第36話 裏話 とある男の末路
「――くそっ! くそ、くそ、くそが! どうしてこうなった!?」
夜のとばりが降りた森の中を男はただ走り続けていた。少しでも遠くに逃げるために。少しでも距離を取るために。
人を殺したことはある。
女を売り払ったこともある。
決して日の当たる場所で生きてきたわけではない男が鉱山などで働いていたのは……酒場で貴族と揉め事を起こしたから。
貴族の情報網は彼の想像を超えており、ある程度以上の人口がいる町での活動が難しくなってしまったため、ほとぼりが冷めるのを『鉱山』という人の出入りが限られるところで待っていたのだ。
時機が来ればまた犯罪に手を染める気は満々であったし、だからこそ金貨の発掘を目撃した後は迷うことなく盗み出すと決めた。今までの生き方が生き方であるから目撃者を“消す”こともためらわなかった。
無駄な殺しを忌避してナユハを捕まえたのに、リリア相手には即座の攻撃を行ったのは……何か正当な理由があってのことではない。ただ、鉄火場で生きてきた彼の勘が『まずい』と警告したのだ。後ろにいる人間は、生け捕りなど考えていてはこちらが危ないと。不意打ちでも何でもして排除しなければと。
もしも彼の勘があと少し精度のいいものであったのなら、リリアが背後に現れた時点で逃げの一手を選択したであろう。……いや、そもそも、それ以前の問題として貴族相手に問題を起こさなかったか。
だが、そうではなかったからこそ彼は右手を失い、失血と戦いながらの逃走を余儀なくされていた。
切り落とされた右手を回収できていれば治癒魔法でくっつけることも可能だったかもしれない。けれどもはや手遅れ。たとえ“銀髪持ち”が治癒魔法を使っても失われた腕一本を取り戻すことはできないのだから。
痛みに歯を食いしばりながら、彼は残った左手で金貨の詰まった革袋を確認した。
右手はもう諦めるしかないが、これだけの金貨があればしばらく生活には困らないだろう。あとは片腕でもできる犯罪(しごと)を探して――
『――小豆研ごうか』
失血による幻聴か。
人気のない夜の森。そんな、
だというのに――
『――人取って喰おか』
幻聴か。幻覚か。
男は見た。
暗い暗い森の中。木々生い茂るその先で。
子供が舞い踊っていた。
いいや、子供などではない。
確かに一見すると子供である。
だが、普通の子供が手のひらほどの大きさであることなどありえないし、そもそも宙に浮くこともできやしない。
魔物か。
あるいは精霊か。
……男にとってはどちらでもいいことだった。邪魔をするなら追い払うだけだし、そうでないなら無視をすればいいだけ。たとえ人外の存在であろうとも、手のひらほどの大きさしかない存在を恐れる道理はない。
魔物にしては禍々しさがないから精霊の類いか? 程度にしか男は考えなかった。
「おら! どけ!」
進路に漂う精霊らしき存在に男は怒鳴りつけた。が、道を譲る気配はない。男は残った左腕で乱雑に精霊らしき存在を振り払い――
「――え?」
最初に覚えたのは違和感だった。
次いで、したたり落ちた血液を目視する。
振り払った左手から指がごっそりとなくなっているのを確認して。
そうしてやっと、男は痛みを認識した。
『ショキショキ』
精霊らしき存在が謡う。
『ショキショキ』
動く口の狭間から見えるのは、食いちぎられた親指か。
男の指を喰らいながら。精霊らしき存在が嗤った。
『――喰べちゃうぞ』
男の視界が揺らいだ。
身体を支えていたはずの左足が無くなっていたのだ。
喰われたのだ、と男の脳みそがやっと状況を理解する。
『ナユハをいじめた』
『リリアを泣かせた』
『悪い悪い人間は』
『頭の先から』
『足の先まで』
『――食べちゃうぞ』
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