第20話 満月の扉
重たいブーツ音が、ぴたりと止まった。それに合わせて、私の足も止まる。少し後ろのフロストを、振り返りながら不思議そうな視線を投げた。
どう考えても、ここまで順調に歩いてきたのだ。私の頭の中では、ハテナで埋め尽くされてしまう。
「フロスト? どうしたの?」
「いや。妙な感じがした」
私は、首をこてんと傾げて瞳を瞬きさせた。自分には何も感じなくて、彼は何を感じ取ったのだろうかと不思議でならない。
彼からの回答を、息を呑んでまった。地面の輝きが、ふたりの顔を下から照らしている。
夏場に子どもが集まって、ホラー話でもするように暗い影を顔に作っていく。それを彷彿させられ、ごくりと喉をならした。さらには、フロストの『妙な感じ』に心臓はどきりと音を立てて騒いでしまう。
「遠いことはわかっていた。でも、あまりに遠すぎる。それに月はもう真上にある……妙じゃないか?」
フロストのこの質問でようやく、何が妙なのか理解できた。なぜなら、この満月は徐々に上に登って来てなどいないのだ。
ずっと外を歩いていたのだから、その変化にはすぐに気づけるはずだった。それなのに、動く月をふたりは確認していなかった。
これを理解できた途端に、どっと汗が噴き出る感覚に襲われた。手にじんわりと滲む冷えた汗が、肝を冷やしていく。
ワクワク感とは違う意味で、心臓が忙しなく動き出した。口から飛び出そう、という言葉がぴったりなほどに大きな動きをしだした。
「お、おかしい……ね」
「どこが、その扉なんだ?」
そう言いつつも、フロストは冷静さを欠かない。それどころか、私が焦れば焦るだけ冷静さが増していくようにも見える。
わたわたとした動きで、左右を確認してしまう。
冷静そうな彼だが、宥めるような言葉は何もない。その代わりに、懐からガラスのような美しさを持つ氷の鏡を取り出した。満月の光を受けて、金の光を放っているかのようだ。
「これ、このまま進んでいいのかな!?」
「……静かに」
近くの草が微かに揺れる音がした。それをしっかり聞くために、人差し指を前に差し出して私に、音無しを促す。
ハッと息を呑んで、私は慌てて自分の口元を押さえた。口から発する音を極力無くそうとした。
(なに? なにがいたの?)
聞けない質問を頭の中で反芻する。頭の中で投げたのだから答えがなくて当然だ。しかしながら、答えもない質問を投げかけては、心拍を無駄に上げてしまう。
それほどに、緊迫感のある状況であると肌で感じるのだ。
ガサッ
茂みが再度音を立てて、揺れる。それを私の目でも確認した。指の隙間から、言葉にならぬ叫びが漏れそうになった。
短く息を吸って、耳元で大きな音を立ててる心臓の音だけが鼓膜を揺らす。
そこから出て来たのは、小さな金色の光だった。まんまる満月にも良く似た、その光は地面に弾んで動いた。その動きは、スーパーボールが地面で跳ねているようにも見える。
現実は小説よりも奇なりとは、よく言ったものだ。今目に映る全てが、ファンタジーそのものだ。
小説の中に迷い込んだ。と言われたら納得をしてしまいそうだ。
その光は、ふたりの目の前まで大きく跳ね上がって上空に輝く満月の月に重なる。
私の目は、これ以上大きく見開けないほど開かれて瞬きすらもせずにその光景に見入る。フロストも、冷静さを手放さないまま数回だけ瞬きをした。
なにやら考えた後に、自分の手の中にある氷の鏡をくるくるとし始めた。それは、彼だけがその光景の意味を理解したように感じさせた。
回したことにより、正しい位置にしたようだ。氷の鏡の鏡面を空に浮かぶ満月を写す。逆さになったその世界は、幻想的で目が眩みそうになる。
彼の行動の小さい一つ一つまでもが、瞳に映る。目を見張ったまま鏡面を覗いた。私は、自分が映らないようにだけ気をつけた。その満月の光にくらくらとして、足に力を入れてしっかりと立った。
当たり一面を覆う金の光に、目を開けていられなくなる。ぎゅっと
その刹那。ふたりが望む『満月の光の扉』が姿を見せた。
大きな満月が周りの木々を
ふたりの歩いてきたカラフルなイラストの道も、舗装もされていないただの道になっている。
その扉に吸い込まれるようにして、フロストがドアノブに手をかけた。古い扉が開くような音がして、重たそうな扉が彼の手によってゆっくりと開かれた。
緊張が走り、彼の黒のマントをひしと掴んだ。置いていかれないように、そして、この先に何かあってもいいように。
いろんな感情が渦を巻いて、心の中は嵐に飲み込まれていた。
(この先……どうなってしまうの?)
扉の先に、石畳の道が見えてきた。
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