左の頬が平手で叩かれる。

 唇が切れたのか、血の味が口に広がる。

 たて続けに制服の上から胸を強く押され、背中が女子トイレのタイルの壁に打ちつけられた。


「おまえさぁー、なんなの?」


 羽生咲姫が言う。

 おまえこそ何様だ。

 搭子は思った。


「不思議ちゃん演じてんの? ハッ、そんなキャラ、うちらのクラスには要らないんですけどぉ!」


 もう一人の女子生徒が──名前はたしか、知野世澪菜だったと思う──さらに追い撃ちをかけて、髪の毛を強く掴む。


 数学の小テスト後、女子トイレへ向かった搭子に続き、咲姫は世澪菜やほかの取り巻きの女子たちを引き連れて塔子に〝制裁〟を加えていた。

 これは別に珍しくもない。

 場所や日時が違うだけの、塔子にとっては日常風景だった。


「あー、ムカつく」


 本当はそんなゆうなどないのだが、世澪菜は掴んだ髪を壁に押しつけるようにして離すと、今度は搭子の胸元にツバく。


 実にくだらない。

 低能の極み。

 同年齢の少女たちによる、あまりにも愚かなおこない。

 塔子は思わず鼻で笑ってしまった。


「ちょっとぉ……キモっ! こいつ、笑ってるんですけど!?」


 標的からの予想外な反応。

 ひるんだ世澪菜が、すかさず咲姫に報告をする。

 けれども咲姫は、なにも返さない代わりに、女子トイレのSKから使い古されたデッキブラシを一本持ってくる。


「おまえってさぁー、絶対に処女だよな?」


 搭子はなにも喋らずに視線すら合わさない。


「わたしが〝女〟にしてやるよ!」


 それを聞いた世澪菜や取り巻きたちが、不気味なうすら笑いを浮かべながら搭子を羽交い締めにして制服のスカートまでたくし上げる。

 それでも搭子は、暴れる素振りもなんの声も発さずに、デッキブラシの柄をおとなしく見つめていた。



   *



 保健室の天井。


 クレゾールなのか、薬品独特のにおいが鼻をつく。


「瀬良さん、お茶でも飲む? とっておきの紅茶があるんだけど」


 母親と同世代くらいの保険医が心配そうに布製のパーテーションから顔をのぞかせる。だまったまま天井を見つめ続ける搭子に、保険医はそれ以上言葉をかけずに部屋を出ていった。


 虚ろな眼で寝返りをうつ。

 搭子はなにも考えてはいなかったが、なにかを考えているような面持ちをしていた。


 実にくだらない。


 すべてが、くだらない。


 そんなこの世界を形容する言葉が思いつかない。


 窓の外からの暖かい日射しが、整理戸棚の硝子を平穏無事に照らしている。そんな保健室の静寂を唐突に切り裂いたのは、ホイッスルのふえだった。校庭でどこかのクラスが体育の授業をしているのだろう。


 搭子は半身を起こすと、サイドの髪を片耳に掛けてから、床に置かれた上履きに足を乗せた。


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