第22話 大人になると言う事

「おい咲人さきと、聞いているのか?」


「え? ああ、ごめん何?」


「何ボーッとしてるんだよ」


 陸上部の練習中に、どうも俺はボケッとしてしまっていたらしい。あの遊園地以降、どうにも篠原しのはらさんの事を考えてしまう。

 恋愛的な意味ではなくて、大人になると言う事に関してだ。もし俺が篠原さんの立場だったとして、俺にあんな事が言えるだろうか。

 今の俺に、あんな風に自信に満ちた表情が出来るだろうか。その答えは未だに出ないままだ。

 だから俺は、まだまだガキって事なのだろう。そりゃあ篠原さんだって、男性として扱ってくれないわけだ。俺は全然、大人になんてなれていないのだから。


「お前、今度の駅伝出るんだろ?」


「そうだな、先生からはそう聞いた」


「そっか、頑張れよな!」


 夏にある新聞社が主催する全国高校駅伝、その地区予選がもうすぐ行われる。その結果次第では、全国の舞台に出る事が出来る。

 7人でタスキを繋ぎながら、トータルでフルマラソンと同じ距離を走り抜ける。その精鋭とも言うべき7人の中の1人として、俺が選ばれていた。

 走るのは一番短い区間で、4kmしかない。しかしそれでも油断してはいけない。ただ走れれば良いと言うわけではないのだ。

 最低でも順位を維持、出来るならば上げたい所だ。もしこの舞台でいい結果が出せたら、俺にも見えるだろうか。

 篠原さんが見ている景色が。人として成長した者だけが見られる景色を。


「あ、居たあずま君! 東君、駅伝出るんだって?」


「おう、澤井さわい。今ちょうどその話をしてた所だ」


「皆、情報早いね? さっき決まった話なのに」


「凄いね東君! まだ1年生なのに」


 それは本当に有り難い事で、顧問の勝本かつもと先生に感謝しかない。俺を認めてくれて、選んでくれたのは先生だ。

 もちろん俺なりの自信とか、積み重ねて来た自負もある。だけどやっぱり、他の人に認めて貰えると言うのが一番大きい。

 俺は走るのが得意だって、口で言うだけなら簡単だ。でも結果を残せたり、誰かに認めて貰えたりすると話は別だ。

 こうして顧問の先生や、友人達に認めて貰うのはやっぱり特別な意味がある。


一哉かずやも澤井さんも、インターハイがあるじゃないか」


「いや、そりゃそうだけどさぁ」


「駅伝はやっぱり特別感あるよね」


 テレビ中継が入る事を考えたら、確かにそうかも知れない。全国の舞台に立てば、日本全国で放送される。それを思えば確かに特別ではあるか。

 年に何度かある全国駅伝の内、夏の駅伝は注目度が高い。その時期になるとSNSなどでも盛り上がっている。

 沢山の人に応援されながら走る、その緊張感は小学生でも中学生でも経験した。地方都のローカル中継だけど、何度かテレビに出た事もある。

 流石にもう慣れはしたけど、プレッシャーはそれなりに感じる。沢山の応援と言うのは、同時にその人達の想いも背負う事になるんだ。

 それで言えば、篠原さんと同じかも知れないな。あの人も、全国に居る沢山のリスナー達の想いを背負っている。そして今は、俺と母さんの思い出までも。


「東君?」


「あ、ごめん考え事してた」


「……あの女の人?」


「違う違う! そうじゃなくて、駅伝についてだよ」


「ホントかぁ〜? 正直に言えコイツめ!」


 一哉が首に手を回して軽いヘッドロックを掛けて来た。そんなに痛くはないが、今はこの状況が有り難い。

 男同士の馬鹿騒ぎになれば、話を誤魔化すのは簡単だ。正直どうして澤井さんにはバレたのか分からないけど。

 篠原さんの事を考えていたのは事実だ。でもあんな風にカッコイイ大人になりたいなんて、流石に同級生の前で言うのは恥ずかしい。

 そして絶対に勘違いされるだろう。これは恋愛的な意味での憧れではない。あくまで人間として、生き方への憧れなのだから。

 一哉なんかは間違いなく茶化して来るだろうから、何があろうと教えてやらない。


「おい暑苦しいってば!」


「お前が正直に言えば解放してやるよ!」


「だから、駅伝の事しか考えてないってば!」


 それは嘘ではない。ただその一部に篠原さんが関わると言うだけ。人生の先輩として、人の期待を背負う者としての参考にするだけ。

 今日も部活が終わったら、篠原さんの家に行く。その時にでも聞いてみよう。他人の期待を背負う事の、心構えとかそう言った事について。

 あの遊園地から1週間と少しが経ったけど、あれから俺達は少しだけ仲良くなれた気がする。

 元々悪かったわけじゃないけど、友達に近い何かにはなれたと思う。これまでとは違う意味で、家事代行を楽しめているんだ。


「ちょっと2人とも! 勝本先生がこっち見てるよ!」


「あっ、ヤッベ」


「一哉! 早く離れろ!」


 部活中に遊んでいると思われた俺達3人は、揃ってグラウンド30周を命じられた。勘弁してくれとは思いつつも、何だか晴れやかな気持ちで俺は走る事が出来た。

 忘れたつもりになって、見ない振りをしていた心の重しが少しだけ軽くなったから。悲しい記憶を、一緒に背負ってくれる人が増えたから。

 それで母さんが生き返るわけじゃない。そんなのは良く分かっている。だけど今の俺は、以前よりも速く走れる気がしているんだ。

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