第3話 すっごく、くだらないと思う事
片岡が入部してきた翌週。月曜日もパート練習から始まる。今週はいよいよ金曜日に小原先生による合奏が予定されていたため、私は今日も気合十分で部活に臨んだ。
「あ、えり子! お疲れ~」
音楽室に着いて楽器庫から楽器を出していると、あとから
「ほにゃ~、唯。お疲れ~」
私は手を伸ばして棚から自分の楽器ケースを取り出すと、唯に場所を譲る。
「ねぇ、えり子。最近のパー練なんだけどさぁ……」
唯は同じく棚に手を伸ばしながら言う。
「片岡のレッスン、厳しすぎない?」
「うにゃ~。まぁ、前の学校は上手かったみたいだからねぇ~」
私は唯の真意が分からず、あいまいな返事をする。
「なんかさ、本来のパートリーダーは私なのにな~って」
唯はそう言いながら楽器ケースを棚から引っ張り出すと、楽器庫の出口へ向かう。私はその後に続いた。
「まぁ、片岡の方が私より楽器上手いし、知識もある。それは確かだから、パー練を進行してもらうのは構わないけど……」
「けど?」
私が続きを促すと、唯はため息をつきながら言った。
「なんだかね、って感じ」
私は唯の気持ちも分からなくは無かった。唯は小学校から楽器をやってきた自負もあるだろうし、7月末で3年生の先輩が引退した後は、パートリーダーとして一生懸命トランペットパートをまとめてきた。それはすごく大変なことだと思う。だから、突然片岡が転入してきて、あっさりとパート練習の進行を奪われたら、唯としても面白くないだろうなというのは想像ができる。
一方で、「だから何?」って思っちゃう私もいる。私たちより片岡の方が圧倒的に楽器もうまくて知識があるのは事実だし、実際レッスンも確かに厳しいけど、着実に成果は出ている。だから、このままパート練習の進行は片岡に任せた方が良いのではないだろうか? パートリーダーの仕事はそれだけじゃないんだから。
……まぁ、唯にはそれを直接言えない自分もいるんだけど。
全体での基礎練習が終わり、パート練習の時間が始まった。メンバー全員が集まると、おもむろに片岡が問う。
「この学校って、どこかでCDとか聴ける場所ってある?」
それに唯が答える。
「音楽室に確か古いラジカセがあるから、それで聴けるけど。なんで?」
「アップル・マーチの音源のCDを持ってきたんだよ。参考になるかなって思って」
片岡がそう言うと、唯はパッと表情を明るくする。
「あ、それ良いかも!」
そんな唯の様子を見て、「さっきまで片岡の練習に不満を垂れていたくせに、どの口が!」って思うけど、私も笑顔で同意する。片岡の提案自体は至極真っ当だ。拒否する理由は何もない。
「俺、持ってきますね」
そう言って、浅沼くんが音楽室へとラジカセを取りに行った。
程なくして浅沼くんが戻ってくると、早速片岡は持ってきたCDをラジカセにセットする。
「まずは、有名なプロの楽団の演奏から」
そう言って、片岡は再生ボタンを押す。私も何度か聴いたことのあった音源だ。皆、自分の楽譜を見ながらCDの演奏を聴く。さすがプロの演奏だけあって、澄んだ音色がスムーズに耳に入ってくる。
再生が終わると、片岡はCDを入れ替えた。
「今度は、昔、神奈川県にあった高校の演奏を聞いてみよう」
そう言って片岡がCDを再生すると、曲の冒頭から音色の違いに驚かされた。
「はにゃ! 凄く優しくて柔らかい!」
私は目を見開いた。
「違う曲みたい!」
唯も感嘆の声を挙げる。
聞けば、この曲が全日本吹奏楽コンクールの課題曲だった当時、全国大会で金賞を受賞した高校の演奏だという。どうりで上手いわけだ。
再生が終わった後、片岡は言う。
「同じ楽譜でも指揮者によってこんなにも音楽って変わるんだよね。だから、今週末から始まる小原先生の合奏の時も、先生の指示をよく聞いて、先生がどういう音を求めているのかをきちんと考えないと」
確かに片岡の言うとおりだ。私は今まで以上にやる気が湧いてきた。
ラジカセを片付けると、先週の続きの練習が始まる。唯は何も言わず、自然と片岡の進行で練習が進む。
この先は細かい音符が続く箇所があり、先週の部分とはまた違った難しさがある。
「じゃ、練習番号Dのアウフタクトから。1、2、3!」
片岡のカウントに合わせ、皆で吹くが、どうも合わない。特に1年生の松岡
「じゃ、結奈だけ、もう一回。1、2、3!」
結奈ちゃんが吹く。しかし、なかなかうまくいかない。
「縦の線と、あとアーティキュレーションも意識して」
片岡はそれでも優しく、かつ的確に指導する。ちなみにアーティキュレーションとはテヌートやスタッカートなど、音の形の事。結奈ちゃんは言われていることが分かるが、それを表現するスキルが足りていないようだった。
何度か結奈ちゃんが一人で吹いたのち、片岡が言った。
「結奈、ここはちょっと練習不足だな。どこかほかの空き教室で練習してきたらどうかな?」
結奈ちゃんは一瞬助けを乞うような目で唯を見たが、唯は目を合わせず、何も言わなかった。
結奈ちゃんは力なく笑みを浮かべ、「わかりました」と言って、楽器と譜面台を持って教室を出て行った。
その後も私たちはそのまま片岡を中心にパート練習を続けた。そして結奈ちゃんは結局、最後まで戻っては来なかった。わたしは心配したが、部活の終わりにはちゃんと音楽室に戻ってきていたので、ひとまず安心した。
部活が解散となり、私は楽器をしまって帰りの準備をしていると、音楽室の片隅で片岡と唯が何やら話をしている様子を見かけた。
(結奈ちゃんの事かな?)
わたしはのその様子が気になったが、二人とも表情は明るかったので、それほど深刻でもなさそうだ。みかんから「帰ろう」と声を掛けられ、そのまま帰ることにした。
帰り道。昇降口を出るとすぐにみかんは私に聞いた。
「結奈ちゃん、大丈夫?」
「はにゃ? 大丈夫って、何が?」
トロンボーンパートのみかんが急に結奈ちゃんの話題に触れてきたので、私は多少の違和感を覚えた。
「なんか、パー練の途中で片岡くんに追い出されて、他の教室で一人で泣いてたって聞いたから」
「ほえ?」
私は驚いた。まさかそんなうわさが広がっているとは……。
私は事の経緯をみかんに話した。
「なるほどね。まぁ、どこまで求めるかって難しいところだよね」
みかんは私の説明で事の真相を知り、納得してくれたが、私はすごくモヤモヤした感情が残った。
♪ ♪ ♪
翌日のパート練習は、唯が進行した。なぜならば、片岡は別の教室で結奈ちゃんの個人レッスンをすることになったからだ。
(私だって、片岡のレッスン受けたいのに!)
私はとても面白くなかった。
片岡と結奈ちゃん抜きで練習を開始して30分ほど経過したのち、唯は休憩時間を取った。私は結奈ちゃんのことが気になり、唯に経緯を聞くことにした。
「結奈ちゃんの件、大丈夫?」
「いや、いろいろ面倒くさいことになってね」
私が問うと、唯はため息をつきながら語り始めた。
唯の話によると、昨日、パート練習中に片岡から個人練習をしてくるよう言われた結奈ちゃんは、別の教室に移動した後、ショックで泣いていたらしい。その現場をたまたま見つけたのが、クラリネットパート2年の山口ひかりと川崎
「おじょ~、また、面倒な二人に見られたね」
この二人は日頃から他人を見下すような言動を取ったり、嫌味を言うようなタイプで、私は苦手だった。
「ホントそれ」
唯が続ける。ひかりと璃子が結奈ちゃんに声を掛けると、彼女は片岡の指示で個人練習をすることになった旨を話したらしい。それを聞いたひかりと璃子は、トロンボーンパートで部長でもある杉山
報告を受けた茉優ちゃんは結奈ちゃんの様子を見に行くことに。そこで茉優ちゃんが話を聞くと、結奈ちゃんは自分の出来なさに情けなくて泣いていたことや、片岡はとても丁寧に指導してくれて、感謝している旨を話したのだという。
しかし、その内容を知らないひかりと璃子は、「片岡が結奈ちゃんをパート練習から追い出した」という断片的かつ不正確な情報を吹聴して回っているらしい。
「うにゃ~! すっごく不愉快!!」
私は強い憤りを覚え、自然と涙があふれ出てきた。
「こんなの、指導してくれている片岡先輩にも、一生懸命練習している結奈にも、侮辱ですよね」
浅沼くんも解せない思いを吐露し、栗林
「それでね、昨日、茉優から話を聞いた後、片岡と相談して、結奈ちゃんをしっかりフォローしてあげようってことになったわけよ」
そう言って唯は何度目かのため息をついた。
結奈ちゃんに対する片岡の個人レッスンは、木曜日も続いた。私はモヤモヤした気持ちを持ち続けながら練習を続けた。
「相変わらず、ご機嫌ナナメね」
帰り道、みかんが心配半分、からかい半分と言った様子で私に声を掛けてくれる。
「うじ! イライラする~!」
私が一番不愉快だったのは、不正確な情報を面白おかしく広めて回ったひかりと璃子だ。
「ああやってさ、転入してきたばかりの片岡を貶めるような噂を流して、何が楽しいのか本っ当に分からない!」
私は強い憤りを抑えきれずにいた。
「まぁ、あの二人はね。ホント性悪だよね」
みかんも呆れ顔で言う。
そして、私のやり場のない怒りは片岡にまで飛び火する。
「それに、片岡も片岡だよ! 確かに結奈ちゃんのフォローは必要かもしれないけどさ、私たち他のメンバーは良いのかって話! 私だって片岡にレッスンしてもらいたいのに!!」
それを聞いてみかんがいたずら顔でからかう。
「やっぱえり子、片岡くんラブだね~」
そんなみかんに私はふくれっ面で言う。
「片岡は『ラブ』じゃなくて『ライク』だし!」
私はつい勢い余ってそう言ってから、ハッとする。
「……そもそも、『好き』とかじゃないし……」
――あ~、もう何もかもが最悪だ。すっごく、くだらない!
♪ ♪ ♪
翌週以降もパート練習を中心に、合奏が週に1~2度の頻度で行われた。やはり合奏は楽しい。私は嬉々として合奏に臨んだ。日頃の練習の成果もあり、合奏中にトランペットパートが小原先生に褒められる機会も増えた。
片岡の進行によるストイックなパート練習。まだまだ改善すべき点は多々あるのだけれど、確実に成果として現れるとやはり嬉しい。いつしか唯も不満を口にしなくなった。
そして、あっという間に11月13日、海辺中との合同練習会当日を迎えた。
海辺中とは毎年この時期に合同練習会を開催しており、会場は両校を交互に使用している。今年は私の通う若葉中が会場であった。
朝9時。体育館に両校の生徒が集合する。まずは両校の顧問の先生の挨拶に引き続き、両校の部長が挨拶した。我らが若葉中はトロンボーンの茉優ちゃん。ちなみに茉優ちゃんは双子で、妹の
他校の生徒が大勢いる中でも物おじせずに堂々と挨拶する様子は、同級生の私から見ても尊敬の対象である。
続いて海辺中の部長が指揮台に立つ。その様子に目を奪われたのは私だけではなかったはずだ。
透き通るような白い肌に大きく輝く瞳、柔らかくウェーブのかかった艶のある黒髪。絵に描いたような美少女が、頬を若干赤らめて緊張しながら話し始める。
「若葉中の皆さん、こんにちは……」
声もまた、透き通るような美声に私は聴き惚れた。
「海辺中学校吹奏楽部、部長の吉川
ちなみに私と片岡は、のちに萌瑚ちゃんと高校で再開することになるが、この時はもちろん知る由も無かった。
両校それぞれの顧問と部長の挨拶が終わると、午前中は木管・金管に分かれて分奏となった。私たち金管は体育館に残り、木管は音楽室へと移動した。金管の分奏の指揮は海辺中の福島先生。優しそうな女の先生だ。
若葉中と海辺中の吹奏楽部は、人数も演奏のレベルもほぼ互角だった。そのため、人数が多い以外はいつもと同じような調子で練習が進む。
しかし、今回、私たちトランペットパートは片岡の特訓のお陰で、随分と楽に参加することが出来た。トランペットパートに限って言えば、注意を受けるのは海辺中の方が多かったくらいだ。
午前中の分奏が終わり、お昼休憩を挟んだのち、午後からは体育館でいよいよ2校全員による合奏が始まった。指揮は若葉中の小原先生が務める。いつものおよそ倍、100名近くの音が一斉に鳴る様はまさに圧巻であった。
こんなに大人数で合奏する機会など、滅多にない。私はその迫力の中で演奏する喜びを存分に楽しんだ。これまで周りについていくのに必死だった私が、初めて演奏中に「楽しい」と思うことが出来た。そして、私の左側で吹く片岡の存在が、とても頼もしく思えた。
ふと見渡すと、海辺中の中にも際立って上手い生徒が散見される。先ほど挨拶をした部長の萌瑚ちゃんもその一人だ。彼女のかわいらしい容姿と声、そして楽器の音色は、私の記憶に深く刻み込まれた。
そんな合同練習会も終わりの時間が近づいた。ラスト一回、最後の通しが終わると、両校の生徒たちから自然と拍手が沸き起こった。私も精一杯の拍手をした。一生懸命演奏したみんなの為に。そして自分の為に。
この感動をいつまでも忘れたくない。私は心の底からそう願った。
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