第33話 千紫万紅

 ジィランの指し示す先を歩いて進んでいく。ここにきた時と同じように大きな荷物は、宙を浮いて進む。

 ぷかりと浮かぶ荷物は、どこか川に浮かぶ船のようだ。




 フロストの鏡でやってきたここの場所は、本の中に迷い込んだように感じられる。

 何もかもを包み込む青い空が広がり、空気を温める太陽が照らしていた。それだけならば、何も変わらない。

 だが、空気感が違う。





 漂う空気が、柔らかくて暖かい。春の陽気を感じさせ、それなのに吹く風は春風のような冷たさがない。

 周りを華やかにさせる花々は、千紫万紅せんしばんこうの景色が広がっていた。




「ここは、ファンタジーの中?」

「本の中でもファンタジーの中でもない。日本の同じ時空の中にいる」



 なんとも理解し難い、そんな光景だ。さえずる鳥は、澄んでいて美しい。

 どこを切り取ったとて、日本の景色とは思えない。




 歩けば歩くだけ、川の流れの音にどんどんと近づいていく。大きくなる音は、滝のような高いところから落下する音にも聞こえてくる。




 日本の名所に、滝のある場所は多くある。その周りに咲く美しい花々も、おそらく存在はするのだろう。




 心を清らかにしていく世界に、ときめかせる。





 水の上で蓮の花が、美しく咲き誇っている。真夏に咲くはずの季節違いの蓮が咲いているのだ。

 この状況で、同じ時空と言われても納得ができない。




 青々とした葉が所狭しと身を寄せ、花は葉の上へと首を伸ばす。

 滝から飛んだ水滴が、桃色と白のグラデーションの上に乗った。その水滴に太陽の光を帯びて、グリッターのような輝きを放っている。


 


 私は、この美しい光景を目に焼き付ける。





「蓮の花が咲いてる……」

「ああ」




 短い返事し返ってこない。おそらく、蓮の花が日本でいつ咲いているのか知らないのかもしれない。

 私は、フロストの肩を叩いてこちらに注目をさせる。



「日本では、蓮は夏に咲くの。今は、なんだよ」




 ”春”を強調して、今が咲く時期でないことを伝える。流れる風は、確かに初夏の心地に近い。そんな初夏を感じさせるこの場所でなら、蓮が咲くのも納得かもしれない。



 しかしながら、それでも暦の上でも春だ。なかなか、そんな季節ミスをする花ばかりではないだろう。そこから導き出されるのは、やはりここは……



「ここは、ファンタジーの世界だ!」

「いや。同じ次元なはずだ。そこまでの次元移動は、できないはずだ」





 私の導き出した答えは、呆気なく消された。しかしながら、この考えは間違ってないと思っている。

 なぜなら、この異世界じみた光景はどう考えてもファンタジーだ。言っても、違うと言われるだけなので心の中に留めておく。




 大きく風が吹き、蓮の葉を揺らした。滝の水が風に煽られて、水滴をき散らした。

 飛び散った水に光が当たり、虹色の色彩を飾る。




『……シュイだ』



 コンパス姿のジィランが、声を発した。小さな小さな声だったので、聞き逃してしまいそうなものだった。



 ――シュイっていうのね。



「えっと……? どこにいるの?」



 周りを見ても、誰もいない。ただ大きな湖になっているだけで、上から滝が降ってくるのみだ。

 名前からして、水の妖精ぽい雰囲気が出ている。



 波打つ水面みなもを見つめてみても、誰も居なさそうだ。近くの蓮の葉が、大きく揺れた。

 揺らしたであろう人物を、目を凝らして探してみる。




「あれか」


 ――どれだ?



 彼の刺す指の先を辿ってみても、ただ少し波打つ水面みなもがあるのみだ。私のいる角度が悪いのかと思い、フロストの目の前に立った。



 それでも、何も分からない。右に左にと、身体を傾けて見つけようとするのに分からない。

 自分だけが見つけられない悔しさも相まって、絶対に探そうという気持ちが高まっていた。




 キョロキョロとしていると、胸元についたブローチがウンザリした声を上げた。




『なんで見つけられないのよ。それに、目がまわるんだけど?』

「え、どこ?」

『……』



 見つけられない私に、フィルは『もう言うことは何もない』とばかりに口を閉ざされてしまう。さらには、目がまわると言われしまえば、探すに探せない。




 じっとするしかしょうがなくなった私は、元いた場所に一歩二歩と下がった。隣にならび、目線だけをフロストと水面みなもとを行ったり来たりさせるしかなくなった。



 ジャバっと音を立てて、銀色の髪を持つ少女が顔を覗かせた。目元だけが水面から出ていて、全体像は分からない。



 それでもようやく、私もその姿を捉えることができた。長いまつ毛の影が、凍てつくような澄んだブルーの瞳に落ちている。


 

 ギラリと光らせるように、目を吊り上げてこちらを見てくる。ブルーカラーも相まって、ぞくりとした感覚になってしまう。



「……あれが、シュイ……」


 

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