なドス黒い本能を呼び覚ますような塊のような魔力だ。


 そして視線と魔力そのどちらにも、共通の意思が込められている。殺気だ。


 今すぐにでも息の根を止めてやりたい、という暴力的なまでの殺気がたった一人の少年に向けて込められているのだ。


「う、あ……」


 生まれてこの方、冷ややかな視線や疎ましいという意思には慣れているが殺してやりたいという殺気を向けられたのは初めてである。


 殺気に充てられて、フレイは完全に戦意を消失してしまう。


 足腰の力が抜けて立っていられない、身体は震えて言うことを聞いてくれない。呼吸もままならなく、肺が苦しい。


 ──殺される。


 そう瞬時に悟るには男の殺気は洗練されすぎていた。だが、たとえ身体が震えても、殺されるかもしれなくても、意思だけは曲げられない。


「それ……でも、俺は諦められない。ここに居たら俺は生きてないのと変わらない! 俺は自分で人生を生きたいんだ!」

「……」

「そのためにはアンタから魔術を教えてもらう。それまで俺はう、動かないぞ!」

「……」


 フレイが歯を振るわせながら渾身の覚悟を話した。その間も男からは殺気と魔力が向け続けられている。そして、その強さが最高潮に高まった。


「(目を瞑るな、目を瞑るな目を瞑るな目を瞑るな!)」


 どんなに相手が恐ろしくても、この男から目を離してはいけない。何故かはわからないが、決してそれをしてはいけないという気概だけでフレイは男を見つめ続けた。


「……」


 それからどれくらい時間が経ったのかわからない。一瞬かもしれないし、永遠にも等しい時間だったかもしれない。けれど程なくして男はフレイに向けていた殺気と魔力を一気に霧散させた。


 その瞬間フレイの体にのしかかっていた重圧のようなものも消え去る。


「わかったよ、俺の負けだ。俺のやり方じゃお前の心を折れなかったらしい。しゃーないから魔術を教えてやる」

「やった……」

「ただし、一度屋敷に帰って風呂入ってこい。お前汗だくだぞ」

「う、それは……」


 アンタが死ぬ気で脅したからだろとは言えなかった。これ以上何かを言って男の気が変わるのを避けたかったからだ。


「それと、俺のことは師匠と呼べ」

「わかった。ちなみに名前は?」

「名前? あー……」


 師匠は目を瞑りながら指で頭を掻きながら思案していた。明らかに偽名を考えているんだろうなという仕草満載だったが、フレイは突っ込まないでいた。


「血、血液、ブラッド、ラッド……、ラッド。俺の名前はラッドだ」

「よろしくラッド」

「だから俺は師匠と……まあいい、いいからさっさと風呂入ってこい。そしたらまず始めに火魔術の出し方を教えてやる」

「──! ああ、すぐ行ってくる」


 火魔術の使い方を教えてやると言われたフレイは目に見えて興奮を浮かべて早脚で屋敷へと帰っていった。内心では火魔術への憧れを消せていないのが丸わかりで、大人ぶってるけど年相応な部分もあるなとラッドは思う。


 幼い頃からフレイを見守ってきた身としては、彼に魔術を教えることが約束の答えとして本当に合っているのかと、今も燃え続けている可燃樹を見ながらぼんやりと考えにふけるのだった。

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