疾風のドラゴンメイド!

 異空間と化した東京駅地下は膨張し、歪曲されていた。

 タイル張りの床やコンクリートの壁に既視感はあれど、複雑に入り組んだ通路に秩序性はない。

 それが東京迷宮第1層。


「…はやく伝えないと」


 閑散とした灰色の通路を歩く1人の青年。

 成果の1つも抱えず、装備は破損が目立つ。

 満身創痍の彼は失敗した探索者に見えるだろう。


「これは人為的な魔術災害ウィズ・ハザードだ…!」


 持ち帰ろうとしている情報こそ最大の成果。

 これから東京駅を襲う惨禍を伝えんと這ってでも前へ進む。


「うわっ!?」


 突如、通路に吹き荒れる暴風。

 灰色の粉塵が視界を覆い、大気の悲鳴が鼓膜を叩く。


「くっ……追手か!」


 反射的に銃杖ガン・ロッドを構えた瞬間、ぴたりと風は止む。


「な、なんだったんだ…?」


 風切り音が不気味に木霊する通路で、青年は恐る恐る周囲を見回す。

 魔術ではない。

 しかし、自然現象でもない。

 あえて喩えるなら、竜の息吹のような――


「魔力は……こっちから!」


 暴風の正体たるエフェメラは壁を蹴って、通路を直角に曲がる。

 その眼前に現れる黄褐色の影。


「えい!」


 壁と水平に振り抜かれたデッキブラシが風を断つ。

 爆ぜる血肉、宙を舞う目玉。

 悪食蜥蜴マルゲッコーは開けた大口ごと頭を吹き飛ばされて沈黙する。

 スイングの勢いを殺さず、エフェメラは一回転して着地。


「むっ!」


 着地を狙った肥大鼠ファットラットが見たのは、チリトリが描く銀の軌跡。

 鮮やかなピンクが灰色のタイル床を彩る。


「あれが駅に来たら大変ですね……」


 翡翠色の瞳は通路を埋め尽くす異形たちを睨む。

 迷宮を闊歩するモンスターは、原生生物が変質したもの。

 傀儡魔術マリオネットで人為的に操られなければ、ここまでの群れを形成することはない。


「お掃除します!」


 そう一方的に宣告し、ドラゴンメイドは床を蹴る。


「とぉ!」


 投擲されたチリトリは音の壁を切り裂く。

 衛生害虫ニブルの群れが小気味よい音と共に両断され、体液を散らす。


「ほあっ! てぇぃ!」


 デッキブラシの一振りが肥大鼠を弾き、悪食蜥蜴を挽肉に変えた。

 破砕、粉砕、爆砕。

 砲爆撃のようなは、通路を真っ赤に染め上げる。


「こんなものかな!」


 死屍累々。

 1分後、生者はエフェメラを除いて存在しなかった。

 デッキブラシを肩に乗せるドラゴンメイドは、満足げに豊満な胸を張る。


「む……こっちに来る」


 黄金の髪より飛び出す角が、魔力の流動を捉える。

 傀儡魔術の使用者は近い。

 壁に刺さったチリトリを引き抜き、通路を右に回る――


「きゃぁっ」

「わっ」


 通路の陰から現れた華奢な人影が、エフェメラの胸へ飛び込んだ。

 デッキブラシの床を叩く音が反響する。


「大丈夫ですか?」


 咄嗟に相手を受け止めたエフェメラは、翡翠色の瞳を瞬かせる。


「え、あ、メイドさん…?」


 胸に顔を埋めるのは、桜色のツインテールが目を引く少女だった。

 我の強そうな碧眼が微かに潤んでいる。

 魔術技巧を編み込んだ装いは煤で汚れていたが、間違いなく探索者だ。


「っ! どうしてこんなところに!」


 安堵は一瞬、現実を思い出した少女の表情が絶望に歪む。


「早く逃げて! やばい人造魔人ウィズボーグが――」

『これで6人目か』


 通路の奥より響く冷徹な声に、少女の肩が跳ねる。

 闇から姿を現した男は、まるで小山のようだった。


 魔術技巧を身体に移植し、超常の力を得る――それが人造魔人ウィズボーグ


 絶大な戦闘能力から地球社会では禁忌指定された生体兵器だ。


「あなたですね!」


 そんな大男へチリトリの切先を向け、眉を上げるメイド。

 犯人を見据えた翡翠色の瞳には、義憤の火が灯る。


「駅にモンスターを送り込むのを止めてください!」


 傷ついた少女を庇うように抱き、エフェメラは真正面から抗議した。


『……そのモンスターはどうした?』


 傀儡魔術の使用者は微かに身動ぎする。

 巨躯を隠す鼠色のロングコートが揺れ、濃厚な死の気配を放つ。


「お掃除しました!」

『話にならん』


 人造魔人は表情一つ変えず、メイドの戯言と切って捨てる。

 そして、身体に埋め込まれた魔術技巧が駆動を始める。


『何の手違いで迷い込んだか知らんが』


 ロングコートの皮を破って現れる人造魔人の左腕。


 否、それは腕ではない――砲身だ。


 民間には流通していない砲戦型ハウザーモードの銃杖。

 人間など影すら残さず消滅させてしまう代物だ。


「やばぃ…!」


 豊満な胸で窒息しかけていた少女は、必死にメイドの背を叩く。

 しかし、エフェメラは首を傾げて笑うだけ。

 銃杖に火が灯り、死を投射せんと唸る。

 万事休す。


『死んでもら――』


 迷宮に風が吹く。


「え?」


 死は訪れず、小気味よい音が少女の耳を撫でる。


『は?』


 地へと落ちる人造魔人の

 遅れて、ロングコートの切れ端より覗く断面から血が噴き出す。


『ば、馬鹿な!』


 驚愕で表情を歪める人造魔人は、背面のコンクリート支柱に刺さった掃除用具チリトリを睨む。

 魔術の介在しない、ただの投擲であった。

 ゆえに理解できない。

 いかにして魔術技巧の防御を突破したのか。


「やめる気はありませんか?」


 埒外の存在エフェメラは、変わらぬ調子で問うた。

 惚けている少女を解放し、足元のデッキブラシを拾い上げる。


『計画の脅威は排除するっ』


 人造魔人はタイル床を踏み砕き、迷いなく吶喊。

 細められる翡翠色の瞳。


「分かりました」


 忠告は無意味、ならば慈悲は無用であろう。

 ドラゴンメイドは一歩前へと踏み出し、少女から離れる。

 足幅を開き、得物を両手で握って構えた。


 掃除用具デッキブラシごときで止められるはずがない――普通であれば。


 彼我の距離は、零。

 振り抜かれた剛腕が音を貫き、ヴェイパーの白を纏う。


「ていっ!」


 スイングの掛け声は軽い。

 されど、その一打は竜を殺し得る。


 質量の激突――大気が爆ぜ、迷宮が鳴動する。


 魔術技巧の瞬きを最後に粉塵が舞い上がり、勝敗を覆い隠す。


外部記憶領界アカシックレコードの底で反省してください」


 勝者の囁きが薄闇に刻まれる時、敗者が地へと落下する。

 それは大鬼オーガの骨で補強された人造魔人の半身。

 彼が傀儡魔術を唱えることは二度とない。


「……よし」


 散らばった四肢から魔力が失せたことを確認し、エフェメラは小さく頷いた。


「お仕事、完了です…!」


 デッキブラシの先端を床に突き、力強く宣言する。

 戦塵を連れ去る風がエプロンドレスを戦旗の如く靡かせる。

 斯くして禁忌を犯した悪は滅んだ。

 これまでの仕事にはなかった充実感を覚えつつ、エフェメラはチリトリの回収へ向かう。


「あ、あの!」


 そんな彼女を呼び止める声。

 機嫌よく揺られていた尻尾が上を向く。

 翡翠色の瞳は桜色のツインテールを映し、潤む碧眼と相対する。


「ど、どうかされましたか?」


 エフェメラは探索者の少女へ慌てて駆け寄る。

 抱き留めた時点で怪我はなかったが、その後も無事とは限らない。


「あなたの名前は…?」


 しかし、心配は無用であった。

 熱に浮かされたような口調で問う少女に、ドラゴンメイドは口元を緩める。

 なんということはない。

 返答は簡単だ。


「エフェメラって言います!」


 屈託のない笑みで、そう答えた。

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