第52話 焦り

 

 馬車へと戻ったアイリスは、ひとまず仮面とローブを外し、杖と共に転移魔法で王城の自室へと送り返した。


 すると、その直後に馬車の戸を叩く音が聞こえ、アイリスは驚きと焦りで思わず声を上げそうになった。


「アイリス殿下、ご無事ですか?」


 てっきりレオンかサラかと思ったのだが、声の主はまさかのオースティンだった。


「は、はい! 無事です」


 アイリスはそう返事をして、扉を開け外に出た。すると、オースティンが心配そうな表情をこちらに向けてくる。


「急に走り出されたので驚きました。ずっと馬車の中に?」

「ごめんなさい。情けないことに、怖くてずっと中で震えていたんです」

「無理もありません。私もこれまで様々な魔物を見て来ましたが、ドラゴンに出くわすのは初めてです。『仮面の魔法師』殿がうまく収めてくださって、助かりましたよ」


 そんな会話をしていると、ローレンが険しい顔をしながら近づいてきた。


「オースティン、部隊を引き上げる。アイリスは馬車に乗って待っていろ」


(め、滅茶苦茶怒ってらっしゃる……)


 怒られるのは覚悟の上だったが、やはりローレンの鋭い眼光で睨まれるのは慣れないものだ。


「はい……」


 アイリスは消え入るような声で返事をすると、ローレンの顔をまともに見れないまま再び馬車へと乗り込んだ。


 程なくしてローレンも馬車に乗り込むと、部隊一行は王城への帰路についた。


 アイリスの眼の前には、腕組みをしながら眉間に皺を寄せたローレンが座っている。これは相当お怒りのようだ。事態の説明と謝罪のために口を開こうとした時、先にローレンの方が言葉を発した。


「怪我はしてないな?」

「はい……申し訳ありませんでした……」

「約束を破っていないなら、別にいい」


 今回の魔物討伐に付いていく際に交わした約束は、『一つも怪我をしないこと』と『魔法が使えると他人にバレないこと』だった。魔法のことはサラにはバレてしまっているが、護衛に引き入れたので不問ということだろうか。


 アイリスがそんなことを考えていると、彼は険しい顔のまま言葉を続けた。


「で、お前があれだけ焦って飛び出していったということは、かなりまずい状況なんだな?」


(あれ? それだけ?)


 もっと叱責の言葉が飛んでくると思っていたので、アイリスは拍子抜けしてしまった。どうやらずっと険しい顔をしていたのは、今回の事態に対するもののようだ。


 アイリスは気を取り直し、真剣な眼差しをローレンに向けながら事態の説明を始めた。


「あの二匹は、どうやら何者かによって転移させられて来たようです。なんとか里に帰ろうとしたところ、自分たちの子供がいなくなったことに気づき、街の周辺を探し回っていたと言っていました」

「話したのか。ドラゴンと」


 アイリスの説明を聞き、ローレンはわずかに目を見開いていた。


「はい。あの二匹には『子供と共に里に帰りたい』と言われたので、一旦不可視の魔法をかけて泉に留まってもらっています。街にこれ以上の被害は出ませんので、その点はご安心を」

「わかった。だが、その事情を知る前にお前が飛び出して行った理由はなんだ?」


 ローレンは眉根を寄せながら、怪訝そうな顔でそう尋ねてきた。その問いに、アイリスはひとつ息を吐いてから説明に移る。


「ドラゴンを傷つけるとどうなるか、陛下はご存知ですか?」

「いや。昔、ドラゴンの密猟者全員が、龍王ヘルシングに殺されたという話を聞いたことがあるくらいだ」

「龍王は、絶滅危惧種であるドラゴンを人間から守護する存在です。万が一ドラゴンを死なせでもすれば、この国と龍王との間で戦争が起きかねません」


 アイリスの説明に、ローレンは眉間の皺を深くした。もし大魔族であるヘルシングと戦争にでもなれば、魔族との共存という彼の夢が大きく遠ざかってしまう。


「事情はわかった。ドラゴンの捜索を急ごう。あの二匹から、何か手掛かりは聞いているか?」

「はい。居場所に辿り着く唯一の手掛かりがこれです」


 アイリスが手に持っていたボタンをローレンに見せると、彼の表情がますます険しいものになる。


「ヴァーリア魔法学校の関係者が、ドラゴンの子を攫ったと……?」

「その可能性が高いかと。もし研究材料に使われでもしたら、龍王との争いは避けられません。時は一刻を争います。急いでドラゴンの子を探し出さなければ」

「わかった」

 

 状況を把握したローレンは、指で顎をつまみながら考えを巡らせている。


「しかし、大々的に捜索するわけにもいかないな。犯人に気づかれれば、ドラゴンに危害が加えられる可能性が高まる」

「はい。捜索人数は最小限にして、かつ、怪しまれないよう学校に溶け込める人物でないといけません」


 アイリスの言葉に、ローレンはしばらく沈黙し考え込んでいた。彼にしては珍しく逡巡している。

 するとローレンは、意を決したように顔を上げると、アイリスの方を見据えた。


「……巻き込んですまないが、学校での捜索に協力して欲しい」


 ローレンがあまりにも後ろめたそうに頼んでくるものだから、アイリスは思わずきょとんとした顔になってしまった。


「?? 当然です。そもそも行く気満々でしたが」

「……フッ。そうか。助かる」

 

 アイリスの返答に、ローレンは申し訳なさそうに眉を下げながら笑うと、すぐに自嘲気味に続けた。


「いつも危ない真似をするなと言っているのに、矛盾しているな」

「それならご安心を。昨日も、刺客や伝説の『銀の蜂』と対峙しても、無傷で戻ってきたでしょう? 陛下はいつも心配し過ぎです」


 いつもながらのローレンの過保護っぷりに、今度はアイリスが困ったように笑った。

 するとローレンは、いつもより少し弱々しい声で言葉をこぼす。


「結局、俺はお前に頼ってばかりだな」

「お任せください! 前にも言ったでしょう? 良いように使ってくださいと」


 アイリスが拳を胸に当て自信たっぷりにそう言うと、ローレンはようやく穏やかな表情を取り戻した。


「感謝する。よろしく頼む」

「はい! では早速、今から転移魔法で学校に行って捜索を――」


 そこまで口にして、アイリスはそれではまずいことに気がついた。


「ああ、でも一度王妃として王城に帰らないと怪しまれる……! どうしよう、急がないといけないのに……」


 『王妃』と『仮面の魔法師』という二重生活が、ここに来て不利に働いてしまった。

 焦る気持ちでこれからどうすべきか考えていると、ローレンのよく通る声が耳に入ってくる。


「落ち着け、アイリス」


 彼の強い瞳に射られ、アイリスはハッと冷静さを取り戻す。


「焦って動いても良いことはない。まずは王妃としてこのまま城に戻れ。学校に向かうのは、城で仮眠を取ってからだ」

「しかし、寝ている場合では!」

「昨日も襲撃騒ぎであまり休めていないんだ。犯人の前で実力を出せなかったらどうする。いくらお前が強いとはいえ、相手は学校関係者だ。どんな相手でも勝てる自信があるか?」


 ローレンの問いに、アイリスはグッと答えに詰まってしまった。


 あの学校で、唯一、勝てるかどうかわからない相手――。


(万が一、犯人がマクラレン先生だったら……)


 アイリスの担任であるマクラレンは、魔法を無力化できるギフトを持っている。こちらが攻撃を防ぎ続ければ負けることは無いだろうが、魔法が一切効かない相手に勝てるイメージが持てないのも事実だった。


「先に俺の部下を学校関係者として潜り込ませ、捜索を進めさせる。あとは、学校で信頼を置いている奴にも話を通しておく。だからお前は、まずは体力を回復させろ」

「……わかりました」


 『どんな相手でも勝てる自信があるか』という問いに答えられなかったアイリスは、ローレンの指示を渋々受け入れるしかなかった。


 アイリスの承諾を聞いたローレンは、早速側近のエドモントに向け指示書を書き始めた。そして、魔法で伝書鳩を作り出し紙束をくくりつけると、窓を開けて飛ばした。

 今ローレンが使ったのは基礎的な生活魔法の一つで、魔法が使える者が重宝している技だ。これで離れている相手とも連絡が取りやすい。


 そして、ローレンの作業が終わった後、アイリスはドラゴンから聞いた情報を彼に伝えた。


「陛下、ドラゴンたちに話を聞いたところ、孤児院の件は彼らの仕業ではありませんでした。こちらも引き続き調査をお願いします」

「ああ、わかった」


 その後、アイリスはどうしても気がいてしまい、馬車の中では全く気を休めることができなかった。そして、王城に帰還できたのは、随分と夜が更けた後だった。

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