第40話 閑話 父と秘書
リリアがキナに連れられて書斎を去り、リースたちもガルドの看病という名目で部屋を出て行った後。メイドのシャーリーと二人きりになったダクス・レナードは深く息を吐きながら椅子の背もたれを軋ませた。
「……私は、間違っていただろうか?」
誰に聞かせるわけでもなかった呟き。しかし、秘書であるシャーリーは聞き逃さなかった。
「レナード家の当主としては、間違ったことは口にしていなかったかと。デーリン家の娘であり、黒髪黒目という事実を否定することはできません。そして、そんな彼女を引き取ることでレナード家の潜在的な敵をいぶり出すというのも有効な手かと」
「……父親としては?」
「娘の覚悟を確かめ、その覚悟が揺るぎないものであると確信した後は背中を押しておられました。父親としても、決して間違ってはいないかと」
「そ、そうか」
真っ直ぐに肯定され、さすがのダクスも少しばかり照れてしまう。まだ若いとはいえシャーリーは絶世を付けても惜しくはない美少女……いや、美人なのだ。もしもダクスが既婚者でなかったら、先ほどのやり取りもあって『勘違い』してもおかしくはなかったところ。
(妄想たくましい男子学生でもあるまいし)
気恥ずかしさを誤魔化すかのようにダクスは努めて陽気な声を出した。
「いやしかし、友達を貶すようなことを言ったからね、リリアに嫌われてしまったかな?」
「……大丈夫ですよ」
確信めいた物言いにダクスはわずかな違和感を覚える。
「ずいぶん自信満々に答えるね? その鑑定眼(アプレイゼル)は人の心まで読み取れるのかな?」
ダクスとしては気心知れた秘書に対する軽口のつもりだった。
だが、シャーリーは意味深に首を横に振る。
「まさか。私程度の瞳では人の心までは読めませんよ」
「…………」
この国に十人程度しかいないランクA の鑑定眼(アプレイゼル)持ちが、「私程度」と謙遜するのは絶句に値する事態だ。
そして、その物言いは一つの可能性をダクスに示唆した。
レナード家には、ランクA の鑑定眼(アプレイゼル)を超える『瞳』を持つ少女がいる。
「……リリアは、人の心を読めるのか?」
かつて国王からの勅命により(シャーリーを含む)ランクA の鑑定眼(アプレイゼル)持ちが次々に屋敷を訪れ、リリアの左目の能力を推し量ろうとした。
その結果としてわかったのは、リリアの瞳はランクA を超える鑑定眼(アプレイゼル)ということだけ。ランクA程度(・・)の鑑定眼(アプレイゼル)ではリリアの瞳を鑑定することはできなかったのだ。
また、『神色の瞳を試すことは、神に対する冒涜である』という神召長の発言により国王すらリリアの瞳に関しては絶対不可侵となっていたため、父親であるダクスでもリリアの真の力は知らないままでいる。
だからこそリリアが人の心を読めたとしてもおかしなことはない。ないのだが、それはもうダクスの理解を超えてしまっていた。
昔話で人の心が読める人間は多数出てくる。そして、人の身に過ぎた力を持つ者は心を病んでいくのが定番だ。だというのにリリアにはそのような兆候は見られない。
いや、少々突拍子のない言動をすることはあるが、それだって『病み』とはほど遠いだろう。むしろ過去の『銀髪持ち』と比べれば大人しい方だ。
人の心が読める。そんなこと、9年しか生きていない少女に耐えられるはずがない。たとえ耐えられたとしても、どこかしらが歪んでしまっているはず。
自分の勘違いであって欲しいという願いを込めてダクスはシャーリーを見つめるが、彼女は深く頷いてしまった。
「リリア様も肯定されておりましたので、ほぼ間違いないでしょう」
シャーリーはそっと瞼を閉じて3年前の――リリアと初めて出会った日のこと思い出した。
◇
最初にシャーリーへ国王陛下からの勅命が下ったときには首をかしげるしかなかった。確かに彼女はランクA の鑑定眼(アプレイゼル)を持っているが、まだ学生。希少な能力ではあるが、王国には鑑定士としてシャーリーよりも遙かに多くの経験を積んだ人間がいるはず。なのに、木っ端貴族のシャーリーに勅命が来たことに違和感しか抱けなかったのだ。
後に彼女はその理由を知ることになるが、なんと言うことはない。他のランクA持ち全員が失敗したからシャーリーにお鉢が回ってきただけのこと。
無論、この時点でシャーリーがそんな事情を知るよしはないので、彼女は勅命に対する責任感と緊張、その他諸々の精神によろしくない重圧を抱えながらレナード家を訪れ、リリア・レナードに面会することとなった。
「…………」
リリアと面会したシャーリーは絶句するしかなかった。神話に語られる金色の眼。この世界の人間が本来持ち得ない色彩を(片目とはいえ)リリアは有していたのだから。
神にも等しい。
いやむしろ神様なのでは?
少女の規格外の可愛らしさも相まってそんな考えに至りかけたシャーリーは全力で首を横に振った。国王陛下に『彼女は神様です』なんて報告ができるはずがない。
(お、落ち着きなさい私。別に、妖精に取って喰われるわけではないのだから冷静に対応すれば大丈夫よ)
この『妖精に取って喰われる』というのはシャーリーの領地に古くから伝わる言い回しであり、他の地域の人間にはあまり知られていない。それがまだ6歳の少女なら尚更だ。
なのに、リリアはまるで年上のような微笑みを浮かべながら、言った。
「あぁ、そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。別に妖精さんに取って喰われるわけでもないのですから」
「……え?」
「ね、そうだよね? ……あぁ、ほら、この子たちも言っています。『こんな美少女を食べたりしないよー』ですって。ふふ、気に入られたみたいですね?」
リリアが何かを支えるように胸の前で手を掲げているが、妖精の愛し子ではないシャーリーに妖精を目にすることはできない。
そのはずなのに。
一瞬。ほんの一瞬だけ。シャーリーの瞳はリリアの手の上で遊ぶお人形さんのような存在を映した。思わず瞬きした次の瞬間にはまた見えなくなっていたが、確かに、シャーリーの目は伝説に謳われる妖精の姿を捉えていたのだ。
「…………」
確信する。
この少女は自分の手に負えない。神にも等しい金の眼に、おそらくは妖精に愛された少女。その事実からしてみれば優秀な魔法使いの証である銀髪すら霞んでしまいそうなほどであり。そんなリリアを、瞳以外は平々凡々としたシャーリーが推し量れるはずもないのだ。
自分の力不足を認め、すぐにこの部屋を立ち去るべき。
シャーリーの本能が警告を発していた。こんな『ばけもの』に付き合っていてはこちらも巻き添えを食うからと。
現陛下は公明正大な方であるから、素直に事情を話せば勅命を遂行できなかったことも納得してくださるはず。シャーリーは自己保身のための言い訳を即座に三つほど組み立てて――
――すべての思考を止めた。
目の前の少女が、泣きそうな顔をしているように見えたから。
悲壮?
寂寥?
あるいは、諦観?
出会ったばかりのシャーリーではリリアの表情の意味を察することはできない。
できない、けれども。
なぜだか胸が締め付けられる。
なぜだか心がきしみを上げる。
何かをしなければと思った。
何かをしなければ――絶対に、後悔すると思った。
だからこそ。
「あの! ……私と一緒に遊びませんか!?」
16歳の女が、6歳の少女に向けて。口走った言葉はとてもおかしなものだったけれども、シャーリーに悔いはなかった。
金の瞳をした少女が嬉しそうに笑ってくれたから。
◇
「――リリアは邪視封じの眼帯をしているはずだ。そして今日もその眼帯をしていたはず」
ダクスの発言でシャーリーの意識が三年前から現在へと帰還した。
「……えぇ、その通りです。ですが、リリア様はダクス様の想いをわかっていらっしゃいますよ。あくまでレナード家当主としての発言であり、本心からナユハ・デーリン様を貶したわけではないと理解しておられた。だからこそレナード家と縁を切ると発言する前に、父親への感謝を口にされたのです」
縁を切ると発言した際のリリアの姿を思い出したのかダクスがわずかに顔をゆがめた。
「……あの眼帯は最高品質の邪視封じだ。それなのに私の心を読んだと?」
「えぇ、確かに最高品質です。王宮の研究塔が総力をかけて開発した自信作。ですが、しょせんはランクAの魔眼を想定して作られたもの。リリア様の瞳の力を押さえるには力不足なのです」
「……リリアからはそんな話を一度も聞いたことがない」
「リリア様は、かつてこう口にされました。『お父様の心労をこれ以上増やすと冗談じゃなく胃に穴が空いてしまうから、私とシャーリーさんとの秘密にして欲しいな』と」
「…………」
ダクスが一瞬瞳を揺らし、何事かを口にしようとした。が、窓の外から聞こえてきた馬車の音がその意思を砕いてしまう。
シャーリーがポケットから懐中時計を取り出した。
「そろそろリッツ様との会談のお時間ですね」
「……そうだね。私は出迎えに行くからお茶の準備をお願いできるかな?」
「承知致しました」
模範的な一礼を決めてシャーリーは書斎を後にした。
一人残されたダクスが机に肘を突き、深い深いため息をつく。
もしも。もしもリリアが人の心を読める場合。
今日、書斎に入ってきたリリアが見たものはダクスの手を引っ張り合うキナとシャーリーであった。ダクスとしてはまたキナにからかわれているだけだと思ったのだが……。
あのとき。リリアは『レナード家的にはどちらを選んでも問題ありませんわね』と口走った。『むしろ両方手籠めにしてしまっては?』とも。
人の心が読めるリリアがそんな発言をしたのだ。少なくとも、キナとシャーリーはそう口にしても問題がないほどダクスに対して真剣な想いを抱いているのではないだろうか?
リリアに良くしてくれるキナには感謝してもしきれないし、シャーリーには秘書兼メイドとしてずいぶんと世話になってしまっているが……。
「……どうしてこうなった」
想定外の事実を前にして、娘とまったく同じ口調でつぶやいてしまうダクスであった。
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