第46話 君のために (ナユハ視点)
これは夢だろうか?
遠く、遠く、うすらぼんやりとした視界の中。二人の男女が幸せそうに笑い合っていた。
顔はよく分からない。
それでも、二人が心の底からの笑顔を浮かべていることは分かった。
女性のお腹はとても大きく膨らんでおり。
もうすぐ赤んぼうが生まれるのだと、誰に説明されるでもなく理解することができた。
あれは、
あの女性は、もしかして――
◇
――激痛で目を覚ました。
まず認識したのは右手の痛み。そして息苦しさ。辺りは暗く視界はほとんどない。
(……落ち着いて。まずは現状確認)
鉱山で働くにあたって、まず教えられたのは落盤事故の際の対応。私は今までの言動が信じられぬほど冷静に“生き残るため”にできることをやり始めた。
(私の名前はナユハ・デーリン。罪人の娘で、今はレナード領の鉱山で働いている。そして先ほど、作業中の洞窟でおそらくは落盤事故が起こった)
記憶に障害は無し。ただ、右手の痛みのせいであまり深い思考はできそうにない。
「――灯火(リヒト)」
私に炎系魔法の適正はないが、それでも初級くらいなら使うことができる。
わずかな明かりは、落ちてきた岩で押しつぶされた私の右腕を克明に映し出してくれた。
右手はもうダメだろう。
私は瞬時に諦めた。
回復魔法は理屈で考えれば患部の時間を巻き戻すというもの。切断されたくらいなら切り口の時間を巻き戻すだけでいいのだが、このように押しつぶされてしまってはもう無理だ。
骨、筋肉、神経、血管、皮など。腕一本分をすべて“回復”させようとしたら、たとえリリア様でも魔力が足りないだろう。
そして、リリア様に無理ならきっとこの世界の誰にも不可能だ。彼女にはそれだけの保有魔力があるのだから。
右手はダメだが、それでも生きるためには止血はしなければならない。私は着ていたシャツを切り裂いて即席の包帯を作り、右手の止血を行った。
幸か不幸か、押しつぶされた右腕はうまいこと切断されたようで、私は問題なく立ち上がることができた。これで岩に潰された腕が繋がったままだと起き上がることすらできなかっただろう。
右手は二の腕の半ばほどからなくなっていた。
気絶していたときに血を失いすぎたのか、あるいは酸素が少ないのか頭痛がする。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け)
自分に言い聞かせながら灯火(リヒト)で辺りを照らし出す。
正面に見えたのは岩の壁。天上の高さは私がギリギリ立ち上がれる程度しかなく、明らかに落盤によって空間が狭められていた。押しつぶされなかったのは幸運だ。
しかし、空気の残量は残り少ないだろう。そう考えると岩に押しつぶされていた方が苦しまずに済んだかもしれない。
でも私は生きている。
生きているなら、何とかしなければ。
私は焦る心を必死に押さえつけながら後ろを振り返り――
「――――っ」
悲鳴を上げなかった自分を褒め称えたい。
後ろにいたのは首のない男性。苦悶の声すら漏らすことなく、自分の身長の二倍はあろうかという巨岩を支えている。もしも彼がいなかったら、私はあの岩に押しつぶされていたはずだ。
首のない男性。ゴーストかファントムかは分からないけれど十中八九幽霊だろう。私に幽霊の知り合いは愛理様しかいない。いない、はずだけれども……。
「……おとう、さま?」
なぜかそうつぶやいていた。
後ろ姿で、首がないというのに。それでも私は、彼のことがお父様であると理解してしまったのだ。
首のない男性から返事はなかった。当然だ。口もないのだから声を発せられるわけがない。
それでも私は彼がお父様であると確信して言葉を紡ぐ。
「お父様、いいんです。止めてください。私は、罰を受けなきゃいけないんです」
お父様は動かない。振り返るそぶりすら見せず岩を支え続けている。
幽霊だからといって痛みがなくなるわけではない。無限に力が湧いてくるわけでもない。むしろ生き物としての体力がない幽霊は精神力や自らの魂そのものを『力』に変えるしかない。
魂。
この世界の基本は輪廻転生。良き行いをしたものは次回の出生が恵まれるし、悪い行いを繰り返せばそれ相応になると信じられている。
そして、妖精様に喰われるような悪人や、魂が破損した者は転生することもなく消え去ると言われている。
今、お父様は自分の魂を力に変えているのではないか? そんなことをしていては、魂が破損してしまうのではないか?
「……お父様、もう止めてください。私はいいんです。こうなることは分かっていました。自分で自分が許せないんです。なのに自ら命を絶つ勇気すらなくて……。こうして、事故による死を期待していたんです」
お父様は振り返らない。
ただ、私の頭の中に、とてもとても懐かしい『声』が響いてきた。
――生きて欲しい。
――生きて、幸せになって欲しい。
――私も、ミスティも、それだけを望んでいた。
――私は、間違えてしまったが。
ミスティとは、私のお母様の名前だ。
お母様は自分の治癒よりも私の蘇生を優先してくださったという。
私が黒髪であると、分かっていたはずなのに……。
「あ、ぁ……」
生きて欲しいと望まれていた。
どうして忘れていたのだろう?
どうして勘違いしていたのだろう?
私のせいでお母様が死んだのではなく、
お母様は、命がけで私を生かそうとしてくれたのだ。
私はお母様から愛されていた。
この命は、お母様が救ってくださった命なのに。
簡単に捨てていいものではなかったのに……。
……あたまがいたい。
止血した傷口から、血がしたたり落ちている感覚がある。
息苦しさは先ほどよりも増している気がする。
お父様が力尽きて岩の下敷きになるか。失血が原因で意識を失うか。あるいは、空気がなくなってしまうか。いずれかは分からないけれど、たぶんそう遠くないうちに私は死んでしまうだろう。
――死。
むしろ望んでいたはずなのに。死による贖罪を願っていたはずなのに。目の前に死が迫っていると理解した途端に私の背中には怖気が走り、歯からカチカチと音が鳴り始めた。
覚悟はしていた。
覚悟はしていたのに、今の私は死を恐れていた。
あぁ、
私はなんて愚かだったのだろう。
なんて頑固で頑迷だったのだろう。
お母様は命をかけて私を救ってくださった。
お父様は、処刑された今も私を助けようとしてくれている。
その事実だけで十分だ。
二人のためにも、私は生きなきゃならなかったのに……。
――命を粗末にしてごめんなさい。
とっくの昔に気づいていたんです。被害に遭われた方々すら許してくださっているのに、それでも私が贖罪にこだわっているのは“逃げ”でしかないと。
恐かっただけなんです。
デーリン家の娘として、罪人の娘として、人の間(あいま)を生きていく勇気がなかっただけなんです。批判に立ち向かうことすらできない臆病さを、贖罪という綺麗事で飾り立てただけなんです。
ごめんなさい。
ワガママを言ってごめんなさい。
優しい心遣いを踏みにじってごめんなさい。
私は謝らないといけない。
お母様に。
お父様に。
ガルド様に。
リース様に。
私を心配してくださった皆様に。
そして何より。
こんな私の友達になってくださった――リリア様に。
不意に鼓動が乱れた。
今までにない恐怖が襲ってきた。
リリア様の笑顔を思い出した途端。私は涙を止めることができなくなってしまった。
あたまがいたい。
みぎてがいたい。
いきがくるしい。
状況は最悪。
お父様もずっと岩を支え続けることはできないだろう。
ガラリ、と。音を立てて岩壁の一部が崩れ落ちた。
いつ、この空間が押しつぶされても不思議ではない。
助けが来るのはいつだろう?
普通の人間では私がどこに埋まっているかすら分からないし、たとえ鑑定眼(アプレイゼル)持ちが私の場所を見つけても、この空間が崩れないように岩を掘り返すのは不可能に近い。
いや、たとえ全力で掘り返したとしても、きっと私が失血死するか窒息死する方が早い。
もうすぐ私は死ぬだろう。
死んでしまったら、もう、謝れない。
会うこともできない。
お喋りすることも。
一緒に笑いあうことも。
もう、二度とできないのだ。
「――死にたくない」
私は立ち上がった。
「生きたい」
お父様の横に立ち、岩を支える手助けをする。
「もう一度、あなたと」
――
「遊んだり、失敗したり、笑いあったりしたい」
地面から生えた無数の腕が巨石を支える。生きるために。もう一度、あの人に会うために。
「泣いてもいい。苦しんでもいい。悲しい目に遭ってもいい」
あなたと一緒なら。
私は、きっと大丈夫。
だから。
もう一度。
いいや、何度でも。
私は、あなたに会いたいんだ。
「リリア」
はじめて、敬称を付けずに名前を呼んだ。
友達だから。
名前を呼んだ。
そして、それと同時に――
「――
待ち望んでいた声を、聞いたような気がした。
空間に光が走る。
この世界のものではない文字が刻まれた、光り輝く綺麗な帯。
一目見たら忘れるものか。
この美しさが色あせるものか。
リリアの
同時、
地震かと錯覚するほどの揺れが私たちを襲った。地震にしては長く、不規則な震動。
原因はすぐに分かった。
揺れが収まるのと時を同じくして光の帯が消えたから。
周囲にあったはずの岩がなくなっていた。
目に飛び込んできたのは満天の星と、見上げるほどに大きなゴーレム。
見覚えがあった。
リリアが王都へ岩を運ぶために錬成したゴーレムだ。
ならば。
ならば彼女もいるのだろう。
「――この! バカっ!」
頭部に衝撃が走った。
後ろから近づいていたリリアに“げんこつ”を落とされたのだ。
痛い。
振り返ると、目元に涙を浮かべたリリアが。
私も涙がこみ上げてくるけれど、げんこつの痛みということで。
「……結構痛いよ、リリア」
「当たり前だよ痛いようにしている――」
リリアの動きが止まった。なにか変だっただろうか?
右手が切断されてしまったこと? いいや、リリアはあまり驚いていないというか、まったく驚いていなかった。まるで私が腕を失うことを知っていたかのように。
リリアは対人戦闘経験が豊富らしいから、片腕がなくなったくらいでは動揺しないのかもしれない。
では、一体何に驚いているのだろうか?
「ナユハ、口調……。それに、私の名前……」
リリアの言葉で納得した。ちょっと前まで敬語で『リリア様』と呼んでいた私が馴れ馴れしく呼び捨てにしているのだ。リリアの驚きも理解できるというもの。
やはり急に変えるのはダメだっただろうか?
忘れがちだけど私はもう平民で、リリアは貴族。罪悪感を抜きにしても――
「あ、ナユハ。そのままでいいよ。友達なんだからそっちの方が自然だもの」
先回りして釘を打たれた。眼帯を外しているから“左目”で心を読んだのかもしれない。
……なるほど。左目の力を使って私の埋まっている場所を見つけ、ゴーレムで掘り出してくれたのか。私たちを包み込んだあの
じぃっとリリアが左目で私を見つめてくる。
不思議と、あのとき感じた恐ろしさはなかった。
「……ふぅん、ずいぶんと罪悪感がなくなったみたいだね?」
そうなのだろうか? 自分ではよく分からないけど、リリアが嬉しそうに笑っていたのでそうなのだろうと納得しておく。
「とりあえず痛み止めだね。それと増血、消毒もして、と」
リリアが私の右腕を握り、おそらくは痛覚麻痺の魔法をかけてくれた。次いで頭痛が改善したので失われた血を“回復”してくれたのだと思う。
私のやった止血は完全ではなく、リリアの手が血まみれになってしまったというのに、彼女は平然と治療を行ってくれた。
「…………」
黒髪黒目である私を恐れず、頑固で頑迷だった私の友達になってくれて、危機を救い、そして今は自分の手が汚れることを気にせず治療をしてくれている。
私は、彼女に何ができるのだろう?
一体何をすれば報いることができるのだろうか?
斯様な恩義、たとえ一生をかけたとしても――
「気にしなくていいよ」
まるで心を読んだように……いいや、きっと心を読んだ上でリリアは苦笑した。
「ナユハは自覚がないだろうけどね、私、ナユハには感謝しているんだ。今まで私がやったことくらいじゃ報いきれないほどにね」
「え?」
「だから気にしなくていいんだよ。今までのことは私がしたいからしただけ。――これからのことも、私がしたいからやるだけだもの」
むずむずと。
右手の切断面が何とも言えないかゆみに襲われた。まるで、“かさぶた”が取れる前のような……。
二の腕を見下ろすと、わずかながら、切断面が伸びていた。いや正確を期すれば切断面から腕が生えてきているのだろう。本当にわずかに、小指の爪一つ分くらいだけれども。
リリアが額に汗を浮かべながら小さく唸った。
「む~、保有魔力には自信があったのに、この調子だと足りないね。師匠みたいに効率的な魔力運用ができれば違うんだろうけど……。しょうがない、師匠に頼むと後が恐いし、奥の手を使いましょうかね」
努めて気楽な声を上げながら。リリアは異空間から大ぶりのナイフを取り出した。
そして腰まであろうかという後ろ髪を軽く纏め、迷うことなく右手に持ったナイフで――
え?
いや、
ちょっと!?
私が止める前にリリアは腰まで伸びた美しい銀髪を切ってしまった。ばっさりと。スーパーロングヘアをミディアムかショートカットくらいに。
「おう、おぉう……」
思わず涙目になってしまった私は悪くないと思う。
魔法使いにとって髪は魔力の保存容器みたいなものであり、自分の魔力では足りない際に切って使うことはある。それは理解している。
でもリリアは魔法使いである前に貴族の娘。貴族の女は髪を長く伸ばすのが基本。今のリリアみたいに短く切ってしまうのは旦那様が亡くなるか、修道院に入るときくらい。つまり貴族の女としての人生を切り捨てるのと同義だ。
「な、な、な、何をしているのリリア!?」
「え? 魔力が足りないから髪の毛に貯めていたやつも使おうかな~って」
「リリアは貴族でしょう!? 髪を切ってどうするの!?」
「といってもレナード家の気質は貴族というより商人だし、家として私を政略結婚させるつもりもないし、そもそも私は結婚しないでだらだらのんびりスローライフするつもりだし……。むしろ髪を短くしちゃった方が余計なお見合いも飛び込んでこなくて万々歳、みたいな?」
「……おぅ、この子はだめだ、常識が狂ってる。私がしっかりしなきゃ……」
私が精神に受けた大打撃から必死に回復しようとしている間にリリアは握りしめた髪束から髪の毛を十本ほど抜き取った。
その髪をお父様に手渡す。乱雑に。投げつけるような勢いで。
ふん、とリリアが鼻を鳴らした。
「力の使いすぎで魂まで摩耗しています。そのまま消えても私は構いませんが、ナユハは気にするでしょう。今までナユハを苦しめたんです、消えるなら少しでも贖罪してから消えてください」
髪の毛が一瞬光り輝き、お父様の手の中に吸収されていく。
私は幽霊に関して詳しくはないけれど、これでもう大丈夫なのだろうとなぜだか確信することができた。
リリアは視線をお父様から外し、私の右腕の切断面に髪束の切り口を押しつけた。
空気が変わる。
どこか緊迫した雰囲気がリリアから漂ってきた。
紡がれるのは聞いたこともない呪文。いや、歌だろうか?
「――今ここに
「――喜劇の前に悲劇なし」
「―― 一流を三流に」
「――
「――今、ひとときに名を借りて」
「――我が挑むは神の業」
「――嗚咽を歓声に。今ここに喝采を。悲しき未来を拒絶して、我は世界を塗り替えよう」
「――ゆえに、
「――
銀の髪束が光り輝いた。太陽よりもなお強く、星々よりもなお優しく。
その光景は夢か幻か。
髪束が腕へと変化していく。銀の髪が銀の骨へ。骨の周りに筋肉が生まれ、血管が走り、皮によって包まれる。
一瞬の出来事。
一瞬が永遠にも感じられた。
まばたき。
した後にはもう私の右腕は治っていた。腕一本回復するという奇跡を、たった9歳の少女が成し遂げてみせたのだ。
「うん、成功。一応“左目”で確認しておこうかな?」
満足げな顔をしたリリアは綺麗な金の瞳で私の右腕を鑑定して――
「……うん?」
冷や汗を流していた。大量に。「やべぇ、」と聞こえたのは気のせいじゃないだろう。
「リリア?」
私が声をかけるとリリアはビクッと身体を揺らし、あはは……と苦笑しながら近くにあった石を手にした。
リリアの手でギリギリ掴めるほどの大きさ。石と言うよりは岩という表現の方が的確かもしれない。
「な、ナユハさん、ちょっとこの岩を握ってみてくれませんか? 右手で、思いっきり」
「? 構わないけど何で敬語?」
首をひねりながらも私はリリアから岩を受け取り(回復したばかりの右手は私の思い通り動いてくれた)、指示されたとおり思いっきり握りしめてみた。
――パキィン。
と、いうような音を立てて岩が割れた。まるで柑橘類を握りつぶした――よりも楽だったな。雪球を握りつぶしたように、簡単に。
…………。
いやいや、
いやいやいや。
私は鉱山で働いているから普通よりは力があるかもしれないけど、それでも9歳の女の子だからね? 魔力による肉体強化もしていないのに、なんで岩が割れるのかな!?
私がぎこちない動きで首をリリアの方に向けると、リリアは両手を地面に突いて叫んだ。
「人の身に過ぎたパワー! 顕微鏡の調整ネジをねじ切っちゃう仮面ラ○ダーか!? 改造されたヒーローならお約束だけどさ! 非戦闘系美少女にやっちゃってどうするの私!? “未熟なるもの”か!? 私が未熟だから悪いのか!? ちっくしょうめ! どうしてこうなった!?」
なにやら理解しがたい単語を絶叫しながら地面を転がり回るリリア。
なんというか、取り乱している彼女を見て逆に冷静になってしまう私であった。
……どうしてこうなった?
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