第35話 絶望(2)
部屋全体を煌々と照らすランプの光と、響く瀑布の轟音。その中でルードとリフィトリアが対峙していた。
リフィトリアは拳銃を構え、ルードへ照準している。しかしその手は震えており、まともに狙えてはいない。歪んだ顔は動揺に満ちて、戦意は感じられなかった。
「ルードさん、お願いします。どうか武器を収めてください。話を……」
「悪いな。俺はそんなできた人間じゃねえんだ」
ルードが構える。
「こんな穴蔵で一人、一年待った。もう希望がねえのは分かってる。これは千載一遇のチャンスなんだ」
「待ってください」
「許せ」
リフィトリアは撃てなかった。覚悟の差だ。
ルードは容赦なく飛びかかり、振り上げられた斧がリフィトリアを狙う。
咄嗟にルミナが風をぶつけた。跳躍中の横っ腹に暴風が叩きつけられ、ルードは激しく床に転がった。
「リーフ、離れて」
「ルミナ」
「早く」
リフィトリアが壁際へ退避し、ルミナはルードとリフィトリアの間に立ち塞がった。
不意打ちを受けたにもかかわらず、ルードは転倒した勢いをそのまま利用して立ち上がった。殺気に満ちた視線をルミナへと向け、斧を構える。
「残念だよ」
「わたしもですよ」
微かに、ルードが笑った。
「おおおおおおおおお!」
ルードが咆哮した。
斧を振り上げ、一跳びにルミナへ飛びかかってくる。ルミナは極めて冷静に、そして冷徹に対抗した。狙い澄まして放たれた風の刃が、ルードの右腕と両足首を切り飛ばした。
斧と手首が回転しながら、あらぬ方へ飛んでゆく。ルードが空中できりもみし、床の大穴近くに墜落した。血飛沫が床を染める。
「ううっ、おおおおッ!」
勝負あった。
尚も立ち上がろうとするルードの凄まじい執念に気圧されそうになりながらも、ルミナは油断なくそれを見下ろしていた。
恐るべき気迫で這い進み、残った左手で手斧を掴んだ。あの状態から戦うつもりなのか。ルミナが追撃しようと思ったとき、ルードの脚を何かが掴んだ。全員の視線がそちらへ向けられる。
亡者だった。床に開いた大穴からよじ登ってきたのか、穴の淵から伸ばされた腐った腕が、ルードの脚を掴んでいた。
「くっ、この……!」
負傷したルードにそれを振りほどく力は残っていなかった。亡者はルードを掴んだまま、穴底の大瀑布へと引きずり込んでゆく。
「ううッ、ううううう、うああああああああ!」
身の毛もよだつような断末魔を残し、ルードは亡者と共に大瀑布の中へと消えていった。
しばらく沈黙が続いた。
「ルミナ……」
リフィトリアが青い顔で座り込み、震えていた。
「私たちは……」
「戻ろう、リーフ」
ルミナが手を差し伸べると、リフィトリアは何も言わずにその手を取った。
*
その日は出発を見送り、部屋で休んだ。ルードが居なくなった今となっては、わざわざ危険な夜に潜水する意味はないし、何よりリフィトリアがまともに動けるとは思えなかった。
自分たちの部屋へ戻る途中、ルードの部屋を少しだけ覗いた。誰もいない部屋の中にはルードの荷物と財宝、そして食べ残した魔物の肉だけが静かに置かれていた。
朝になってから、ルミナたちは黙々と支度をして帰路についた。安全な昼を選び、幸いにも魔物に襲われること無く水路を抜けた。
くたくたになりながら遺跡から出ると、その足で管理組合の詰め所へ向かった。
「おお、無事だったか」
新聞を読んでいたゴドが、ルミナたちの顔を見て声を上げた。
「心配したぞ。で、どうだった」
「まあ、行けたよ」
「……それにしちゃあ、浮かねえ顔してんな」
「ちょっとね」
そうして探索者の名簿に帰還を記してもらった時、リフィトリアが言った。
「ルード、という方の名前はありますか?」
「ルード?」
「はい。一年ほど前に入っているかと思います」
「一年って、あんたそりゃあ……」
ゴドが何かを察したような顔でリフィトリアを見た。リフィトリアは気力のすっかり抜けた顔で名簿に視線を落としている。
たまらずルミナは呼びかけた。
「リーフ」
「でも」
「……あんたらが地下で何を見てきたか知らんが、未帰還者の報告は別に義務じゃねえ。遺跡に入ってそれっきりなんてな、珍しいこっちゃねえんだ」
リフィトリアが嗚咽を漏らし、ゴドは名簿を閉じた。
「もう休め。疲れてんだろ」
「ありがとう。そうする」
詰め所を出て扉を閉めると、リフィトリアは涙を流し始めた。
「ルミナ、私は……私は何もできませんでした」
「リーフ」
「ルードさんを助けたいと言い出したのは私です。ルミナは最初から現実を分かっていて、無知な私に忠告してくれていました。なのに、結局ああなってしまって、最後は全部ルミナが辛い役目を被って……」
濡れたリフィトリアの目を見ながら、ルミナは言う。
「お金で解決できないことは、わたしの仕事。そうだったでしょ」
リフィトリアは声もなく泣いた。
うなだれるリフィトリアを連れて、ルミナたちは宿へ戻った。
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