第24話 美佳子の看病

 東咲人あずまさきと篠原美佳子しのはらみかこの家事代行をやっている少年だ。雇われる側と雇う側、その程度の関係性でしか無かった。しかし最近は少し変化が生まれ始めていた。

 切っ掛けは些細な事で、日常の一幕からお互いの信頼関係が深まっただけ。ただそれだけの変化に過ぎないが、咲人にとっては大きな変化だった。

 何となくぼんやりとしていた、大人になるとは何か。そこに咲人なりのビジョンが見え始めた。それもあり、咲人にとって美佳子の重要性が上がりつつあった。


「一旦家に戻るか……いや、ドラッグストアで良いか」


 美佳子が暮らすパデシオン高田たかだは、この高田町にある代表的な高級マンションだ。15階建ての物件で、一番安い部屋でも5000万円を超える。

 最も値段が高い最上階は1億円を超える程だ。美佳子の家は7000万程だが、同じ階に2部屋所有しているので実質的には最上階よりも高い金額を支払っていた。

 当然それだけの値段がするだけあり、交通のアクセスや買い物に困る事のない立地となっている。

 咲人が自宅に帰って風邪薬等を持って来るよりも、近くのドラッグストアに行く方が早い。風邪でダウンした美佳子の為に、咲人はその足を活かして先を急ぐ。


「いらっしゃいませ〜」


 そろそろ日が落ち始める時間になりドラッグストアで買い物をする人達がそれなりに居る。咲人が店内に入った時点でレジが混雑しつつあった。

 咲人は所詮高校生に過ぎず、病気に関する適切な対応など知らない。とりあえず良く見る有名な風邪薬と、風邪薬の近くにあった栄養ドリンクを買い物カゴに入れる。

 あとは風邪等の時に頭部に貼る冷却シートや、スポーツドリンクも数本選んでおく。咲人に分かる範囲でチョイス出来るのはそれが限界だった。

 あとは美佳子の家に有るかどうか分からない、一般的な体温計も念の為買っておく事に決めた咲人。

 混み始めたレジの待機列に並びながら、ここに来て悩み始めた。美佳子から預かったICカードで支払うのか、自分の所持金で支払うのか。


(……俺が勝手にやっている事だ、自分で払おう)


 確かに高校生からすれば、そこそこの出費になる。だが咲人はそもそも、十分な程のバイト代を美佳子から貰っている。

 ここで美佳子のお金を使うのは何だか嫌だなと咲人は感じた。ほぼ直感的な発想から来る判断だが、咲人は痛い出費だとは思わなかった。

 これは恩返しの様なものであり、同時に美佳子の役に立てる家事以外での行為であるからだ。

 美佳子の役に立てる、それを嬉しいと感じている理由が咲人には分からない。だがそんな事は今は関係ないのだと、咲人は急いで美佳子の待つマンションへと戻って来た。


「お待たせしました」


「……おかえり」


「先ずは体温を測りましょう」


 咲人は常にエコバッグを持ち歩いている。最近ではそれが2つに増えていた。その片方は美佳子専用のエコバッグだ。

 そちらはデフォルメされた可愛らしいネコのイラストがプリントされている。その中から咲人は買って来た体温計を取り出し、美佳子に手渡す。

 その間に咲人は、冷却シートを美佳子の額に貼り付けた。ひんやりとした冷却シートの効果で、少しだけ美佳子の辛さが和らぐ。

 しかしそれも瞬間的なものに過ぎない。体温の計測が終わると、美佳子は体温計を脇の下から取り出す。


「見せて下さい……39度もあるじゃないですか」


「あ〜だからしんどいのかぁ」


「とりあえず栄養ドリンク飲んだら寝てて下さいね、小粥作って来ますから」


 風邪薬は基本的に食後の服用を推奨するものが多い。今回咲人が買って来た物もそう書かれていた。

 ただどう見ても今の美佳子は、しっかりとした食事が取れそうにない。そう判断した咲人は、台所へ向かい小粥を作り始める。

 言うまでもなく美佳子は自分でご飯を炊いたりしないので、先ずは米を洗う所からスタートになる。

 しっかりお米を研いでから炊飯器にセットする。それから目についたゴミを処理しながら美佳子の寝室へと戻る。


「篠原さん、何か欲しいものあります?」


「……着替えかな。あとボクの体を拭いてほしい」


「分かりま…………え?」


 美佳子の発言に咲人は硬直する。着替えを取ってくるのは構わない。下着以外なら問題はない。

 しかし体を拭いてくれと言われたら、咲人としては返答に困る。だが美佳子は既にそのつもりでモゾモゾと服を脱ぎ始めてしまった。

 そうなるともう咲人は行動に移すしかなかった。風邪をひいている美佳子を半裸で放置するわけには行かず、さりとてその姿をボーッと見ている訳にはいかない。

 半ばパニックになりながらも、どうにかバスタオルと美佳子の着替えを持って寝室に戻る。


「じゃあ……お願いね」


「えっと……」


「咲人君なら、どこを触っても平気だから」


 突如として試される咲人の精神力。美佳子にとっては、特に深い意味のない発言に過ぎない。

 お願いしている側なのだから、ちょっと手が胸に当たった程度では怒らないと伝えただけ。

 しかし思春期の男子高校生にしてみれば、あまりにも危険過ぎる言葉の羅列だ。そう言う意味ではないのだと、咲人は必死で自分に言い聞かせる。

 出来る限り美佳子の半裸を凝視しない様に、魅惑的な大人の色気から必死で目を背け続ける。


 しかしちゃんと見なかったせいで発生するラッキースケベを回避する為、視界には入れつつ脳内では必死に今日学校で習った英単語を反芻する。

 しかしそんな精一杯の努力も虚しく、美佳子から漂ってくる甘い香りが現実に引き戻す。今朝からダウンしていた為に、酒もタバコも今日はノータッチだ。

 そのせいで酒臭さもタバコ臭さも薄れている。美佳子が本来持っているフェロモンにより、咲人の理性がゴリゴリと削られていく。


「お、終わり、ました」


「ありがと〜助かったよ」


「い、いえ。じゃ、じゃあ俺は台所に戻りますから」


 どうにかして美佳子の着替えと言う一大イベントを乗り越えた咲人だったが、安心するのはまだ早いのだ。

 しかし咲人は必死で理性を働かせ続けた心労から思い至れなかった。この状況で小粥を作った所で、誰が美佳子に食べさせるのかを。

 完全にグロッキーな美佳子は、自分で食べる事が出来ない。つまりこの後、美佳子に小粥を食べさせるのも咲人の担当だ。

 予想外の事態から無事生還出来たと喜ぶ咲人は、そんな更なる試練が待っているとは知らずに家事に精を出した。

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