無職のドラゴンメイド!

 摩天楼の林立する東京の空から蒼が失われて久しい。

 白く霞んだ空には、文化的貴族種たるドラゴンの影が辛うじて見えた。

 迷宮幻出都市ラビュシティは迷宮の吐き出す呼気で、年中薄霧に覆われている。


「うぅ…これからどうすれば……」


 そんな霧の都を、クラシカルなメイド服を纏うドラゴンメイドが歩いていた。

 尻尾を引き摺り、とぼとぼと歩く彼女の名はエフェメラ。

 無職である。


「家賃は来月、光熱費も払えるし、ご飯は……」


 傷だらけのスマートフォンを慎重にタップし、独り言を呟く。

 そんな彼女の鼻をくすぐる香ばしい匂い。


 その源は、高架の下――黒一色で塗装されたシックなキッチンカーだ。


 薄霧の中でも煌々と輝く窓口を見て、翡翠色の瞳が潤む。


「我慢できるっ」


 半開きの口から垂れた涎を拭い、エフェメラは誘惑を振り切る。

 好物であるコカトリスのチーズ串焼きを、断腸の思いで諦めた。


「でも――」


 なぜなら、彼女には食よりも優先すべきものがあったのだ。


「今月発売のプレデターウィッチが買えない…!」


 エフェメラはオタクであった。


「特典のリーフレットが気になるのに!」


 それも重度のオタクであった。

 借家がグッズの宝物殿と化すほどの。

 異界の門が開かれようと日本のサブカルチャーは需要に応えている。

 地球文化は異人種も受け入れる――


「よくも足を踏んでくれたなぁ、じいさん」


 薄暗い高架下を反響する粗野な声。


「な、なんのことでしょう?」

「おいおい、呆けてんのか?」


 翡翠色の瞳に映るのは、作業服姿の老人とジャケットを羽織った男。


「足を踏んだって言ったろうが!」

「わっ…!」


 突き飛ばされた老人が尻餅をつき、帽子が路上を転がる。

 しかし、通行人は見て見ぬふり。


「汚ねぇ靴で踏みやがって」


 なぜなら、そこにいるのは荒事を生業とする探索者だからだ。

 魔術技巧ウィズテクを編み込んだジャケットにブーツ、腰には銃杖ガン・ロッドと完全武装。

 助けに入れば命が危うい。


「新品が汚れちまっただろ……って」


 そんな探索者の眼前に、1人のメイドが立ち塞がる。


「なんだ、お前?」


 探索者も、老人も、通行人すらも目を見開き、彼女を見ていた。

 ドラゴンメイドのエフェメラを。


「メイドさんが何か用か」

「言いがかりをつけるのはよくないです」


 胡乱な視線を真正面から受け、エフェメラは堂々と言い放つ。


「あぁ?」


 高架下の空気が一気に緊張の色を帯び、通行人たちは足早に立ち去っていく。


「俺が嘘ついてるって言いたいのか?」


 凄む男のブーツを一瞥すれば、汚れ一つない。

 鋭く細められる翡翠色の瞳。


「お嬢さん、危ないよ…!」

「人を突き飛ばす嘘つきこそ謝るべきです」


 老人の忠告を受けてもエプロンドレスを翻すことはない。

 エフェメラは悪事を決して見過ごさない。


「言ってくれるじゃねぇか、外来種ローバー!」


 男はホルスターから武骨な得物を抜く。


 触媒によっては戦車すら破壊する魔術技巧の結晶――銃杖ガン・ロッド


 その銃口がエフェメラの額を照準する。


「ここは日本人の街だぞ?」


 頭上に伸びる角は異人種の証。

 それを顎で指し、探索者は公然と嘲る。

 これで激情したところを返り討ちにして、金を強請るのだ。


 ほくそ笑む男――その視界からメイドの姿が消える。


 薄霧を切り裂く黄金の風。

 瞬きの後には、しなやかな指が銃身を握っていた。


「は?」


 鼓膜を叩く金属の悲鳴。

 認識の遅れた男の眼前で、銃身が


「嘘だろ!?」


 非純正イリーガルとは言え、魔法銀ミスリルの銃身を握り潰すなど不可能だ。

 それを為す存在とは何者か?


「く、くそっ!」


 男は自慢の得物を手放し、脇目も振らずに逃げ出した。

 引き際を見誤る探索者は長生きしない。


「高い授業料になりましたね!」


 手柄顔のエフェメラは腰に手を当てて、たわわな胸を揺らす。

 それから銃杖の残骸をエプロンドレスのポケットに仕舞い込む。

 不法投棄は罰金だ。


「お嬢さん、助けてくれてありがとう」

「当然のことをしただけです!」


 ふんす、と鼻息を漏らし、老人に手を差し伸べるエフェメラ。

 そこに腹の虫の鳴き声が響く。


「あぅ……お腹が空きました……」


 悪漢を鮮やかに撃退しようと腹は膨れない。

 後悔はないが、空腹とは耐え難いもの。

 萎びるドラゴンメイド。


「お礼にご馳走させてもらえないかな?」


 そんなエフェメラの手を借りて立ち上がった老人の申し出。

 垂れていた尻尾がエプロンドレスの裾を捲って立つ。


「え、いいんですか――あ」


 目を輝かせたのは一瞬のこと。

 厳しい現実を思い出したエフェメラは、自らの足元に視線を落とす。


「どうしたんだい?」

「…お仕事を探さないといけないので」


 人差し指を胸の前で合わせ、ばつが悪そうに答えるエフェメラ。

 両手の指では足りない解雇を受けた彼女の未来は暗い。


「仕事を探してるのかい?」

「はぃ……」


 返事の声量は尻すぼみになっていき、翡翠色の瞳に涙が滲む。

 まるで雨に打たれる捨て犬のようだった。

 そんな恩人の姿を見かねた老人は、意を決して口を開く。


「なら、うちに来るかい?」

「へ?」

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