第37話 リリアという少女 (愛理視点)


 盗掘犯からナユハちゃんを救い出した後。

 転移して王都の屋敷に帰るまでは普通だった。

 ガルド様や旦那様(リリアちゃんのお父さん。一応メイドだから旦那様って呼ばないとね)に報告した時点で少し感情が漏れ出していたと思う。

 そして、自分の部屋に帰り。ベッドの上に座り込んだ時点で――リリアちゃんの感情が爆発した。


「――むかつく!」


 枕を何度もベッドに叩きつけながらリリアちゃんは叫ぶ。

 私はとっさに魔術を使い部屋の音が外に漏れ出さないようにした。形式上とはいえリリアちゃんの侍女になるに当たって、自分の身を自分で守れるくらいの魔術は使えるようになりなさいとリース様とアーテル様ガルド様の嫁二人に厳命されたのだ。


 リリアちゃんは自分で自分を守れるから、せめて足手まといにならないように、らしい。


「むかつく! むかつく! むかつく! むかつく!」


 語彙少なく怒りをぶつけ続けるリリアちゃん。もちろんその矛先は自分自身のことを軽視しすぎるナユハちゃん――には、向かっていない。


 瞳に大粒の涙を浮かべながら。リリアちゃんが真に怒っているのは――


「なにがヒロインだ! なにが神さまの転生体だ! どんなに立派な銀髪を持っていたって、友達一人救い出せないじゃないか!」


 ――ナユハちゃんを助けてあげられない自分自身に対して。


 暴漢から救い出すことはできる。

 でも、心を救うことはできていない。いくつ言葉を並べても、いくら行動を重ねても、未だにナユハちゃんは『大罪人の娘』という枷に捕らわれている。


「むかつくっ! う、うぅ……」


 枕を叩きつける気力も尽きたのかリリアちゃんは静かに涙を流し続ける。

 魔術の天才であろうと、槍術の才能があろうと、異世界の知識があろうとも。彼女はまだ9歳なのだ。本来なら大した悩みも抱くことなく笑って人生を楽しんでいていいはずの時期。感情を露わにした彼女を目の当たりにして、私は今頃そんなことに気づくことができた。


(璃々愛だから。中身は大人のはずだから。そう考えていたせいで見誤っていたのかな? リリアちゃんは、まだまだ子供だというのに……)


 そっと近寄り、リリアちゃんを後ろから抱きしめる。幽霊だから体温はないけれど、それでもこうして触れることができるのは神さまとやらに感謝するべきなのだろう。


「リリアちゃんは優しいね」


 私の褒め言葉にリリアちゃんは不満げな声を返す。


「……優しいだけじゃナユハは救えないもん」


 拗ねたように言うリリアちゃんはやはり9歳の少女だ。


「そうかな? 少なくとも私は、優しいリリアちゃんの味方になろうって決めたよ? 何があっても諦めないと決めたし、――運命をぶち壊してやろうって決めた。なら、リリアちゃんの優しさはナユハちゃんを救うことに繋がるよ」


「うん、めい?」


 振り向こうとした彼女の頭をそっと撫でる。


 話すかどうか悩んでいた。もしかしたら怖がっていたのかもしれない。私が“運命”を語ることで、リリアちゃんが“運命”に引っ張られてしまうんじゃないかって。


 実際、あれ・・はファンディスクでリリアちゃん本人が行ったことだから。

 まだこの世界のリリアちゃんがどの道(ルート)に進むのか分からなかったから。


 でも、確信した。

 リリアちゃんならナユハちゃんにひどいことなんてしない。運命なんてひっくり返してくれるって。


 だから私は語る。

 璃々愛も知らない、『ボク☆オト』のファンディスク、王太子ルートの出来事を。


「ナユハ・デーリン。彼女はボク☆オトの本編には端役でしか出てこなかった。登場シーンはたった一枚のスチル。リリアちゃんの背後に控えるメイドの一人。もちろん発売当時に名前なんて付いていなかった。けど、黒髪美少女メイドだったおかげかネットで少しだけ話題になっていた」


「……だから、ナユハとはじめて会ったとき既視感があったのかな?」


「たぶんね。そして、璃々愛が途中で投げ出したファンディスクの、王太子ルートでナユハは一つのイベントを起こす」


 あえて『ナユハちゃん・・・』とは呼ばない。ゲームでのナユハと現実の彼女を区別するために。


 ファンディスクの主人公は本来の悪役令嬢であるミリスであり、逆に、悪役令嬢はリリア・レナードとなる。


「ナユハは嫉妬に狂った悪役令嬢(リリア)に命令されて、王太子の恋人になったヒロインミリスを殺害しようとする。その際に“聖女”としての力に目覚めたヒロインミリスに返り討ちにされて……。直接の描写はなかったけれど、たぶん命を落とすことになる」


 ナユハの結末がぼかされたのは正当防衛とはいえヒロインミリスが人殺しをするのを避けるため。

 でも、あの状況でナユハが生きているはずがない。


 私は自然とリリアちゃんを抱きしめる腕に力を込めた。


「ナユハの詳細はファンディスクの設定資料集で明かされた。いわく、幼い頃に両親が処刑され、鉱山で働かされていた。落盤事故で片腕を失い・・・・・、失職。貧民街で死にかけていたところを悪役令嬢(リリア)に拾われて一命を取り留める。この一件に恩義を感じていたナユハは悪役令嬢の非情な命令に反対することもなく、むしろ進んでヒロインの暗殺計画を実行してしまう」


「片腕を、失う?」


「えぇ、そう。もしもこの世界がゲーム通りの展開をするのなら。ナユハは、少なくともゲーム開始前に片腕を欠損する」


 リリアちゃんが学院に入学するのは15歳の時。ゲームにも設定資料にもナユハが事故に遭った年齢は書かれていなかったけれど、15歳までには確実に片腕をなくしてしまう。


 片腕を失っても切断された部分が残っていれば治癒魔法での治癒も可能だ。けれど、落盤事故で押しつぶされてしまっては治癒魔法でも治すことはできないはず。切断面をくっつけるだけならとにかく、押しつぶされた骨や筋肉や神経などを一度に治すなんて……。


 私は魔術の勉強をし始めたばかりだけど、人の命に関わることなので治癒魔法についてはかなり詳しく調べた自負がある。ナユハちゃんの陥る状況では、おそらくリリアちゃんの魔力でも失った片腕を治すのは無理だろう。


 だからこそ。落盤事故が起こる前にナユハちゃんを鉱山から引き離さないといけない。


「…………」


 リリアちゃんが無言のまま俯いた。また泣いてしまったかな、と私が肩越しに顔をのぞき込むと――涙を目尻に残したまま、それでもリリアちゃんは真っ直ぐに私を見つめてきた。


「愛理。私はナユハを助けたい」


 その声には力があった。

 その目には決意が浮かんでいた。


 ただただ真っ直ぐな光を宿した赤い瞳。どんな闇すら打ち払ってしまいそうな今の彼女を見て、頷く以外の選択肢を選べるだろうか?


 選べないし、選ぶ必要もない。


「私も助けたい。ナユハちゃんとはきっと友達になれるから」


「……でも、私はどうすればいいか分からない」


 わずかに眉を下げるリリアちゃんに対して私は姉のように包容力のある笑みを浮かべた。


「分からないのなら、周りの大人ひとに頼ればいいの。まずはこの私ね。璃々愛があまり好きじゃなかった大人向けシリアスマンガも読み込んだ私であれば、ナユハちゃんを救い出すえげつない一手を打てる! ……はず!」


「はずって……。しまらないなぁ愛理は」


 呆れたようにため息をつくリリアちゃん。あれおかしいな? ここは頼れるお姉ちゃんであるところを見せて『さすが愛理! ううん、これからは愛理お姉ちゃんって呼ばせて!』ってなるはずなのに。むしろダメな姉を見るような目をされているような?


 ……どうしてこうなった?




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る