第35話 再会 SIDE:ナユハ


 ロープで私を拘束した後、男三人は再び盗掘作業に戻っていった。

 私は穴の縁近くに寝転がされ、最初に私を捕まえた男が見張り役として隣に座っている。わざわざ腰に剣を佩いているのは子供一人に対して過剰な警戒心だ。


 明日は休養日だから朝早く馬車で町まで向かう。そこで人買いに売り渡す。その後は海を越えて娼館勤めだ、と。男は下卑た笑いを浮かべながら私に解説した。酒を飲み、目の前には人生を遊び尽くしてもなお余るほどの金貨。おそらくはバラ色の未来を思い浮かべて気分が高揚しているのだろう。


 この国での奴隷売買は禁止されている。だが、金になる以上消えることはないのだろう。社会の裏側についてデーリン家の娘である私にとやかく言う権利はない。


 酒を飲む男も、命令に従い金貨を回収している連中も、働かずにすむ明日に目を輝かせている。


 決して褒められた男共じゃない。

 けれど、生きることに貪欲だ。

 贖罪のために動いているだけな私に、彼らを批判する権利はあるのだろうか?


 感じたものはまぶしさか、あるいは羨望か。

 苛つきか、もしくは嫉妬か。


 口枷をされた私では彼らに声をかけることもできない。


「…………」


 もしも彼らに助言できたのなら。私はしただろうか?


 欲を掻いて全部回収しようとせずにさっさと逃げろと。

 金貨を少し盗んだくらいなら怒らないだろうから、カバンに詰め込めるだけ詰め込んで後は諦めろと。


 誰から逃げる?

 誰が怒る?

 そんなことは言うまでもない。

 とうの昔に帰った後だとしても。彼女(・・)には千里を無とする転移術があるのだ。



「――あぁ、よかった。ケガはないみたいだね」



 地獄の底から響いたような可憐な音色。そんな矛盾を内包した声を背後からかけてきたのは……。


「ちっ!」


 見張りをしていた男が腰の剣を抜き放った。相手の姿を確認するより前に。

 問答無用。不意打ち上等。振り向きざまの抜刀は常人では反応すらできないだろう。


 けれど、彼女(・・)は普通ではない。

 神槍と称えられるガルド様の愛弟子であり、いずれは神槍の名を継ぐとガルド様が期待を寄せる天才。

 いくら頑強な肉体を持っていようが、素人同然の剣に後れを取るはずがなし。


 そもそも。

 武の道をゆく者が何の準備もないまま敵に声をかけるなんてありえない。


「――人間無骨」


 リリア様の構えていた槍が唸り、男の右腕が飛んだ・・・


 鮮血が吹き出し、利き腕を切られた男の叫び声が響く中、私は身体をひねり、何とか彼女を視界に収める。


 槍の穂先とは本来『突き』に特化したもの。そんな槍で鉱山労働者の太腕を骨ごと切断した――ことは、まだいい。ガルド様の弟子であるならば納得もできる。


 しかし、リリア様のあの顔は何だろう?

 人一人の腕を切り飛ばしておきながら。あふれ出る鮮血を視界に収めておきながら。なおもリリア様の表情に一切の動きはない。同情も、動揺も、見いだすことは叶わない。


「運がいいね、あなたたち。これでナユハが傷ついていたら問答無用で殺しちゃっていたもの。……ほんと、心配した。ほんと、安心した」


 花がほころんだような笑顔はこの場で浮かべていいものではない。

 深紅の瞳がもはや人の返り血にしか見えなかった。


 これが歴戦の傭兵であれば納得もできる。しかし、彼女はたった9歳の貴族令嬢なのだ。屈強な男相手も、真っ赤な血も、怖気の走る切断面も、本来は絶対に平気であるはずがないものなのに。


 そこまで思考が走った時点で、納得した。

 思い出したのはいつかのガルド様とのやりとり。


 いわく、大陸でも唯一無二とされる銀髪と赤目の組み合わせを有するリリア様は狙われる対象であった。魔術の研究目的で。兵器として利用するため。単純な鑑賞目的で。常に誘拐犯の標的であったのだと。


 ガルド様は話されなかったが王国一の商会『レナード』の愛娘であることも一因だったのだろう。うまく身代金をせしめれば一生豪遊できるのだから。


 リリア様はいつ誘拐されてもおかしくない人間であり――、祖父であるガルド様も、祖母であるリース様も、リリア様がただ守られる存在でいることを許さなかった。


 自分の身は自分で守る。

 それが元冒険者であるガルド様とリース様の一致した見解となった。


 槍を基本とした護身術はガルド様が。

 膨大な魔力の扱い方はリース様が。


 鍛え上げた結果リリア様は自らの力で迫り来る誘拐犯を撃退し続けて……。比喩でも何でもなく、この国でも有数の対人戦闘経験(・・・・・・)を有するようになったのだと。


 リリア様の表情に男も恐怖を感じたのだろう。


「て、てめぇら! 囲んでやっちまうぞ!」


 男が指示を出すが、答える声はない。すでにリリア様の稟質魔法(リタツト)は発動し、輝く帯状の物体が他の連中を縛り上げている。


「――くそがっ!」


 男は逃げの一手を選択した。仲間を見捨てて。切り落とされた片腕も諦めて。

 その判断は正しい。リリア様は戦闘狂ではないし逃げた相手までは追わないだろうから。


 ただ最悪だったのは……。

 時間稼ぎが目的か、あるいはただの憂さ晴らしか、残った左手で私を発掘穴へ突き落としたことだ。


 ロープで縛られた今、受け身を取ることなんてできない。剥き出しの岩に頭をぶつければ間違いなく死ぬし、そうでなくても10メートルほど転がり落ちれば全身を打撲して致命傷となるだろう。


(あ、死んだ)


 不思議とゆっくり流れる時間の中、私はそんな確信を抱いてしまった。

 しかし恐怖はない。

 デーリン伯爵家に誘拐された子供の方が恐かっただろう。これから先どうなるのか。これからの人生で自分はどんな扱いを受けるのか……。それを考えれば『死んで終わる』自分の何と幸運なことか。


 死は恐くない。

 でも、リリア様の前で死ぬのは少しだけ嫌だった。


 泣いてくれるだろうか?

 それとも、因果応報だと思うだろうか?


 ……前者であると、そう思ったのは自意識過剰ではないと信じたい。


 そして――


「――このバカ!」


 落下する私の真下が光り輝き、それが転移の魔方陣だと理解した瞬間に私はリリア様から抱きしめられていた。

 温かい。

 そして。


「助けるのはいいけど受け身くらいとって!? ぴぎゃあ!?」


 愛理様の悲痛な叫び声が響き渡った。

 思ったよりも弱い衝撃。

 早まる鼓動を必死に押さえる私と、私を抱くリリア様。

 私たち二人の下敷きとなり衝突の威力を和らげてくださった愛理様。


 友達と、友達の友達を下にしている現状に血の気が引いた。そうでなくとも相手は銀髪赤目でレナード商会の愛娘なのだ。


 リリア様がロープを切ってくださったので私は慌てて二人の上から降りた。


「も、申し訳ありませんリリアさ――ま?」


 私の頬を、リリア様が両手のひらで挟むように叩いた。いつかのように。叩いた、とはいっても痛くはなくかろうじて音がする程度の力だったけれども。


 柔らかな手のひらからリリア様のぬくもりが伝わってくる。

 そのままリリア様は私の頬から手を離すことなく、じぃっと、私の目を見つめてきた。


「ナユハ。どうして逃げなかったの? どうして稟質魔法(リタツト)を使わなかったの?」


「それは、その、魔法を発動する前に口をふさがれまして……」


 嘘は言っていない。

 なのに、だんだんと声が小さくなってしまったのはなぜだろうか?


 リリア様が私から視線を外して下を向いた。だから表情は読めなかったけれど、その声は震えている。


「妖精さんから頼まれた。ナユハを助けてあげてって。自分たちでは人間の生き死にに干渉できないからと」


 それは巷間言い伝えられるもの。妖精様は人間の生死に関わることはないけれど、唯一許されるのが罪人への天罰であると。


「逆に言えば、妖精さんが来たからにはそれだけ命の危険があったということ。ほんとうに、無事でよかったよ……。………でも、私は言ったよね? 無茶はしないでねって」


 前半は泣きそうな声で。後半は怒りを抑えきれない声色で。


 ぶちりと。何かが切れた音がする。

 リリア様の眼帯を止めていた紐が切れたのだ、そう認識するのと同時にリリア様が顔を上げた。落ちゆく眼帯を気にとめることなく。


 眼帯を外したリリア様は初めて見る。

 普段隠されている左目は、まるで、満月のような金色の輝きを放っていた。


 建国神話における主神スクナ様と同じ色。

 すべてを見通し、未来すらも読み解いたと伝わる金の眼。


 神話に語られる伝説の瞳が私を捕らえた。その美しさに息を飲み、その恐ろしさに息が止まる。


 嘘はつけない。

 すべて見透かされる。


 私はなぜか確信すら抱いてリリア様の瞳を見つめ返した。見つめ返すことしかできなかった。


「ナユハの稟質魔法(リタツト)は祖霊の集合体。たとえ呪文が途切れようとも、ナユハが真に望めば助けてくれる。逆に言えば、ナユハが望まなければ助けることはできない。だって、しょせんは死人でしかないのだから。ナユハの力のおこぼれでこの世に止まっているだけなのだから」


 すべてを見抜いたかのようにリリア様が断言する。


「……ねぇ、ナユハ? あなたは諦めたのでしょう? 自分の人生を、贖罪のために使い潰そうとしたのでしょう?」


「…………」


 否定はできない。

 すべて見抜かれるだろうし、何より嘘をつきたくなかった。


「……バカな子」


 そうつぶやいたリリア様はどうしてか私よりも年上に見えた。


 リリア様が私の頬から手を離した。

 柔らかな温もりがわずかな余韻を残して……消えた。


 瞬間、私の全身に怖気が走る。



 呆れられたかもしれない。

 嫌われたかもしれない。



 罪人であろうと、なかろうと。自分の命を粗末にする人間など好かれるはずがない。好かれていいはずがない。


 ……あぁ、どうして。


「いいよ。ナユハがあくまでそういう態度を崩さないのなら。私にだって考えがある」


 冷たい声音に私はリリア様との距離を感じた。その表情からはどんな感情も読み取ることはできない。


 もう、笑いかけてくれることはないのだろうか。

 もう、抱きしめてはくれないのだろうか。


 後悔などしても、もう遅い。

 リリア様は何度も手を差し伸べてくださって。それを受け入れなかった私が悪いのだから。


 私は罪人。

 私は咎人。


 幸せになる権利なんてないし、リリア様の手を取る資格もない。

 分かっていたはずなのに。何度も自分に言い聞かせたはずなのに。


 それでも。

 この胸が張り裂けそうなほどに痛いのは……。



 ……あぁ。

 どうして。

 どうして、こうなってしまったのだろう?





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