第34話 絶望(1)

 その日も何ら事態は進展することなく、時間は過ぎていった。相変わらず地下にいると時の巡りが分かりづらい。ただ、時計の針は夜が近いことを示していた。

 ルミナたちが部屋へ戻ろうとすると、ルードは「おやすみ」と挨拶をした後で魔物に用心するように付け加えた。夜は地上から昼行性の魔物が戻ってくる時間だ。ルードもこの時間はなるべく出歩かないらしい。

「リーフ、夜に出よう」

 部屋へ戻ってすぐ、ルミナは言った。

「大丈夫なんですか? ルードさんが夜は危ないと」

「危険だけど、もたもたしてられない。戻ってくる魔物は昼に活発に動くやつらだから、深夜ならほとんど寝てるはず」

「前にも言いましたが、正直に話して堂々と帰るのはダメなのでしょうか」

「やめた方がいい」

「そうですか……」

 ルミナたちは仮眠を取り、深夜を待った。

 夜が深まってから潜水の支度を整えてから部屋を出る。今のところ付近に魔物の気配はない。

 足音を殺して進み、大水槽の前までやってきた。ランプの灯りを投げかけ、水面を慎重に確認する。水面は静まり返っていた。見える範囲に魔物の姿はない。

 振り向いてリフィトリアに頷く。

 荷物から呼吸具を取り出す。隣でリフィトリアが同じように呼吸具を取り出し、口にくわえようとした時、唐突に声が響いた。


「何してるんだ」


 振り向く。

 ルードだった。ランプと革袋を手に、呆然とルミナたちを見ている。

「えっと、ルードさん。その、あの、どうして」

 リフィトリアがたどたどしく言った。

「水が無くなったから、一杯だけ汲もうと……」

 ルードはルミナとリフィトリアを交互に見て言う。

「……そりゃ、呼吸具か」

 誤魔化せる状況ではない。

「あ、あの! 私たち、地上へ戻って助けを呼んできます。必ず助けを呼びますから、それで、それで……呼吸具をたくさん持ってきて、ルードさんも帰れるようにしますので、今は、あの……」

 リフィトリアが必死に説明している間も、ルミナはルードから目を離さなかった。

「そうか、そうか……」

 ルードの声が萎んでゆく。リフィトリアは明らかに狼狽した様子で、視線をルミナとルードに行ったり来たりさせていたが、ルミナはルードの腰を注視していた。その腰ベルトにある、手斧に。


 ルードが革袋とランプを床に置いた。

 ルミナは意識を集中した。

 静寂。


 ルードが手斧を持ち、跳んだ。凄まじい早業だった。

 ルミナも精霊術を使った。暴風の壁がルミナを守り、飛び掛かるルードを押し返す。

 後方に吹き飛ばされながらも、ルードは猫のようにしなやかな身のこなしで着地した。手斧の刃は赤熱し、暗闇の中に眩く光っている。火の精霊術が込められた魔術武具のようだった。

「ルミナ!」

 リフィトリアが悲鳴のように名前を呼んだ。

「リーフ、下がってて」

 冷静に言い放つ。

 ルミナは敵から目を離さない。敵もルミナから目を離さなかった。

 ルードは再び切りかかってくる。年齢を感じさせない身のこなし。かなりの熟練者だ。

 ルミナは手斧を狙って連続で風の刃を放ったが、ルードは華麗な横跳びで避けながら距離を詰めてくる。

「ルードさん、どうか戦いをやめてください!」

 叫んだのはリフィトリアだ。ほとんど泣きそうになりながら、震える声で呼びかけている。

「ルミナも、やめて! お願いです!」

 やめられるものならそうしたい。だが、こうなってはどちらかが倒れるまで終わらないだろう。

 トレジャーハンターが最も戦いたくない相手、それは魔物でも亡者でもない。他のトレジャーハンターだ。


 暗がりに赤い残像を刻むルードの斧さばきを、ルミナは風の刃で押し返しながら懸命に回避し続けた。ルードに大怪我を負わせたくはないが、手加減できるような相手ではなかった。

 ルミナは火炎を巻き起こした。灼熱の炎が壁となってルミナとルードを隔てる。大技を前に、さすがのルードも攻撃の手を止めて距離を取った。しかし、これは悪手だった。

 ルードは後ろ跳びでルミナから離れると、その視線をリフィトリアへ向けた。

 リフィトリアの手にも呼吸具が握られている。

「リーフ逃げてっ!」

 ルミナは叫んだ。

 リフィトリアはルードを見ながら何か言おうとしているようだが、唇が震えるばかりで言葉になっていなかった。

 一方のルードは獣の目をしていた。鋭く研ぎ澄まされた、狩人の目だ。

「早く! 走って!」

 ルミナは叫びながら再び精霊術を使い、リフィトリアとルードの間に炎を走らせた。

 リフィトリアはようやく走り出した。通路の方へと走ってゆく。壁画のあった大部屋方面だ。

 ルードはしばらく炎に足止めされていたが、ついに恐るべき跳躍で炎を飛び越え、リフィトリアを追っていった。ルミナも急いで後を追う。


 ここで一年暮らしたルードにとって、入り組んだ通路も庭のようなものだ。角を曲がる度に離されルミナは焦った。ルードの手斧が放つ赤熱の光を見失わないよう、懸命に追いすがる。

 やがて空気を震わす水音が聞こえてきた。壁画の部屋は近い。

 そして最後の角を曲がり、ルミナは光の中へ躍り出た。

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