第45話 千里の果てを飛び越えて
――自分が売られなかったのは、ナユハさんが父親に反抗してくれたおかげ。
――不安で泣いてしまった私のために、地下牢で一晩中話し相手になってくれた。
――自分の分の食事を隠して持ってきてくれた。
――あの暗い地下牢で、それでも正気を保てたのはナユハさんがいてくれたから。
――感謝している。だから、助けてあげて欲しい。
誘拐被害者、リィナさんの発言を纏めると以上のようになった。
「…………」
私は今まで、誘拐事件は当主であるナユハの父親の独断であり、ナユハは何も知らないと思っていた。
お爺さまの発言を思い出す。
『いいや。王都から派遣された騎士団の連中が徹底的に調べたが、ナユハは一切の犯罪行為に手を染めてはいなかった』
犯罪は犯していない。
だからといって、知らなかったということにはならないのか。
確かによく確認しなかった私にも落ち度はあるけれど、当時10歳にもなっていない少女がデーリン家の暗部である誘拐事件のことを知っていると考える方が不自然だとここで弁明しておきたい。
ともかくとして。
リィナに署名をしてもらった後、他の被害者にも話を伺ったところ、全員がナユハを助けることに賛同してくれた。例外なく語られたのはナユハに対する感謝の気持ち。自分が誘拐早々に売り払われず、事件解決まで無事だったのはナユハのおかげであると。
ナユハはデーリン伯爵による誘拐事件を知っていた。
もちろんナユハは主犯でも共犯でもなく、むしろ反対していた。貴族社会において『親』であり『当主』であるデーリン伯爵に反抗するなどあってはならないことだというのに。
ナユハは、自分が捨てられることすら覚悟して父親に対抗したのだと思う。
それでも、ナユハは事件を止められなかったわけで。
次々に誘拐されてくる少女たちと交流を持っていたわけで。
ナユハの過剰なまでの罪悪感は、そこに起因しているのだろうか?
「…………」
最後の被害者からの署名を受け取った後。私と姉御は神官のセルジア様に成功の報告をしてから王都のレナード邸に戻ってきた。
被害者の元を回っているうちに日も落ちたことだし、ナユハのところへ行くのは明日にする。
一刻も早くナユハのところに行きたい気持ちも確かにあるけれど、暗くなってからの訪問は迷惑になるとお父様に言われたし、なにより、あの誘拐事件についてもう少し調べたほうがいいと思ったのだ。
姉御を私室に招き入れ、愛理を含めた三人で改めてリースおばあ様から渡された誘拐事件の報告書に目を通した。
あのとき重要だったのは被害者名簿であり、他は軽く目を通しただけだったり読み飛ばしたりしてしまったからね。もう一度最初から隅々まで読み込んでいく。
「う~ん……」
報告書を読み終えた私は思わず頭を抱えてしまった。
事の発端は、おそらく9年前。
デーリン伯爵夫人はナユハを生んだ際に亡くなってしまったらしい。
もちろん伯爵は腕利きの治癒術士を待機させていたけれど、元々治癒魔法と出産は相性が悪い。治癒魔法は『患部の時間を巻き戻して治療する』魔法だからね。出産によってお腹の中にいた赤んぼうがいなくなってしまった状態では、うまく“時間を巻き戻す”ことができないのだ。
それに治癒魔法が発達しているせいか衛生観念は未熟だし、何より――伯爵夫人は、自分のことよりも呼吸をしていなかったナユハの蘇生を優先して欲しいと頼んだそうなのだ。
ナユハは生まれたときから髪が生えていて、ナユハが“黒髪”であることは夫人も承知していたという。それでもなお娘であるナユハの命を優先させたと。
伯爵は愛する妻の忘れ形見であるナユハを溺愛した。――狂ってしまうほどに。
しかし、いくら伯爵がナユハを愛そうが、黒髪に対する差別がなくなるわけではない。周りの子供、大人、あるいは屋敷のメイドに至るまで。表に出す出さないにかかわらずナユハは差別の対象となっていた。虐げられる側であった。
亡き妻が命を捨ててまで助けた娘。
自分が心の底から溺愛する娘。
なのに世間はナユハを受け入れようとせず。世界は、ナユハを否定した。
ならば間違っているのは世間だろう。
狂っているのは世界だろう。
――この世界から金髪がいなくなれば。
ナユハも、普通の女の子として扱われるだろう。
常軌を逸したこの思考を伯爵は実行した。手始めに領地にいる金髪を全員国外に売り飛ばしてしまおうと行動を起こした。
ここで『全員殺してしまえば』とならなかったのが伯爵の“甘さ”であり、お爺さまが今でも嫌いになりきれないでいる一因だろう。
結果は失敗。
共犯にさせられた家令が良心の呵責に負けて騎士団に密告したし、なにより、ナユハ本人が反対し続けたおかげで。
こうしてデーリン伯爵の狂気は白日の下へさらされ、伯爵は処刑。密告した家令は処刑こそ免れたが強制労働のために鉱山送り。
そしてナユハは事件への関与を認められず、また裁判の時に誘拐被害者らが擁護したこともあって無罪となった。
無罪。
ナユハ本人が納得できるはずがない。
デーリン伯爵が――父親が誘拐事件を起こしたのはナユハが原因。ナユハが黒髪であったせい。だからこそ彼女は誰よりも罪深いと自虐するのだろう。自分が許せず、死をも覚悟で鉱山労働を行っているのだ。
(……ばかばかしい)
ナユハの主張が正しいのなら、黒髪は生まれただけで罪を背負っていることになってしまう。黒髪がいるから差別は生まれ、伯爵は狂い、誘拐事件は起こった。なぁんて、そんな世迷い言を認めることなんて絶対にできない。絶対に許されない。
黒髪がいるから差別が生まれるんじゃない。差別感情があるから黒髪が虐げられるのだ。差別がなければ黒髪は普通に生きることができるし、差別がなければ伯爵も狂う必要はなかった。
貧民街には黒髪の人も多い。私の少し年上の友達も黒髪だ。今日出会ったクロちゃんだって……。そんな彼ら彼女らが全員『黒髪』という罪を背負っていると考えるなら、私は、ナユハのことをぶん殴らなきゃならないね。
「……リリアちゃん、どうする?」
愛理が何とも言えない表情で聞いてきた。ナユハの事情を知って説得が難しいと感じたのだろう。
ナユハは自称『交渉が苦手な』姉御すら手を焼く頑固者で、たぶん被害者の署名を持って行っても素直に頷きはしないだろう。なにせ報告書を読む限り、裁判の時に直接被害者から感謝の想いを伝えられているはずなのだから。
でも、だからどうした?
私は助けると決めたんだ。
どんなに難しかろうが、どんなに時間がかかろうが、私はナユハを救ってみせる。
「……どうする、ねぇ」
愛理からの質問を口ずさみながら私はゆっくりと首を動かした。愛理、ではなく、愛理の背後。私の部屋の片隅へと。
「さて、
え? と、彼の存在に気づいていなかった姉御と愛理が同時に私の視線の先に顔を向けた。
ひっ、と小さく悲鳴を上げたのは意外なことに姉御。ただそれも無理はないことだ。
部屋の片隅。
服を自らの血で真っ赤に染めた、首のない男性が立っている。切断面のグロテスクさは思わず目を逸らしたくなるほど。いくら聖職者としてゴーストやファントム――幽霊の相手をする機会の多い姉御でも恐怖を感じてしまうのが普通だろう。
この世界の幽霊は生前の記憶を元に外見が作成されるらしく、ほとんどの幽霊が自分が元気だった頃の姿を保っている。愛理に何の怪我もないのがいい証拠。
逆に言えば、今の彼(・)のように首のない状態の幽霊は非常に珍しいのだ。
ちなみに、愛理が悲鳴を上げなかったのは平気だったというわけではなく、ただ単に絶句しているだけ。むしろ身体の震えからして愛理の方が怖がっているだろう。
「…………」
首がないことに意識が向きがちだけれども、彼の手は自分の血で真っ赤に染め上げられ、その血のせいでよく見えないが手首には荒縄で縛ったような跡がある。
そう、あのとき。『ナユハを救って欲しい』と懇願してきたナユハの稟質魔法(リタツト)のように。
ナユハの祖霊。
さらに言えば処刑されたデーリン伯爵だ。
首がないのは斬首後、見せしめのために頭部を粉々に砕かれたせいか。処刑だけでも貴族にとっては不名誉だというのに、さらに落とされた首を砕かれたのだから彼の屈辱は察するにあまりある。
絶対に同情はしないけれど。
私は椅子から立ち上がり、デーリン伯爵へと歩み寄った。
「デーリン伯爵。あなたの行いで今もナユハは苦しんでいます。生きているうちはナユハの願いを聞かずに誘拐を繰り返したくせに、死んだ後はナユハの救済を求めるなど都合が良すぎると思いませんか?」
私はナユハを救う。これはもう決めたことだ。
だからといってデーリン伯爵を許せるわけではない。
彼が狂わなければ。
誘拐なんてしなければ。
ナユハの懇願に耳を貸して早々に諦めていれば。
ナユハは、ここまで意固地にならなかったはずなのだ。
彼にも事情がある? 知ったことか。私は(生前)会ったこともない野郎なんかよりもナユハの方が大切なんだ。
『――――』
伯爵が手を差し伸べてきたので、私も一応の礼儀として彼の手を握り返――そうとしたのだけど、不思議なことに、彼に触れることはできなかった。
いや前世的に言えば幽霊に触れないのなんて普通なのだけど、この世界においては違う。
あのとき、ナユハの稟質魔法(リタツト)と握手ができたように。この世界の幽霊は触れるのが普通だ。空気中に存在する魔素が影響しているとも、個々人の魔力が触っているように錯覚させているだけとも言われているけれど、そもそもこの世界では『幽霊は触れる』というのが常識なのであまり詳しい研究は進んでいない。
実体があるからこそ姉御も『大聖典を使うより殴った方が早い』という無茶ができるのだ。もちろん効果が高いのは大聖典のはずだけど。
ともかく、伯爵の幽霊に触れないのだから、これはきっと思念のようなものだろう。本体はまた別の場所にいるはず。
「…………」
嫌な予感がする。
愛理が私の元へ一瞬で移動できるように、現実世界の距離は幽霊にとって関係ない。わざわざ思念を飛ばさなくても、本体が来ればいい話なのだ。
本来なら。
思念を飛ばしてきたからには、本体は別の場所にいるはず。
では、その本体はどこにいるのか?
「……ナユハに、何かありましたか?」
伯爵に首はないので彼が今どんな顔をしているか知ることはできない。
だからかどうかは分からないけれど。
伯爵は私から一歩距離を取り、深々と一礼をしてきた。首は切断されているから『頭を下げる』という表現は使えないけれど、そうとしか言い表せないほど深く腰を折っている。
処刑されたとはいえ彼は歴史あるデーリン家の元当主。新興子爵の娘である私に頭を下げるなど本来はプライドが許さないはず。なのに、彼はそれをしてみせた。
どうしてだろうか?
腰を折ったまま微動だにしない彼の姿を眺めていると――最後の挨拶をしているように見えてしまうのは。
「デーリン伯爵――」
私の言葉は中断させられた。
目の前に、珍しくも危機感を露わにした妖精さんが転移してきたからだ。
『リリア! ナユハが――』
それだけですべてを察する。
「場所は!?」
『鉱山!』
それだけで十分。
どうしてそうなった、とか。何で止められなかったのか、とか。そんな問答は時間の無駄だ。
私は妖精さんの話を最後まで聞くこともなくテレポートした。
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