2. チャッピーはペット

「……なんだい、あれは?」


 屋敷を一歩出てすぐ。庭に視線を向けたストレルは呆然とした表情で呟く。


 いつの間にか庭に小山ができていた。しかし、よく観察してみれば、緩やかに上下している。まるで巨大な生き物が呼吸をするかのように、ごく僅かに。


 とはいえ、あれは本当に生物なのだろうか。


 小山の表面には棘の生えた蔦が這っている。遠目でもわかるくらいなので、かなり巨大な蔦だ。しかし、根元が見えない。もしかすると、あれは蔦そのもので体が構成されているのではないか。


 蔦の巨大生物。動物なのか植物なのか、それすら不明である。


「あれこそが魔王ですぞ、坊ちゃま」


 バラートが静かに告げた


(あれが麻黄? そんなわけがない。あんな化け物、まるで伝説の魔王……って、ああ!)


 ここに至って、ようやく気づく。自身が挑みかからんとしていた相手が雑草程度の草木ではなく、伝承にのみ存在するような人類の脅威であることに。


(だから、あんなに慌ててたのか)


 誤解は解けた。ストレルは庭に魔王が出現したことを正しく認識したのである。


 だが、その顔に怯えはない。あるのは強い憤りだ。


 それは戦士の血ゆえか、それとも世界を救わんとする正義感からか。残念ながら、そのどちらでもない。


(アイツ、僕の畑を踏んづけてるじゃないか!)


 あの下には、彼が育てている野菜が植わっている。種まきをしてようやく芽が出たばかりだ。これからぐんぐん成長し、やがては美味しいタマネギが収穫できるはずだった。それなのに……それなのに!


 相手が何者であれ、叱りつけてやらねば気がすまない。ストレルの頭の中はタマネギを失った怒りでいっぱいだ。そこに怯えが入る余地は全くなかった。


「行こう、バラート」

「はっ」


 そしてついに、勘違いの主従が魔王の前に立つ。迎えるのはそびえ立つような茨の化け物と、そのそばに立つ一人の少女だ。


「何じゃ、また来たのか、原住民。ここは魔王ゼラプル・ムーボスが支配したのじゃ! 命が惜しければ、早々立ち去るがいい!」


 怒るストレルを差し置いて傲慢に言い放ったのは、茨の化け物ではなく少女の方だった。


(なんで女の子が魔王側に立っているんだ? もしかして、人じゃないのか?)


 ストレルが少女を人ではないと考えた理由は髪にあった。


 鮮やかな緑。ストレルの知る限り、そんな髪色の民族はいない。もちろん、無知ゆえに心当たりがない可能性は理解している。だから、あくまでそれは理由の一つ。もう一つは、髪の動きだ。風のせいにしては、ざわざわと不規則に動いていた。


 根拠となるのはそれだけ。だが、状況的に見て間違いないだろう。おそらくは魔王の小間使いか何かだ。


 ならば、遠慮はいらない。ストレルは大きく息を吸い、声を張り上げる。


「巫山戯るな! ここはカートナー男爵家がランベルク王国から拝領した土地。そして、貴様らが踏みつけているのは、カートナー男爵家が心血を注いで管理している畑である。何をしているのか、わかっているのか? 貴様らは、僕が大事に育てたタマネギを台無しにしたんだ! これが許せると思うか? 許せるわけない! 許せるわけがないんだ! 返せ! 僕のタマネギを!」

「ぼ、坊ちゃま! 抑えてください! 本題からずれています!」


 ずれてはいない。まったくずれてはいないが、バラートの制止に従って、ストレルは一旦言葉を止める。だんまりの魔王とは違い、少女の方は話が出来る相手だ。一応、主張くらいは聞いてやろうと考えたのだ。


 その心遣いに対する返答は――――嘲笑。


「ぬははは! そのタマネギとやらは、妾たちが有効利用してやるのじゃ! ご苦労、ご苦労! ほれ、さっさと立ち去るのじゃ」


 もはや戦いは避けられない!


「いいだろう、ならば決闘だ!」


 ストレルは心を決めた。狙うは茨の化け物だ。小間使いなど倒しても意味がない。


 敵は魔王。それでも勝機はあると、ストレルは考えた。何故なら彼には神の恩寵ギフトがある。


 ギフトは十歳になるときに授かる特別な能力。ストレルが授かったのは【農業 ☆5】だ。貴族の子弟には無用とされるギフトだが、ストレルは重宝している。


「食らえ! 超強力除草剤!」


 突き出した両の手のひらから、青い液体が噴き出す。これはギフトによって得た能力の一つ。何もないところから除草剤を生み出し散布することができる。☆5はギフトの最上ランク。ストレルはその力で除草剤の効果を極限まで高めていた。


「ぴぃぎぃぁぁあ!」


 除草剤を浴びた茨の化け物が甲高い叫びを上げる。痛みがあるのか、体を捩るように蔦がのたうつ。


「おお、坊ちゃま! 効いていますぞ!」


 バラートが快哉を叫ぶ。彼は死すら覚悟していた。だが、蓋を開けてみれば、まさかの優勢である。


(戦いの役には立たないはずの農業ギフトすら武器として使いこなすとは……! 間違いない、坊ちゃまには武の才能がある!)


 ストレルが聞いたなら即座に否定するようなことを真面目に考えていた。完全にひいき目が入っている。


 一方、当の本人は庭の惨状に頭を抱えたい気分だった。


(ああ、僕の畑が荒れていく!)


 大暴れする巨大な化け物、そして自らの出した強力な除草剤。それらが畑を荒らしていく。覚悟していたとはいえ、ストレルは心が痛んだ。しかし、全ては畑を取り戻すためだ。


 そして、ついに――――


「ぴぃ……ぁ……」


 か細い声を残して、蔦は動かなくなる。小山ほどの巨体も今や焚きつけによさそうな枯れ草だ。


「や、やりましたな! このバラート、坊ちゃまならやり遂げると信じておりましたぞ!」

「ああ、うん、そう? ありがとう」


 そんなことよりも庭だ。せっかく整えた畑は見るも無惨に荒れ果てている。とはいえ、邪魔者を排除できたのは幸運だった。また改めて畑作りに精を出せばいい。


 明らかな脅威を排除したことで二人の気は緩んでいた。小間使いの少女の存在を失念していたのである。


 戦いが終わったあと、枯れ草の山から少女が這い出す。そして、変わり果てた蔦の巨体を見て泣いた。


「うわぁぁん、チャッピー! 何故じゃ! 何故、チャッピーを虐めるのじゃ! やるなら妾にすれば良かったのにぃ!」


 枯れ草の山に縋り付く少女。果たして、チャッピーとは何なのか。それは魔王のゼラプルなにがしではなかったのか。


 主従の内心が奇跡的にシンクロした。


(あれ……もしかして、こっちが魔王……?)

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