第42話 閑話 贖罪のために
――どうしてこうなったの?
――どうして?
――どうして……?
ツルハシを打ち付ける音が洞窟内にこだまする中、ナユハの頭の中には同じ問いかけが反芻していた。
とても綺麗な子と出会った。
とても心が綺麗な子だった。
とても綺麗に笑う子だった。
友達になれた。
とても嬉しかった。
嬉しかった、はずなのに……。
しょせん私は罪人の娘で。
誰よりも罪深くて。
あんなにも綺麗な子の側にいる権利などなかったのだ。
ツルハシを打ち付ける。両手にできたマメはとうの昔に潰れている。したたり落ちる血を気にもとめず、走る痛みすら彼女を制止するには至らない。
どうして?
どうして?
どうして……?
「――おい! ナユハ! いい加減にしろ! 本気で死んじまうぞ!」
掘削用洞窟の入り口から鉱夫の声が響いてきた。が、頭の中を問いかけに支配されているナユハに届くことはない。
ナユハの稟質魔法(リタツト)――祖霊の集合体も彼女を止めようとするが、腕だけの亡者となった彼らでは生者であり宿主でもあるナユハを止めることは叶わない。
どうして?
どうして?
どうして……?
罪を償わなければならなかった。
自分が苦しまなければ、被害者が救われない。
たとえそれで死んでしまったって……。
『ナユハー、やめようよー』
『リリアも心配しているよー』
『傷を治して、一緒に遊ぼうよー』
妖精たちも止めようとするが、ナユハの耳には届かない。
リリアの攻撃魔法ですら傷一つ付かないほどの力を持つ妖精が、たった一人の少女を止められないでいる。
妖精は、人の生き死にに関われないから。
そういう決まりだから。
逆に言えば、今のナユハには死の危険が纏わり付いているわけであり……。妖精も、自分たちのできる範囲で――正確には範囲を少し逸脱しつつもナユハを止めようとしているのだ。
しかしナユハは止まらない。自分が楽をしてしまっては、それだけ被害者の救済が遅れてしまうと信じているから。
ナユハは止まらない。
きっと、彼女を止めることのできる人間は――この世界で一人。たった一人の“ともだち”だけだろう。
◇
「――おい! ナユハ! いい加減にしろ! 本気で死んじまうぞ!」
鉱夫の一人が声をかけるが、ツルハシの音が途絶える気配はない。
これで何日目か? 普段からナユハという少女は何かにせき立てられるように仕事に打ち込む人間ではあったのだが、ここ数日の彼女は常軌を逸していた。
朝から晩までツルハシを振るい、体力の限界が来ればその場で倒れるように眠ってしまう。そして朝が来ればまたツルハシを振るい、倒れるまで働き続けるのだ。
もちろん9歳の少女がそんな生活に耐えられるはずもなく。リリアの祖母であるリースが(ナユハが眠っている間に)密かに回復魔法をかけているのだが、リース本人がナユハを止めようとする気配はない。
きっと止めても無駄だと理解しているのだろう。
冷たいように思えるが、赤の他人であるナユハに毎日回復魔法をかけているだけでも破格の対応なのだ。
坑道入り口に集まった鉱夫の一人が苛立ちを隠さぬ声を上げた。
「ったく、これで死なれちゃさすがに夢見が悪いよな」
「だよなぁ。いくらデーリン家の娘っつったって、ナユハは何の関わりもねぇって話だしな」
「そうでもなきゃあのリース様が回復魔法をかけたりしねぇって」
「ガキのくせにデーリン家の罪すべてを背負っているつもりなのかねぇ? ……いっそのこと、ロープでふん縛って強引に連れ出すか?」
「やめとけって。それで誘拐犯だと間違われたらデニスの野郎みたくリリア様に片腕を落とされちまうぜ?」
「……あー、そりゃ困るな。俺が片腕失ったら女房とガキ共がおまんま食いっぱぐれちまう」
「しっかしリリア様も恐い人だよなー。まだ9歳だぜ? それでデニスの野郎の太腕をスパッと落としちまうんだから」
「返り血すら浴びなかったらしいな」
「あれ? 俺が聞いた話じゃ返り血で銀髪が真っ赤に染まっていたとか。凄惨な表情も相まってオーガみたいだったとさ」
「うん? 凄惨? 落とした腕を抱きかかえながら満面の笑みで笑っていたって聞いたぞ?」
すでにリリアに対する噂話は尾ひれ胸びれが付いて広まっている様子であり、中にはリリアをよく知っていればとても信じられないものも混じっているようだが、鉱夫たちにとって真偽などどうでもいいことだ。
ただ、リリアという少女を怒らせない方がいいと分かればそれで十分。
「……正直、『黒髪黒目』のナユハが可愛く見えるよな。“銀の一族”と比べれば」
「はは、黒髪で誤魔化されがちだが、ナユハは十分美少女だろう?」
「おいおい、お前9歳のガキに発情する趣味があるのかよ」
「ケンカ売ってるなら買ってやるぜ? とりあえず、賭けの借金返してもらおうか」
「ありゃあ先月の一件で無しになったじゃねぇか」
「それとはまた別件――」
言い争いになりそうな鉱夫二人を見かねてか、初老の男性が両手を強く打ち鳴らした。この鉱山に来て一年にも満たないのだが、人格と仕事ぶり、そしてなぜか逆らえない雰囲気で一定の地位を築いている男だ。
「とりあえず、あの子の分の飯もってこい。リース様の回復魔法で何とかなっているとはいえ、何も食べないってのは身体に悪いからな」
「……そりゃそうだな」
「じゃあ俺は酒――は、マズいから水か」
「一応毛布も持ってきてやるか」
「いつでも食えるように缶詰も用意しとくか」
初老の男の言葉を受けた鉱夫たちは食事と、水、そして毛布やら何やらを持ってくるためにそれぞれの目的地へと向かった。
流れ者の犯罪者だったデニスとその部下は除くとして。他の鉱夫たちはまだ9歳であるナユハのことを何かと気にかけていたのだ。いつも世話になっているガルドが連れてきたのなら尚更に。……そうでもなければ荒くれ者が多い鉱山で9歳の少女が無事に過ごせるはずも無し。
坑道入り口に一人残った初老の男性は寂しそうにため息をついた。
良い人もいれば悪い人もいる。世界には数多の人間がいるのだから当たり前の話で、ナユハはきっと貴族として、そしてデーリン家の娘として人間の汚いところばかり見てきたのだろう。
でも、
それでも。
「……世界はあなたが考えているよりも優しく、温かい。まったく、ナユハ様(・)にも早く気づいて欲しいものなんだがなぁ」
やれやれと男性が夜色に染まった空を見上げた。今日は少し雲が多いが、明日はきっと晴れるだろう。
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