第51話 伝説の魔物


 午後になり、一行はいよいよ街外れの泉へと出発することになった。


 朝には伯爵邸に戻ってきていたコネリー伯爵に挨拶を済ませると、アイリスはローレンと共に馬車に乗り込んだ。


「今日は現れるといいですね」

「ああ。魔物が巣を作った形跡はあったから、住み着いていることは確かなんだが」


 馬車はイオールの街を通り抜けると、西の森に入る手前で横道にそれた。そこからしばらく細い道を進んだ後、急に開けた場所に出る。どうやらここが街外れの泉らしい。


 そこには美しく澄んだ湖があり、キラキラと太陽の光を反射している。そして、辺り一面には色とりどりの花々が咲き誇っていた。


「うわあ、きれいな場所……」


 見事なその風景に、アイリスは思わず声を漏らした。しかし、残念ながらその場に魔物の姿は見当たらない。


「アイリス、一度馬車から降りるぞ」


 そう言われローレンと共に外に出ると、魔物討伐隊一行はしばらくその場で魔物が現れるのを待つことになった。



 そして数刻後、その時はやってきた。



 突如として耳をつんざくような咆哮が空から聞こえ、アイリスは思わず両手で耳を塞いだ。咆哮が止み空を見上げると、二匹の美しいドラゴンが上空を旋回していた。

 

「ドラゴン!?」


 予想だにしなかった魔物の正体に、アイリスは驚きのあまり思わず叫んでいた。


(臆病なドラゴンが、どうしてこんな人里に!?)


 ドラゴンは本来臆病な性格で、人間の前に姿を現すことは滅多にない。夜にしか魔物の目撃証言がなかったのは、人間と接触しないようにしていたためだろう。


 また、ドラゴンは昔は数多く生息していたが、密猟者による乱獲が続き今や絶滅危惧種となっている。仮に姿を目撃したとしても、それがドラゴンだと認識できる住民は少なかっただろう。


 そして、再び激しい咆哮が響き渡った。


『息子をどこへやったの!? 私たちの子供を返して!!』


 今度ははっきりと聞こえた。ドラゴンの『声』だ。


 アイリスは、あらゆる生命と対話できるギフトを持っている。相手が魔物であろうと植物であろうと、会話することが可能なのだ。


(ドラゴンたちは自分の子供を探しているの……!? これは、かなりまずい事態だわ……!!)


 最悪のシナリオが頭に浮かび、アイリスは馬車に向かって走り出した。


「あ、ちょっ! アイリス様!?」


 そばで護衛をしてくれていたレオンの制止を振り払い、アイリスは馬車へと駆け込んだ。急いで馬車の戸を閉めると、転移魔法で仮面とローブを取り出し身にまとい、杖を手に取る。そして、馬車の中からドラゴンがいる上空へと急いで転移した。


「《守れ》!!」


 アイリスがそう叫ぶと、自分とドラゴンを覆うように球状の防御魔法が展開された。その直後、無数の矢がこちらに向かって飛んできたが、防御魔法に阻まれ地面へと落下していく。混乱した騎士たちが、ドラゴンに向けて一斉に矢を放ったようだった。


(間一髪……!!)


 アイリスは早鐘を打つ心臓を落ち着かせながら、安堵の溜息をついた。


『――決してドラゴンを傷つけてはならない。龍王が報復に来るから』


 それは、師匠から口酸っぱく言われていた言葉だった。


 四大魔族以外にも、強大な力を持つ大魔族は複数存在する。龍王ヘルシングは、その大魔族に名を連ねる一人だった。

 龍王はドラゴンを統べる王であり、絶滅危惧種であるドラゴンを人間から守護する存在だ。故に、ドラゴンの密猟者たちは一人残らず龍王に殺されたと聞く。


 万が一ここでドラゴンを死なせでもすれば、この国と龍王とで戦争が起きかねない事態だったのだ。



 一方のローレンは、上空に仮面の魔法師の姿をしたアイリスを確認すると、顔を顰めながら舌打ちをした。


「あの馬鹿……!」


 ローレンは小声でそう漏らすと、突然の仮面の魔法師の登場に混乱していた部隊に大声で指示を出す。


「総員、攻撃やめ!!」


 ローレンがそう命令すると、矢をつがえていた騎士たちが一斉に弓を下ろした。


「仮面の魔法師だ……実物初めて見た……」

「なんでこんなところに……?」

「どこから現れたんだ?」


 騎士たちは混乱したように、口々に声を漏らしている。そんな彼らに、アイリスは声を張り上げて懇願した。


「皆さん! ここは私に任せてください! 攻撃は絶対にしないで!!」


(陛下には後で謝りましょう。今は彼らの話を聞かなければ)


 アイリスはそう思い、二匹のドラゴンに向き直った。


 どうやら、この二匹はつがいのようだ。雄らしき方が、先程咆哮を上げていたもう片方のドラゴンをなだめている。


『あなたたち、子供を探しているの?』


 アイリスがそう声をかけると、ドラゴンたちは驚いたようにこちらを見つめてきた。そして、雄のドラゴンがアイリスに言葉を返してくる。


『僕たちの言葉がわかるのかい? お嬢さん』

『ええ。何があったか、詳しく聞かせてくれない? 力になりたいの』


 ドラゴンたちはまた驚いたように顔を見合わせると、今度は雌のドラゴンが語りだした。


『数日前、親子三人でドラゴンの里から少し外れた森に遊びに来ていたの。そしたら突然、何者かによってこの近くに転移させられてしまって……。ここがどこだかわからなかったから、状況が把握できるまでしばらくこの泉を拠点に過ごしていたの。そしたら……』


 言葉に詰まってしまった雌ドラゴンの代わりに、雄の方が続きを話す。


『少し目を離した隙に、息子がいなくなっていてね。痕跡をたどると、これが落ちていた。息子に繋がる、唯一の手掛かりだ』


 雄はそう言うと、小さな丸いものをアイリスに渡してくれた。手のひらに乗せられた物を見た途端、アイリスは一気に血の気が引いていくのを感じた。


(これ……ヴァーリア魔法学校の制服のボタンじゃない……!!)


 魔法学校の人間がこの事件に関わっていることは、ほぼ間違いないだろう。しかしこのボタンは、生徒だけでなく教師や研究員の制服にも使われている物のため、すぐに犯人を絞り込むことは難しそうだ。


 ドラゴンの子が魔法学校の者に攫われたとすると、目的はおそらく一つ。


(魔法の研究材料として攫われたとしたら……時は一刻を争うかもしれない)


 想像以上に深刻な事態であることに気づき、アイリスのこめかみから冷や汗が流れていく。


『龍王には、この件は人間側に任せてと伝えてくれるかしら。必ず見つけ出すから、手出しは不要と』

『念話で伝えるだけ伝えてみるが……あの方がどういうご判断をなさるかはわからない』

『ありがとう。伝えてくれるだけで十分よ』


 現時点で龍王が姿を現していないということは、しばらくは静観するつもりなのかもしれない。彼が動き出す前に、カタを付ける必要がある。


『あと、一つ聞きたいことがあるんだけど。畑を荒らしていたのはあなた達で間違いない?』

『ああ。息子が隠れているかもしれないと思ってね。すまないことをした』

『いいえ、事情が事情だもの。畜産の方には手を出さないでいてくれてありがとう。あと、この近くの孤児院で子供が何人か行方不明になっているの。それもあなた達の仕業?』

『? いや、それは違うねえ』

『わかったわ、ありがとう』


(子供の行方不明は別件……。やるべきことが山積みね)


 アイリスは小さく溜息をついてから、この場をどう収めようかと考え始めた。地上では騎士たちが上空を見上げ、成り行きを見守っている。魔物討伐に来た手前、このままドラゴンを放置して帰るというわけにもいかないだろう。


(よし、適当に誤魔化しましょう)


 考えがまとまると、アイリスは二匹のドラゴンに再び声をかけた。


『あなた達には不可視の魔法をかけるわ。周りから姿が見えなくなるから、これで人間に捕まる心配はなくなるはず。畑を荒らしたり、悪さはしないでね』

『ありがとう、優しい人間の子』


 アイリスの提案に、雄のドラゴンがニッコリと笑ってそう言った。


『この泉にもうしばらく留まる? それとも、一旦ドラゴンの里に帰る?』

『息子と共に帰りたいから、僕たちはここで待たせてもらうよ。必ず、見つけてきておくれ』

『ええ、任せて』


 それからアイリスは、杖をドラゴンたちに構えると、小さな声で詠唱を唱えた。


「《光よ、彼らを隠せ》」


 すると、突然姿が見えなくなったドラゴンたちに、地上の騎士たちは何事かとどよめき始めた。そんな彼らに、アイリスは再び声を張り上げて伝える。


「皆さん! ドラゴンたちはこの街に迷い込んだだけのようです! 今、私が無事彼らをドラゴンの里へと帰しました! これでもう被害は出ません!!」


 仮面の魔法師の言葉に、騎士たちは驚いたように目を丸くしていたが、すぐに『うぉー!!』という雄叫びを上げた。よく聞くと、仮面の魔法師への称賛の言葉が飛び交っている。


(さて、ここからが大仕事ね)


 そう思いながらアイリスは自分に気合を入れると、転移魔法で馬車へと戻ったのだった。

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