第29話 亡者(2)

 リフィトリアが後ろで息を呑むのが分かった。

 灯りが弱くてはっきり見えないが、人間の亡者に間違いない。右手に何かを持っている。


 ――トレジャーハンターの亡者だ。


 ランドルの言葉が頭をよぎる。

 こいつはどうだろう。古い戦争の時代から地下を彷徨う悲しい亡者か、それとも宝を求めて引きずり込まれた哀れなトレジャーハンターの成れの果てか。

 敵が走り出した。ルミナが持つランプの範囲内に、亡者が躍り出る。

 それは兵士の亡者だった。ほとんどが朽ちかけた鎧と兜を身にまとい、右手に錆びて折れた剣を持っている。

 亡者は剣を振り上げ、言葉にならないうめき声を上げながら向かってくる。距離が縮まるにつれて、その悲惨な様相がハッキリと見て取れるようになった。

 ただれ落ちた皮膚の下から変色した筋肉と腱が覗いている。どうやって動いているのかわからないほど崩れたまま、それでも足を出す度に筋肉が伸び縮みしている。

 眼球は右にしか残っていない。白く濁りきって腐った目だ。この目で物が見えているとはとても思えない。そして左には暗い眼窩があるのみ。

 腹の裂け目から内臓のようなものが見える。まだ形が残っていのが奇跡としか思えない。腐り果てた臓物。

 肉が完全に削げ落ちて骨が露出しているところすらあった。


 ルミナは亡者へ向けて手をかざすと、意識を集中して魔術の準備に入った。背後からリフィトリアが動揺する気配が伝わってくるが、ルミナはこのくらい慣れたものである。

 死なずの亡者に対して手っ取り早く効くのは、火だ。

 火炎の渦が巻き起こった。亡者は一瞬にして炎に飲み込まれ、火だるまとなる。それでも亡者は走り続けた。痛みも苦しみも知らない亡者は火傷くらいで立ち止まりはしない。だが、体が物理的に燃え尽きれば話は別だ。

 亡者の肉が焼け、歩みが遅くなる。魔術の猛火は物凄い速さで腐肉を焼き散らした。徐々に肉が燃え尽き、黒焦げの骨を露出してゆく。やがて亡者は完全に歩みを止めて、その場に崩れ落ちた。


 ルミナが火を止めると、焦げて不快な煙を上げる亡者へと近づいた。

 焦げて砕けた人骨。一部生焼けの肉がこびりついている。ボロボロの装備品が焼け残って骨の傍らに転がっていた。

 ルミナは煤けた剣を観察して言う。

「アルキャロ兵の亡者だね。この装備は何度か見たことがある」

「も、もう動きませんか……?」

「大丈夫、もう動かない」

 足がすくんでいるリフィトリアに向けて言う。

「燃えながら歩いていました……」

「亡者は痛みを感じないから。体を切られようが叩かれようが焼かれようが関係ない。だから対処するには物理的に動けないようにするしかない。こうやって焼き尽くすとか、バラバラになるまで滅多切りにするとか、粉々に吹き飛ばすとかね」

 状況を想像しているのか、リフィトリアが悲壮な顔をしてルミナを見ている。

「酷いやつはそれでも再生して動いてきたりすることもあるみたいだけど、詳しくは死霊術を勉強しないと分からないだろうね」

 リフィトリアが恐る恐る、動かなくなった亡者に近づいてくる。

「さっき、ルミナはアルキャロ兵の亡者だと」

「うん」

「では、この方は二千年以上も前から?」

「たぶんね。当時の帝国軍に殺された後、死霊術をかけられたんだと思う」

「それからずっとここを彷徨っていたということですか」

「だろうね」

 亡者は何らかの方法で力を供給さえできれば、ほぼ永遠に動き続けると言われている。この亡者も魔物や他の亡者、もしかしたらトレジャーハンターを喰らいながら今日まで動き続けていたのかもしれない。

 リフィトリアが亡者の横にしゃがみ込み目を瞑った。

「とても辛かったでしょうね」

 しばらくそうした後、リフィトリアは立ち上がった。

「帰りましょう」

「そうだね」

 大水槽へと続く通路へ向かいながら、ルミナは未だ燻っている亡者の方を振り返った。

 ランドルの情報によれば、死者を亡者に変える魔術兵器が生き残っている可能性があるという。下手をすれば、自分たちもああなるかもしれない。

 ルミナは改めて気を引き締め、再び歩き出した。

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