祖母が亡くなった
洲央
祖母が亡くなった
夕食後に横になっていたら、母から電話が来た。父方の祖母が亡くなったという。95か96だったと思う。老衰とのこと。最後まで穏やかに生きていたという。いつも優しく、他人を思いやり、笑顔の可愛い人だった。「ありがとう」を欠かさないおばあちゃんとして、介護の方や施設の方たちにも人気だった。自分は一、二年前、寝たきりながらもまだ「孫」の名前が分かった祖母と写真を撮った。自分と父で祖母を囲んで、親子3代で写ったのだ。他にも祖母の部屋にはたくさんの家族での写真があり、彼女のことを見守っていた。あの時、実家に帰って写真を撮ってよかったと、心底思った。
祖母の人生について、知っていることを少し書く。彼女は戦前の生まれで、10代の青春を戦時下に過ごした。7人くらいの大兄弟の末っ子だったらしいが、頼りになる性格から小さいながら「姉ちゃん」と全員に呼ばれていたという。その後、ソ連抑留から帰ってきた祖父と共働きし、私の父を育て上げた。当時、働く女性は珍しく、さらに農機会社という男ばかりの会社に勤めていたのもあって、まさに小さな巨人というべき人だった。祖父と共に結核を患い、肺を片方失った。目も片方悪くなりながら、彼女は働き続けた。父が幼い頃の私の実家は本家の「門」に住まわせてもらっている極限貧乏一家で、トイレは庭にやっていたし、部屋は一つしかなかったという。祖母は大変な苦労人だった。それなのに、他人を敬い、一切妬まず、常に優しい笑みを絶やさない人だった。祖母のような人を、徳のある人と言うのだろう。
祖母の節くれだった指のことを覚えている。太くて黒い、しょうがみたいな指。私が小学生の頃、どうしてそんな指なのか尋ねると、祖母はあの、ひだまりのように温かい笑顔を浮かべて言った。「たくさん働いたからねぇ」と。農機の会社で男に混じって懸命に働いた。家事もこなしていたし、庭で畑も作っていた。祖母の指はその過程で不可逆に腫れ、曲がり、汚れていったのだ。私はその手が好きだった。この手が私の父を、ひいては私を育ててくれた手なのだと、子どもながらに理解し、尊敬していた。
私の両親も共働きだったから、小学生の頃の私は放課後や風邪を引いた日は祖母に世話をしてもらっていた。ウルトラマンと怪獣のソフビを使って祖母と遊んだ。祖母は怪獣をいくつも並べ、私のウルトラマンが倒すのを、いつもニコニコ見守っていた。
祖母は、夫である祖父が亡くなってからは、私と両親の暮らすアパートに同居していた。今も兼ねた一室に暮らすことになっても何も文句を言わずに「〇〇子(母)の言うことを聞いていれば大丈夫だからねぇ」と、息子の嫁を信頼していた。嫁姑の問題は、私の家では一切なかった。
私が高校生になった時、祖母の家、すなわち私の実家に引っ越した。中学までは、転校したくなかった私の意思を祖母が尊重してくれていたのだ。祖父との思い出もある広い家に住むことよりも、孫である私の人生を、祖母は慮ってくれた。こちらの家で暮らすようになってから、失われたものも実はある。それが、祖母の作る揚げたジャガイモだ。私はこれが大好きだった。髪の毛ほども細くしたジャガイモを揚げて、サラダなどに乗せて食べる料理だ。幼い頃、祖母の家に行くと必ずこれが出た。まだ祖父も生きていて、刺身なんかと一緒にビールを飲みながら、はしゃぐ私を祖母と一緒に眺めていた。これはいつの間にか作られなくなり、もう二度と同じ味を食べることはできなくなった。
祖母はまた、旅行好きだった。というより、我が家はみんな旅行好きだった。祖父、祖母、両親の4人が全員働いていたのでお金はあったらしく、私が生まれる前はよく旅行に行っていたという。お気に入りは京都というのも、祖母の上品さにピッタリだった。私が生まれてからもけっこう旅行に行ったけれども、祖父が亡くなってからは年齢もあって家で留守番していることが増えた。好物のおやきを買っておけば後は大丈夫だった。まだ元気で、足腰もしゃんとしていて、庭の手入れも自分でやっていた。料理も、お風呂も、トイレも、祖母は何でも一人でできた。だから「すごく助かってるよ」と母はいつも言っていた。
私はおばあちゃん子だった。ばあば、と祖母のことを呼んでいたし、今でもそうだ。高校生くらいになると、祖母に大変お世話になっていることがさすがに分かって来て、彼女を尊重するようになった。日常の些細なことで、私は祖母を気遣っていた。それでも、祖母におばあちゃん孝行できていたとは言い難かった。思春期というんは自分のことで忙しく、他人、ましてや家族に何かしてあげようなんて考えないものだ。私は祖母の優しさを享受しながら、彼女に何も返せていなかったように思う。
そんな私が、明確におばあちゃん孝行できたのは、偶然が招いた出来事だった。先に、祖母は京都がお気に入りの場所だったと書いたが、私が受かった第一志望の大学が、偶然にも京都のど真ん中にあったのだ。合格発表の日、両親は仕事でおらず、家には祖母と私だけがいた。バレンタインデーで、外には雪が積もっていた。「合格」の文字をパソコンの画面に認めた瞬間、私は二階の奥の部屋から猛ダッシュで叫びながら外に出て、雪の中にダイブした。祖母は私が大学に落ちて頭がおかしくなったのかと思ったらしいが、受かったのだと知ると向日葵のように微笑んでくれた。
そして、私は京都に進学し、ゴールデンウィークに両親に連れられて、祖母が京都にやってきた。私の大学は見た目がものすごく綺麗なので、祖母に見せるにはうってつけだった。祖母は何度も「すごいねぇ」と繰り返し、「これからがんばってね」と私を鼓舞した。祖母は早くに疲れてしまい、ほとんど観光もせぬまま私の借りているアパートで眠った。
旅の終わり、家に帰った祖母は「もう旅行はいいです」と両親に告げたという。「これからは私は誘ってもらわなくて大丈夫ですから」と。体力的にも限界だったのと、京都を、孫の未来を見ることができて満足したとのことだった。
私は母からこの話を聞いて、生まれて初めておばあちゃん孝行できたと思った。京都の大学を選んだのは偶然で、祖母が京都が一番好きだと言うのは、この時に母経由で知った。祖母にとっても、私にとっても、京都の大学に進学したことは行幸だった。
祖母は健康オタクともいうべき人で、生活リズムも綺麗だったし、食も細いながらもしっかり食べていた。転ばないよう細心の注意を払い、決して無理をしなかった。だから90歳になっても自力で風呂に入れて、食事を用意でき、近所のスーパーに歩いていくことさえできた。
ある夏の日だった。庭の草むしりをしていた祖母は熱中症になった。軽かったが、これをきっかけに庭の手入れはやめることになり、池の水を止めたり、畑を放棄したりした。我が家の庭は祖父が趣味で手作りしたものであり、祖母にとっては夫との思い出の庭だった。自室から庭を眺めている時間は祖母の幸せそのものだったろうから、それが失われるのはつらかったに違いない。しかし、祖母は「みんなに迷惑かけるといけないから」と自主的に庭を手放した。
祖母が本格的に寝たきりになったのは、記憶が正しければコロナ禍だった。転んでしまって、腰を打った。幸い大事にはいたらなかったが、歩くことが怖くなってしまったのだという。徐々に座っている時間、寝ている時間が増え、歩けなくなるまですぐだった。この時期、コロナの移動制限で長らく顔を見せられていなかった私は、実家に電話するたびに祖母に一言かけさせてもらった。だいぶ耳も遠くなっていたが、私が「ばあば元気?」と言うと、「ええ、元気だよ。立派になって。身体に気を付けてね」という旨の言葉を、いつも優しく投げかけてくれた。
コロナがだいぶ下火になってきた頃に、ようやく私は実家に帰り、祖母と顔を合わせることができた。たった数年で一気に老けたことに驚きながらも、努めて笑顔で祖母に接した。祖母は大変喜んでくれた……と、そう思いたい。序盤で書いた「写真」はこの時に撮った。その次に帰った時には祖母は施設に移っており、会いに行った日はちょうど深く眠っていた。相変わらず「ありがとう」を欠かさない人だと職員さんから話を聞いた。さすがああばだと思った。うちのばあばはすごいだろう。
部屋を出る前、二人きりになる時間があった。私は祖母の手を握った。しょうがのような、太くて、歪で、けれども痩せて細くなってしまった指が、可愛く丸められていた。「ばあば、来たよ」そう言って、もう、それ以外のことが思い浮かばなかった。だからじっと顔を眺めた。痩せてしまったなと思った。眉毛は伸び放題だし、鼻毛も切ってあげたいと思った。静かに息をする唇は、昔から変わらない薄い紅の色だった。「ばあば」そう、呼びかける。「ばあば」と、何度も、何度も呼んだ。握っていた手が私の熱で温かくなり、何か、「ばあば」という声が、祖母の中に流れ込んでいくような気がした。
やがて私はばあばから離れ、「よろしくお願いします」と家族そろって頭を下げた。次に帰るのは年末だろうから、その時には起きているといいねと家族で話した。でもまた同時に、その時までにもしかしたら祖母は……というのも、家族全員が覚悟していることだった。
今日の朝、母親からラインが来た。水曜日にお医者さんが見てくれて、「頑張っていますね」とのことだった。長くはないから、覚悟しておいて。そういう意味だということだった。
そして同じ日の夜に、祖母は静かに亡くなった。
祖母が亡くなった 洲央 @TheSummer
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