第一話 その刀は何を斬る・前編
「いやあ〜本当に姐さんおかげで助かりました」
ごろつき連中を打ち倒した後、ヘイスケとカスミは連れ立って居酒屋で祝杯をあげていた。
机には酒と茶碗、煮物に焼き魚に漬け物などが並んでいる。
「すいやせん、あっしの懐だとこんなもてなししかできやせんが」
「なにを言うヘイスケ。こんな馳走は久しぶりだ。フキにタコと里芋に…この匂い、焼き魚はボラか?」
カスミはうきうきした様子で言う。
匂いでこれほど、献立が分かるものかとヘイスケは感心した。
「いえ、確かメナダだとか」
「メナダか。久しぶりだな!」
嬉しそうに笑うカスミ。その表情はどこか無邪気でさらに彼女を若く見せ、同時にヘイスケは好感を抱いていた。
(ああ、この姐さんはなんだか童のように笑いなさる……まるでシズのようだ)
先ほど荒くれ者どもを圧倒した人と、とても同じ人物とは思えない。そんなあどけなさを残した純朴な笑顔だった。
そんなヘイスケの思いは、食事が始まるとさらに強くなった。
なにせカスミは何を食べても美味しそうに顔をほころばせ、酒は水のようにくいくいと飲み干していく。
気持ちいい食べっぷり、飲みっぷりとはこの事を言うのだろう。
しかしその間も、刀に向かって『美味いぞサナエ』とか『昔一緒にタコを食べたな』などと、話しかけるのにはヘイスケも少し閉口していた。
「おーい、追加でイカリングと豆乳グラタンな」
「はーい、3番テーブルさん、イカリングと豆乳グラタンね」
「姐さん、じゃんじゃか食べて下さいね……ってどうされたんですか?」
カスミの方を向き直したヘイスケは、驚きの声を上げた。
彼女は口元を押さえて、体は小刻みに震え、顔は下を向き閉じた瞼からは涙がこぼれている。
「な、何かあったんですかい?」
「…………………かりゃい……!」
カスミは口を開けて舌を出し、置かれている大根葉の漬け物を指さす。
ヘイスケは大根葉が、それほど辛いのかと思ったが、答えはすぐに見つかった。
大陸からヒノモトに伝わった赤辛子だ。この辺りでは風味づけのために、葉物の漬け物に混ぜるが、それを食べてしまったのだろう。
「そ、それならそうと最初に言え、うつけ者!あたしは目が見えぬのだからな!」
「す、すいやせん!どうか機嫌を直してくだせえ」
謝りながらヘイスケはカスミのぐい呑みに酌をする。
それを辛さを抑えるためかぐぅーっと一気に飲むカスミ。
これまで相当飲んでいるが、酔ったそぶりはまるでない。
どうやら酒もかなり強いようだ。
「……まったく………して、話は変わるがヘイスケよ、お主なぜあの者たちに追われていた?あたしは顔は分からぬが、おそらく堅気ではなかろう」
恐縮していたヘイスケに、カスミはいきなり疑問をぶつけた。
その顔にはもうそれまでの、朗らかさや無邪気さはなかった。
ヘイスケは黙って、カスミのぐい呑みに酒を注ぐ。
「黙り込むな。言ったはずだ事情を説明してもらうと。やくざとは言え本当は、理由も分からず人を叩きのめしてよい訳もない」
今度はちびりと、舐めるように酒に口をつける。
ヘイスケは何やら考え込んでいた様子だったが、自分の酒をぐいと飲みこむと、カスミの方を見据えた。
「……姐さんだから言いますがね、あいつらはシノヤマ組って言います。最近はぶりのいいやくざの組なんですよ」
「ほおっ。景気のいいことだ」
「呑気な事を言わんでください。やくざが羽振りがいいって事は裏に何かあるに決まっているじゃないですか。大きな声じゃ言えませんがね、あいつら鎖国がないのをいい事に、ご禁制品で商売をしているんですよ」
カスミの右眉がピクリと跳ねた。
鎖国令が破棄されて70数年。公的私的を問わず、貿易も旅行も基本的には自由となった。
しかし幕府は体制を揺るがしかねない、大陸の麻薬や魔導書・モンスターなどを『禁制品』としてヒノモトへの持ち込みを禁止していた。
「薬か?」
「ご明察。あいつら、ヒョロインだかコズインだか知らねえが、南蛮の魔法で生成された麻薬を裏で売ってるんでさあ」
魔法。中央大陸西部の国々に存在する国家魔導士らが使う妖の術。
ヒノモトにも陰陽師という似たような術を用いる職種があるが、麻薬を作り出すのは陰陽師の術にはなかった。
「なぜ奉行所に訴え出ない?ここキブカはタイクーン閣下のお膝元の隣だ。幕府直轄領だろう」
「……これも大きな声じゃ言えませんがね。シノヤマ組のやつら、幕府の何某かって高官と裏でつながっていると専らの噂なんですよ。かなりの袖の下を掴ませて、お目こぼしをしてもらってるってね」
カスミは露骨に不機嫌な顔をした。
「………ふむっ、天下のご政道に口を出す気はないが、タイクーン閣下の閣僚にそのような輩がいるのは本当ならば嘆かわしいな」
「とはいえ、その高官だってシノヤマ組と心中する気はないでしょう。動かぬ証拠さえあれば、あっさりと切り捨てるはずです。お前らなど知らんってね。姐さんだってお侍だ、分るでしょうそういう上の連中の汚さ」
カスミは答えない。二人の目の前にはいつの間にか運ばれてきたイカリングとグラタンが湯気を立てている。
「だから、その動かぬ証拠を掴もうとしたのか?」
「そうです。なんとかならねえかと、このところあいつらのカジノに入り浸っているんですが、生憎と何も……ついには怪しまれて今日の追いかけっこですよ」
「………なぜそうまでする?正義の為などという、高尚な理由ではなかろう」
カスミは同情をするような口調で尋ねた。なるほど、シノヤマ組のあくどさとヘイスケが追われていた理由は分かった。
しかしそれだけではヘイスケが、危険を冒してまでシノヤマ組と渡り合う理由にはならない。
「…あっしには妹がいましてね。歳は姐さんぐらいだったかな。痩せてる癖に食うのが好きな奴でしたよ」
カスミは妹という言葉に一瞬反応した。ヘイスケはぽつりぽつりと、話し出す。
「オヤジとオフクロを流行病で早くに無くしちまってね、あっしにとっちゃ唯一の肉親でした……それでそんなシズも年頃になると、生意気に好いたの惚れたの言い出しましてね」
妹のシズの事を語るヘイスケはどこか嬉しそうだ。
「魚屋のゴンタって男といい仲になりやしてね。顔はまあまあだけど、一本気な良いやつでした。魚屋の親分とも話してね、いずれ夫婦になる……そう思ってたんですよ」
ヘイスケの表情が一気に曇った。
「ゴンタの野郎、どこで聞いたのか身体にいいサプリメントだって騙されて、シノヤマ組の麻薬に手を出しちまった……!ありゃアヘンなんかよりよっぽどタチが悪いや、あいつみるみる痩せて目ばかり血走ってやがった」
思い出すのも辛いのかヘイスケの手が細かく震える。
「ヘイスケ、辛いなら──」
「いえ、ここまで話したら最後まで言わせてくだせえ。ある日ゴンタのやつ薬で幻でも見たんですかね。自分の長屋で商売道具の出刃を振り回しやがったんですよ……そこにまあ間の悪い事に……」
「妹御が訪れたのだな」
ヘイスケは深く頷いて続ける。
「運ってのは悪い時はとことん悪いもんです。出鱈目に振り回した出刃が、ドンピシャでシズの喉を裂いちまった……長屋は血の海ですよ。そんで血を見て我に返ったのか、ゴンタのやつそのまま首をくくりやがりましてね。血文字で『魚屋の親分、ヘイスケさんに合わせる顔がねぇ』って書いてありましたよ」
ヘイスケの目にはいつしか涙が浮かんでいた。
「あっしは二人の遺骸を見て思いましたね、シノヤマ組の連中は許しちゃなんねぇ。命に替えても潰してやるってね……だからあそこで捕まって、下手したら死ぬワケにゃあいかなかった。そんな事になったら、あっちでシズに『兄さん何やってんだい』って言われちまう……そんな訳で、姐さんには感謝してもしきれないんですよ」
ヘイスケは絞り出すようにそう言った。
カスミはかける言葉も見つからず、どこか誤魔化すように冷め切ったイカリングを口に運ぶ。
「硬いな……このイカ」
その投げかけにヘイスケは答えなかった。
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