第44話 敵襲


 その日の夜、まだ真夜中の時間帯に、アイリスは唐突に起こされた。

 

「起きろ、アイリス。襲撃だ」


 突如としてローレンの低い声が耳元で響き、アイリスは飛び起きた。


 まだ暗い時間帯のはずなのに、窓の外が異様に明るい。赤みを帯びた光は、おそらく松明の火なのだろう。外からは剣が混じり合う甲高い音と、男たちの叫び声が聞こえてくる。


 事態が理解できず混乱しているアイリスに、ローレンは薄い羽織を着せおもむろにその手を掴んだ。


「アイリス、俺から離れるな」


 そう言ってローレンはアイリスの手を引き、迷わず扉の外に出た。その腰には、いつも愛用している剣が提げられている。


 廊下に出ると、そこにはレオンとオースティンが駆けつけていた。渋い顔をしたオースティンが、ローレンに事態の報告を行う。


「どうやら野盗の集団のようです。今は騎士団員と伯爵家の私兵とで、対処に当たっています」

「伯爵達は無事か?」

「はい。今のところ全員無事です。しかし、敵の数が思いのほか多く、あまり良い状況とは言えません」


 オースティンからのかんばしくない報告を聞いても、ローレンは至って冷静な表情を保っていた。まるで、今夜襲撃があることがわかっていたかのようだ。


 そしてオースティンは渋面のまま、ローレンに避難するよう提言した。


「陛下、この屋敷には地下に隠し部屋があるようです。ひとまずは伯爵たちと共に、そちらにお逃げください」


 オースティンの言葉に、ローレンは刹那の間思考を巡らせた後、すぐに判断を下した。


「――いや、外へ出て迎え打つ。屋敷に火でも付けられたりしたら、それこそ終わりだ」

「ですが!」


 ローレンの決断に、オースティンは眉を顰め険しい表情を作った。しかし、ローレンは力強い視線をオースティンに向け、自らの家臣に端的に指示を出す。


「オースティン、お前は伯爵たちを街まで逃がせ。一人も死なせるなよ」

「…………御意」


 国王の決定が覆らないと悟ったオースティンは、渋々ローレンの命令を聞き入れた。

 そしてローレンは、アイリスの方を見遣って声をかける。


「アイリス、安心しろ。必ず守る」


 そう言うローレンは、命を狙われているとは思えないほど穏やかな表情をしていた。ほんの少し笑みを浮かべているようにさえ見える。


 こんな状況に慣れているのか、それとも全て自分の手の内なのか、あるいはその両方なのか――。いずれにせよ、ローレンの一連の反応は、十八歳の青年が取るものにしては何ともいびつに思えた。


 そしてローレンはアイリスの手を引き、レオンと共に屋敷の正面玄関へと向かった。


 屋敷の扉を開け外に出ると、既に何人もの野盗が屋敷の庭へと入り込んでいるのが見えた。騎士団員たちが応戦しているが、オースティンの言っていた通り野盗たちの数が多く、後手に回ってしまっている。

 魔法を使えば一瞬で片付くのに、この状況で何も出来ないことが酷くもどかしい。


「随分と盛大なお出迎えだな」


 目を眇めながらそう言うローレンは、どこか機嫌が良さそうにさえ見えた。やはり、先程からローレンの様子が少しおかしいような気がする。


「レオン。アイリスは俺が守っておく。お前は好きなだけ暴れてこい」

「了解!」


 ローレンが指示を出すと、レオンは元気よく返事をしてから勢いよく飛び出していった。相変わらず流れるような見事な剣技で、次から次へと敵をなぎ倒していく。レオンの加勢により、随分と形勢が持ち直したようだ。


 すると、ローレンとアイリスの方にも、三人ほどの敵が斬りかかろうと迫ってきた。


「《力よ、剣に宿れ》」


 ローレンはそう唱えると、敵が達する前に剣を一振りした。すると、三人とも見えない斬撃に切られ、その場に倒れ込んだ。


(剣に強化魔法を施したのね)


 アイリスがローレンの剣技を見るのは、これが初めてだった。その後も何人もの敵が向かってくるが、一人もローレンに近づくことさえ出来ずに倒れていく。ローレンの左手はアイリスの手を掴んだままなのに、彼の戦い方は隙も無駄もなく、見事な立ち回りだった。


(これは、魔法の力が使える状況だったとしても、私の出る幕はなさそうね……)


 そう思いふとローレンを見上げると、目に映った彼の表情にアイリスは思わず固まってしまった。

 今度は見間違いなどではなく、完全に笑っていたのだ。薄く口角を上げ、ニヤリとした笑みを浮かべている。ゾクリと背筋が凍るような、そんな笑みだった。


「陛下……」


 今までに見たことのない彼の姿を見て、アイリスは思わず声を漏らしていた。隣りにいるこの人物が、全く知らない人のように見え、酷く胸がざわめく。

 いつも気難しい顔をして、部下に叱責しているところもよく見かけるが、ローレンの根底には必ず優しさがあるのをアイリスは知っていた。そんな彼に、加虐趣味があるとは思えない。


(一体、何に対してそんな表情をしているの……?)


 アイリスが血の気の引いた頭でそんなことを考えていると、突如として肌をチクリと刺すような感覚があった。そして、アイリスはローレンとほぼ同時に、屋敷を囲っている林の方へと視線を向けた。


(明らかな殺気……今まで隠れてた? 急に殺気を見せたのは、兵力を分散させるのが目的?)


「チッ」


 林に潜む刺客の存在に気づいたローレンは、眉間に皺を寄せ不機嫌そうに舌打ちをした。ローレンが判断を下す前に、アイリスは素早く彼に申し出る。


「陛下、私に行かせてください」

「ダメだ、俺が行く。お前はここに残れ」

「陛下が今ここを離れては、形勢が崩れます。林の中なら多少力を使ってもバレないでしょう。ご心配であれば、レオンを付けていただいても結構です」

「…………」


 敵の数が削りきれていない今、唯一広い攻撃範囲を持つローレンがこの場を離れるのはあまり好ましくない。彼も当然それはわかっているようで、酷く渋い顔をしている。


 ジリジリと殺気が色濃くなっていくなか、アイリスは痺れを切らしたようにローレンに迫った。


「陛下!!」


 アイリスが強い視線で訴えると、ローレンは小さく息を吐いてから渋々承諾した。


「…………わかった。ではレオンを連れて行け。傷一つ作るなよ」

「お任せを!」

「レオン、来い!!」


 ローレンがよく通る声でそう叫ぶと、レオンがすぐにアイリスたちの元へやってきた。かなり動き回っていたはずなのに、魔物討伐の時と同様に、レオンの息は一切上がっていない。一体どれほどの体力の持ち主なのだろうか。


「アイリスに傷一つ付けさせるな。必ず守れ」


 ローレンからの命令はそれだけだったが、レオンも刺客の存在に気づいていたらしく、すぐに自分が何をすべきなのか理解したようだった。


「了解!!」


 レオンは勢いよく返事をすると、刺客がいる林の方へと視線を向けた。林までの道のりには野盗たちが数人いるため、そのまま抜けるのは難しそうだ。

 すると、レオンはアイリスの手を取り、自信に溢れた表情を見せた。何があっても大丈夫と思わせる、こちらを安心させてくれる表情だ。


「俺が道を作りますから、付いてきてください。絶対に守りますんで」

「うん、わかったわ」

「じゃあ行きますよ、アイリス様!」


 そう言うと、レオンはアイリスの手を引き走り出した。とはいえ、アイリスの走るペースに合わせてくれているので、レオン単独よりだいぶ速度は落ちる。


 すると、林へ突っ切ろうとする二人に、案の定野盗たちが襲いかかろうとしてきた。しかしレオンは、アイリスを庇いつつ、くるりくるりと回りながら器用に敵を斬っていく。まるでダンスを踊っているかのようだ。


 レオンのおかげで難なく林の入口まで到達すると、アイリスたちはそのまま林の中へと進んでいった。ここまで来たら多少魔法を使ってもバレないだろうと思い、アイリスは自分とレオンに防御魔法を纏わせておいた。


 さらにしばらく進み、少し開けた場所に出たところで二人は立ち止まった。嫌な殺気が二人を取り囲む。薄っすらと感じる魔力反応からして、数は五人だ。


「わざわざ出向いてやったんだ! 勿体ぶってないで、さっさと出てこいよ!」


 レオンが挑発的な笑みを浮かべながらそう叫ぶと、木の陰から黒装束を着た五人の男たちが姿を現した。

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