第32話 遭難者(3)

 朝日のない朝が来た。

 ぐっすり眠ることはできなかったが、動くのに支障はないだろう。魔物が跋扈する遺跡の深部だ。この生活を一年も続けて生き残っているルードのことを、ルミナは素直に凄いと思った。

「そろそろ行こうか」

「はい。あ、ルードさんには一応声をかけたほうがいいでしょうか。助けを呼んできますと」

「それはやめとこう」

「ですが、いきなりいなくなったら心配するのでは……」

「助けを呼んだところで望みが薄いことはルードさんも分かってる。そうなれば、わたしたちを見る目は絶対に変わる。目の前に帰る手段があるんだから」

「そうでしょうか……」

「余計なトラブルを招くのは避けたい。心配かけるのは申し訳ないけど、黙って行こう」

「分かりました」

 荷物を整え、潜水用の服に着替えようとしていたところで、外から声がかかった。ルードの声だ。

「おはよう。もう起きてるか」

 ルミナとリフィトリアは顔を見合わせる。

 正直、まずいことになってきたとルミナは思った。いつまでもここに留まるわけにはいかないのだが、ルードの目がある中で潜水の準備をしたら、どうやっても帰る手段を持っていると伝わるだろう。

 迷った末、ルミナは答えた。

「起きてます」

 すると、ルードが入り口に顔を出した。

「無事なようでよかった。魔物は来なかったか」

「はい。特に何もありませんでした」

「そいつはよかった」

 ルードは部屋へ入ってくると笑顔で提案した。

「案内したい場所があるんだ。安全に魚を捕りやすい場所とか、あとは覚えておいたほうがいい危険な場所とかな」

 一緒について行ったらますます抜けにくくなるだろう。どうにか隙を見て離れたいが、どう動くのが正解かすぐに分からなかった。

「分かりました。よろしくおねがいします」

 ルミナが迷っているうちにリフィトリアが答えてしまった。ルードは満足そうに頷くと、支度が出来たら出てきなと言い残して出て行った。

「ちょっと、リーフ」

「すみません、とても断れる感じではないと思って。どうしても潜水の準備には時間がかかりますし、今日は気づかれずに出るのは難しいかと」

「確かにそうだけど……」

 これは夜間に出て行くことも考えなくてはならないかもしれない。ルミナは心の中で覚悟を決めた。

「でも、あまり仲良くしない方がいい」

「ルードさんは信用出来ませんか?」

「そうじゃない。絶対助けられない相手、敢えてきつい言い方をすれば、見捨てる相手なの。関係が深いほど問題が大きくなる」

「……分かりました」


 その後、ルードに案内されるまま道を進んだ。

 ルミナたちが探した倉庫群とは外れた通路だ。ランドルの地図に記されていない区画へと入る。地下暮らしが長いルードには迷いがない。ルミナは道を覚えながら歩くのに苦労した。

「この水路は魚が安全に捕りやすい。小さいし、数は少ないがな。水が浅くて底が見えるから、魔物の不意打ちは食らいにくいんだ」

 通路脇を流れる浅くて細い側溝を指しながらルードが解説した。確かに魔物が隠れられるような大きさではない。

 さらに通路を進むうちに、空気に大きな震えが含まれてきたことに気づいた。空間全体を揺らすような重たい低音。

「ここからは危ない場所だ」

 ルードが振り向いて言った。

「落ちたら絶対助からんからな、足下に気をつけろよ」

 最後の角を曲がって通路を出ると、一瞬混乱した。そこは明るかったからだ。外に出てしまったのかと思うほど明るい。

「ここはまだ魔術ランプが生きてるんだ。すげえだろ。多分だが、アルキャロの時代からずっと動いてる」

 広大な部屋。遙か高い天井が煌々と輝いて、空間全体が光に満ちている。よく見れば大量の魔術ランプが敷き詰められているようだ。遙か昔の設備が未だに現役とは驚きだ。ルミナは脱出の懸念も忘れて見入ってしまった。

 それぞれの壁には何やら大きな絵が描かれているようだ。光り輝く巨人と、暗い影を纏う巨人。光の巨人は立ち上がって両手を広げ、影の巨人は屈み込んでいる。

 絵はとても傷んでいたが、それがアルキャロの人々が信じていた古い神々の絵らしいことは分かった。

 一方で、床は悲惨なことになっている。広い床面の大部分が崩落し、大穴が開いている。覗き込めば、遙か下方に荒れ狂う水面が見えた。多方から流れ込む大量の水が滝となって白い飛沫を上げている。まるで大瀑布だ。通路まで響いていた音の正体はこれのようだ。

「ちっと下が危ねえが、根性出して壁を登れば、天井から使えるランプを引っぺがせるってワケだ。持ち込んだモンが壊れかけてきた時にな、いくつか調達したんだ。今も使ってる。ホレ」

 ルードの手にある魔術ランプは天井から取ってきた物に手提げ用に針金を後付けした改造品らしかった。

「ただまあ、ここは亡者をよく見かけるから気をつけな」

「亡者ですか……」

 リフィトリアが不安げに言う。昨日、実物を見たばかりなのだ。慣れていないリフィトリアには辛いだろう。

「もし、ランプが必要になったら言いな。俺が取ってきてやる」

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