第41話 聖女
いったん私の自室に戻ると、キナの姉御がきらりと白い歯を煌めかせた。
「あ、そうだ。リリアは聖女候補に選ばれたから」
「……はい?」
「ま、候補とは名ばかりで、実際は神召長からの内定も出ているんで決定事項だな! お前さんが15歳になったらデビュタントの場で正式に発表するからよろしくな!」
「…………」
せいじょ?
聖女?
うん? 確かに私は原作ゲームで聖女になるよ? でもそれは学院に入学してから、ルートによって詳細は異なるけど大体は魔王の復活をきっかけにしてのこと。9歳時点で聖女に内定するルートなんてどこにも存在しないはずなんですけど!?
……いや、
私がほんの少しばかりの希望を抱いて愛理を見上げると……愛理はなぜか嬉しそうに親指を立ててみせた。
『原作改変! 転生ヒロインにありがちな展開だね!』
「ちくしょうやっぱりか! この時点で改変しちゃったらゲーム知識がまったく役立たなくなるのに! どうしてこうなった!?」
思わず床に這いつくばりorzのポーズを決めてしまう私。そんな私を見かねたのか姉御が少々乱暴に頭を叩いてきた。
「あー、なんだ? よくわからねぇ単語ばかり飛び出てきやがるが……、人生、死なない限りどうとでもなるもんだぜ?」
「出奔した姉御が言うと説得力あるっすね……」
問題は処刑ルートがあることだけどね! 思いっきり死んじゃうよ!
死にたくなーい! と、このままごろごろ床を転がりたい気分だったけど、姉御の手前そんなことをするわけにも行かないので私は2~3回深呼吸した。
よし気分転換完了。
むしろ処刑ルートが遠ざかったとポジティブにシンキングしよう。
「……ま、変えちゃったものは仕方ないか。今はナユハを救うことを優先させないとね」
「おう、よく分からねぇが、リリアのその切り替えの速さは好きだぜ。で? 一体何をやらかそうってんだ?」
「やらかそうって……。ただ、被害者のところを回ってサインしてもらうだけですよ。『私たちは、ナユハ・デーリンを許します』っていう書類に。もちろんタダとは言わずに、謝礼と慰謝料として金貨を包みましょう」
ナユハが罪の意識を抱いているのなら、被害者から許してもらえばいいだけのこと。
資金が意外と集まったから、被害者一人あたり金貨120枚渡せる計算だ。前世的には1,200万円ほど。庶民として慎ましい生活を心がければ一生お金には困らないね。日本に比べれば生活費はそんなにかからないし。
すでにデーリン家の資産を売却したお金で被害者には賠償金が払われているし、そのうえ金貨120枚が追加されるのだからたぶん喜んで署名してくれるんじゃないのかな?
私の考えを聞いて姉御は少し難しそうな顔をした。
「実を言うとな、この前、ガルドの爺さまからナユハ・デーリンについて相談を受けたんだ。あの爺さまが教会に助力を頼んだのだからよっぽど思い悩んでいたんだろうな」
「……そうだったんですか」
「まぁ教会としてもできることは何もなかったんだがな。そもそも、人身売買を禁じたのは教会が信奉する主神スクナ様だ。デーリン家は神の御意志に背いたことになるのだから、信者の手前、教会が表立って動くことはできなかった。たとえ人身売買への直接の関わりがなかったナユハ・デーリンに対しても、な」
「姉御も動けなかったんですか?」
「……いや、一度ナユハ・デーリンに会いに行った。教会としては無理でもあたし個人なら問題はない――と、いうことにしたからな」
姉御はもはや王宮教会の大神官。教会の決定に背くことは本来できない。だというのに姉御はナユハのために動いてくれたという。こういう人だからこそ私も“姉御”と呼び慕いたくなるのだ。
裏では色々やっているみたいだけど、根は善人なんだよね。
ただなぁ、と姉御が後頭部を掻いた。
「あのナユハって子、人の話を聞かねぇな。元々あたしは交渉ってやつが苦手なんだが、それでも、とりつく島すらないってのは珍しい」
「そうですね。呆れるほどの頑固者だったでしょう?」
「……いや、頑固者というよりは、それしか知らないって感じだったな」
「それしか、知らない?」
「あぁ。頑固者ってのは簡単に言えば今までの自分の経験や偏見、あるいは誤りを認めたくないとかの理由から一つの物事に固執する人間だろう? ナユハはちぃっと違うな。うまく説明できねぇが、解決の方法をそれしか知らないって感じだ。……それしか生き方を知らないっていう方が適切かな?」
「生き方……。贖罪こそがナユハの生きる道だと? つまり、他の生き方を見つけられれば『贖罪』にこだわらなくなるんですか?」
「そりゃあ分からんがな。可能性はあるだろう。……だが、難しいだろうなぁ。今だって
「……でしょうね」
そもそも、裁判によってナユハの無実は国が保証してくれたのだ。なのに彼女は今もなお罪を償おうとしている。たとえ被害者からの許しがあろうとも、ナユハが納得しない展開は十分予想することができた。
でも、
それでも、
「私は、やらなければいけません。ナユハを救うために、私ができることはすべてやると決めたんです。たとえ成功の確率が低かろうが、それを理由に諦めることはない」
「それは、ナユハがリリアの友達だからか?」
「……えぇ、そうです。友達なんです」
レナード商会の娘。
銀髪赤目。
妖精の愛し子。
そして、主神と同じ金色の瞳。
私の努力で得たわけではないこの『力』は、私にとってあまり喜ばしいものではなかった。
身代金目的でバカな男共が襲いかかってくるし、魔術の実験目的で狙われたこともある。よくわからないけど鑑賞目的という理由で人身売買組織とドンパチをさせられて、妖精さんとやり取りすれば何もないところで独り言を言っている変な子供だと思われた。
そして、金色の瞳は知りたくもない『他人の本音』を一方的に叩きつけてきた。
レナード家の財力目当てで寄ってくる人間がいた。魔法の才能を恐れる人もいれば、嫉妬する人もいた。子供の癖にと内心馬鹿にしてくる人もいたし、将来の躍進を期待して今から取り入っておこうとする人間もいた。
我ながらよく人間不信にならなかったものだと呆れてしまう。きっと家族や姉御といった良き大人たちが側にいてくれたおかげだろう。
……そう、大人たち。
私に良くしてくれるのはみんな大人の人たちで。シャーリーさんも貧民街の友人も私よりも年上だった。
私に、同年代の友達はいない。
誰もが羨む私の力は、私から『普通の友達』を遠ざけたのだ。
近づくなと親から注意されたり、『ばけもの』じみた魔術の才能を恐れたり。……あるいは、妖精さんと仲良くする私を気味悪く思ったり。普通に仲良くなれるはずの子供たちは、普通のことのように私から離れていった。自業自得な部分も多々あったけれども、それでも、寂しくなかったと言えば嘘になる。
だからこそ。
ナユハは、私にとって初めてできた同い年の友達なのだ。
家とか、銀髪とか、妖精の愛し子とか。そんなことを抜きにして友達になってくれた。すべてを理解しつつも受け入れてくれた。
レナード家の娘と知りながら、利用しようとはしなかった。
銀髪赤目に敬意を示しても、恐れたりはしなかった。
私と同じように妖精さんから愛されていた。
ナユハは私に振り回されながら、それでも楽しいと言ってくれた。友達になってくれた。
それが、私にとってどれだけ嬉しいことだったのか……きっとナユハは理解していないだろう。
……理解してくれなくていい。
私が勝手に感謝して、勝手に決めたことなんだから。
「私は、ナユハの友達なんです。だから助ける。だから救う。そのためなら――どんなことを諦めてもいい」
私の宣言を受けてキナの姉御は快活に笑った。
「うんうん、やっぱりお前さんはガルドの爺さまの孫だな」
嬉しそうに鼻歌を歌いながら姉御はアイテムボックスから四角い箱を取り出した。
私の周りにいる人は当然のようにアイテムボックスを使うから忘れがちだが、アイテムボックスを持っている人間ってかなり貴重な存在なのだ。うん、ちょくちょく再確認しないと感覚が狂いそうになるんだけどね。
私がわずかに頬を引きつらせていると姉御が四角い箱を押しつけてきた。縦横の大きさは、そう、前世で言うところの宅配ピザの箱くらいある。しかもラージサイズ。高さは三倍くらいかな?
「言質も取ったことだしな、ちょっくら平穏無事な生活というものを諦めてもらおうか」
「……へ?」
ものすごーく不穏な単語が聞こえたような気がしたけれど、姉御はニヤニヤと笑うのみ。私が箱の中身を確認しないと話が先に進まなそう。諦観した私は大人しく箱を開けることにした。
箱の中に入っていたのは……黒い布? ところどころに金糸の刺繍が入っていていかにも高級そう。よく見たら白い襟っぽい部分もあるので服かな?
「やぁやぁとくとご覧じろ。それなるは“聖布”より作られし神官服なるぞ~」
演劇っぽい口調で姉貴が説明してくれた。……せいふ? それって主神スクナ様が機織りしたと伝わる布のことだよね? 『着る者の背丈に合わせて伸縮する』という特性を持った便利な布で、時代にすれば二千年ほど前のものであるはず。
まったく傷みが見られないのは保護の魔法でもかけられているのかな?
本物なら値段が付かないほど貴重なものであり、もしも新たに発見されたのなら教会が聖騎士を投入して半ば強制的に『保管』してしまうほどの一品だ。いくら姉御が王宮教会の大神官であろうとも持っているはずがない。
本当かなぁと疑いながら私は左目に触れ、眼帯による拘束を少しだけ緩めた。
ちなみに、最近では(昔に比べて)左目の力は制御できるようになっている。会う人会う人の心を読んでいては疲れてしまうものね。
まぁ、眼帯がなければまだまだ暴走してしまうし、制御できるできない関係なく初対面の人相手には心を読んでしまうチキンハートなのだけど。
と、そんなことを考えている間に鑑定結果が出る。……うん、本物。二千年以上前に作られた聖布ですよこれ。
まぁ以前“本人”に話を聞いたところによると、実際はそんな『主神が機織りした』とかいう大層なものではなく、単に特産品として使用者に合わせ伸縮する布を生産しており、人手が足りなかったから“村長”であるスクナ様も機織りしていただけらしい。
いやこの二千年の間に生産技術は失伝してしまったし、左目の鑑定によると当時スクナ様が自ら機織りしたものだから貴重品であることは間違いないけどね。スクナ様も一年くらい経つと『それより村長の仕事をしてください』と言われて機織りを辞めてしまったみたいだし。
二千年も経てばただの村長も建国神として祭り上げられるのだ。
あの人って案外ノリが軽いから頼めば作ってくれそうだよなぁとか考えながら私は聖布へと手を伸ばし、目の前で広げてみた。まごう事なき神官服。前世のシスター服にそっくりなのはここがゲームの世界だからかな?
ただ、この世界の神官服が普通は『汚れなさの証明』として純白の布を使っている(もちろん姉御の神官服も真っ白だ)のに対して、今私が手にしているのは漆黒の神官服。真っ黒だから袖口などに施された金糸の刺繍がよく映えている。
たしか、黒地に金糸の刺繍が施された神官服は“聖女”専用であったはず。なんでも『神に最も愛される』聖女の髪色は歴史上すべてが銀髪であり、その髪が最も映えるように黒い布地を使うことになっているらしい。
(まぁ、スクナ様は銀髪萌えだものねー)
この事実を教会の人間に教えたらたぶん卒倒するだろう。そんなことを考えながら私は改めて神官服を観察した。
サイズは間違いなく大人用。9歳の私が着たらブカブカに――は、ならない。なにせ聖布は“使用者に合わせて伸縮する”のだから。たとえ大人用であろうが、私が着れば9歳の体型に即した大きさに変化するはずだ。
スクナ様の真実はともかく、大神官が入手できる代物ではないのは確かだ。なにせ二千年前の代物で、製造技術は失伝。なによりも教会が“聖遺物”として祭り上げているのだから。
「姉御。これ、どうしたんですか?」
「神召長からの贈り物だ。神召長権限でお前のものにしといたから、もう好きなときに着ていいってよ」
またとんでもないこと言い出したよこの人。
「……私、まだ聖女『候補』で正式に任命されていませんよね? なのに着ていいって、この神官服はそんな軽いものでしたっけ?」
今ではそうでもないけど、一昔前は貴族から庶民に至るまで黒い服を遠慮するほど不可侵だったらしい。漆黒とは本来とても気を遣うべき色なのだ。
……私から言わせれば、そんなにも黒服を特別扱いしているのにどうして『黒髪黒目』を忌み嫌うのか理解できないのだけれども。まぁ、人間の差別意識なんてそんなものだろう。理屈じゃなくてイメージ重視、と。
私が心底呆れ果てていると、姉御がとても演技っぽく肩をすくめてみせた。
「あたしも黒い神官服はもっと貴重なものだと思っていたんだがなー。まぁ、神召長が許したんだからいいんじゃねぇか? たとえ“神聖派”の連中でも神召長の決定には逆らえねぇんだし」
「…………」
心を読んだわけではないけど、わかる。今の姉御の口調はわざとらしすぎるのだ。
「姉御、神召長様に何か吹き込みました?」
「吹き込んだとは失礼だなー。ただちょっと助言しただけさ。『リリアの性格からして大人しく聖女を引き受けはしないでしょう。ですから、自分からこの神官服に袖を通すように仕向けましょうや』ってな」
「姉御って豪放磊落な割に腹黒いっすよね……。で? 私にどうやって神官服を着せようと? 言っておきますけど私はのんびり気ままに生きるのが夢なんで聖女なんてお断りですよ?」
「のんびり気ままに、ってのは初耳だが、まぁそんな生活は無理だわな。“聖女”になろうがなるまいが、おまいさんを周りが放っておくはずがねぇからな」
「…………」
「それに、リリアに神官服を着せるのは簡単だ。……誘拐被害者と交渉するのなら、『9歳の少女』よりも『黒い神官服を着た聖女様』の方が説得力があるだろう?」
「な!?」
「いや~、聖女様の頼みなら大神官のあたしも全力を尽くさなきゃいけねぇし、被害者が住んでいる地域に派遣されている神官もすすんで協力してくれるだろうな~。一般庶民からしてみれば遠く離れた王都の大神官よりも、普段の生活に密着した地方神官の方が信頼できる存在だし、そんな神官にはぜひとも力を貸して欲しいよな~聖女様なら簡単な話なんだけどな~」
この人、大神官じゃなくて悪魔だ。
「……姉御、交渉が苦手って嘘でしょう?」
「嘘じゃねぇさ。あたしは言葉より拳の方が早いって信じる人間だからな。ちまちました交渉ってヤツはどうにも性に合わねぇ。ただまぁ、不思議なことに言葉で説得した方が丸く収まることが多いんだなぁこれが」
「ふざけていますね」
「ふざけてねぇさ。本気だよ。――本気で、ナユハ・デーリンを救いたいと思っている。だっておかしいだろう? 何も知らなかった女の子が罪の意識にさいなまれて若い命を危険にさらしているなんてよ。そんな理不尽は許されねぇ。絶対に、許しちゃいけねぇ。あたしが神さまとやらの存在を信じ続けるためにも、あの子は絶対に救われなきゃならねぇんだ。……そして、そのためにはリリアが聖女として動くのが一番確実だ」
「……本気なんですね?」
「あぁ本気だ」
「今日うちにいたのは、私に聖女をやらせるためですか?」
出世して王宮教会の大神官となった姉御は、よほどのことがなければレナード家を訪れることはない。
いくら姉御でもお父様との色恋沙汰のためにレナード家を訪れるほど阿呆ではない。昔なじみとはいえお互いに立場というものがある。
つまり、なにか目的があってお父様の書斎にいたということ。
大神官の登場と、聖女としての任命。これを一つに結びつけるなという方が無理な話だ。
私に嘘をついてもしょうがないと思っているのか、姉御は少し気まずげに後頭部を掻きながら本心を口にした。
「ガルドの爺さまから、リリアがナユハの友達になったって話は聞いていたからな。あたしの知っているリリアなら、友達を何としてでも救うはずだと確信した。だからこそ、あの子を納得させるには、あるいは“聖女”という看板が必要になるかもしれねぇと思ったんだよ」
つまり神召長と企んで私に聖女を押しつけようとしたのとはまた別で、ナユハを救うために私を聖女にしようと――いや、聖女という『力』を渡そうとしたと。
姉御は嘘をついていない。
左目の力を使わずとも、姉御の目を見ればわかってしまう。姉御は私を“聖女”にするためではなく、私の力となるように“聖女”という看板を持ってきてくれた。
それだけ分かれば十分。
「……着替えるので、ちょっと部屋を出て行ってもらえますか?」
これはもはや覚悟の宣言だ。
それを読み取ったのか姉御は私の背中をばんばんと叩いてから部屋を後にした。
一人残された部屋でそっとため息をつく。
やれやれ。まさか9歳で聖女をやるハメになるなんてね。(前世の記憶を思い出してからの短い期間とはいえ)私の夢はお金持ちになってスローライフを送ることだったはずなのに……どうしてこうなった?
……ま、友達を助けるためならしょうがないか。
それに、将来的には『これからは魔王によって被害を受けた方々のために祈りを捧げます』とか何とか言って領地に引きこもるって手もあるものね。……うん、そう考えればまだスローライフの道は閉ざされていない! 頑張れ私! 希望の未来へレディーゴー!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます