第15話 目覚め
ハッとなり、霞のかかる瞳を瞬きさせて目を覚ましていく。寝てしまっていたという焦りからか、心臓が速い音を立てて耳の近くで鳴り響く。
クリアになった視界にまず、お腹にかけられた布団に目がはいる。さらには、沈み込む柔らかな感覚に自分がソファーベッドで寝ていることを理解した。
飛び起きるようにベッドから足を下ろす。
まだ、窓から差し込む日の明かりからして日中であることは間違いがなかった。出かけようとしていたのは、満月の光を集める夜だ。
今のこの時間は、出かけるにはまだ早いはずだ。
それなのに、近くにフロストの姿が見えない。
ヒヤリとしたフローリングの感覚がやけに生々しく、耳に届く静けさが呼吸をするのさえ苦しく感じる。
水の音ひとつも聞こえないこの部屋は、こんなにも静かだっただろうか。
心臓を締め付けてくるバンドを外せたら、どんなに楽になるか。しかし、締め付けてるのはそんなものではない。
自分の心臓を締めてる存在は、ここの部屋を充満する静かな空間なのだから。
自分の足跡でさえ、聞こえない。心臓の音ももう耳から遠いところで鳴っている。脈を打つ感覚だけを感じていた。
「……フロスト?」
小さくて静かな空気が飲み込んでしまいそうな声で、振り絞った声でフロストを呼んだ。
姿が見えていないのだから当然の如く、返事など聞こえてはくることはない。
喉を大きく動かして、リビングと隔ててる扉を開いた。初日の夜のように冷蔵庫を覗き込むフロストを想像して、そこにいることを祈った。
明かりもつかないキッチン。うす暗い場所には、やはり誰もいなかった。力が抜け、そのままぺたりと座り込んでしまう。
「居ない、なんてことある?」
「……香澄?」
私の背後から突然、心配そうに声をかけられる。そうこの声は――
「フロスト!?」
私が何に驚いているのか分からないフロストは、切れ長の瞳を開いた。窓が大きく開かれ、レースカーテンが風によって波打ち行ったり来たりを繰り返す。
確認はしていなかったものの、窓がここまで大きく開いていればさすがに気がつくだろう。フロストの姿が見えない動揺から、そんなことにまで意識が回らなかっただけかもしれないが。
彼の姿を見てようやく、苦しさから解放されて大きく息を吸い込んだ。まだ力の抜けた足に、エネルギーの巡りは遮断されており立ち上がれない。
両手を大きく広げて、フロストの方へ腕を伸ばした。半泣き状態の表情で手を伸ばす姿は、本当に子供さながらだろう。
「なんなんだ」
「だって! 起きたら居ないんだもん。フロストが悪いでしょ!」
「ちょっと確認しに行っただけだ」
少し鼻を啜って、宙に投げ出された腕をひらひらと動かす。早く自分の手を握れ、といった具合だ。
そんな行動をとったとしても、フロストは上から見据えるだけだった。
いまだに足に力が入らず、座り込んだまま立ち尽くしている彼を見上げる。
その冷ややかな目に観念をして、腕を足元にぽすんと落とした。膝にのしかかる自分の腕が重たくて、この場の空気感の重さを身をもって感じるのだ。
少し口を尖らせて、文句言うのもそれだけに留めておく。今は話を進めるべきなのだ。
「確認?」
「あぁ」
ようやく長い足を折って、私の視線に合わせた。切れ長の光の無い黒目が、私を捉える。揺れる視界は、薄い水面の膜が瞳を覆っている。揺れるたびに、水滴が溢れてしまいそうだ。
目覚めて回らない頭に、氷水をかけられたそんな気分だった。
「魔力がどれだけここで使えるか。魔法のないここで、どれだけ使えるものか知らないからな」
「魔法……」
「そうだ」
そう言ったフロストは、今朝のように手のひらをスッと出した。手のひらを上に向けて、私に手を差し伸べているような状況になっている。
その手のひらにキラリとひかる氷が、瞬時に現れた。小さな氷の結晶は、空から降ってくる雪をひと回り大きくした。そんな程度の大きさだ。
外から入ってくる太陽光が、氷の結晶に当たりクリスタルの輝きを放つ。
塩の結晶にもよく似た、その魔法の氷から目が離せないままにフロストに尋ねた。
「普段と同じぐらいだったの?」
「そんな上手くできてない」
ぎゅっと握りつぶすように、氷の結晶をもみ消された。出てきたのも一瞬であれば、消されるのも一瞬だ。あっという間の出来事に、私は魔法の不思議を目の当たりにした。
そこでようやく私は、手のひらからフロストの目に顔を移す。しかし彼は、空虚に視線を投げ飛ばし無表情に近い顔をしている。
しかし時たま、唇に力が入りぎゅっと一文字に結ばれた。
(そりゃそうだよね。環境が違えば、上手くいかないものだよね)
内心でなんとか、宥めの言葉を羅列する。その声は彼には届かない。それでも私は、何を言うべきか躊躇っている。
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