第43話 あなたの隣で
夕食後、アイリスは湯浴みを済ませると、寝台の上で寝転びながらぼんやりと天井を見つめていた。
普段なら夫婦の寝室でローレンと話しながら休んでいる頃だが、今日は夫婦別室のため、客室に一人で過ごしている。お互いの部屋には結界を張ったので、セキュリティ的には問題ないだろう。魔法に長けたオースティンにバレないように結界を張るのは、なんとも骨が折れた。
(静かね……)
自分しかいない部屋は、随分と広く感じる。一人で夜を過ごすのは、随分と久しぶりだ。
(だめだわ。いずれ離婚してこの国を出たら、また独りになるんだから。寂しいなんて思っちゃだめ)
こんな日は早く寝てしまうのが一番だ。そう思い、明かりを消そうと立ち上がると、ローレンの部屋に繋がる扉を叩く音が聞こえてきた。
アイリスは予想外のことに驚きながらも、扉に近づいてから小声で返事をする。何か問題でも起きたのだろうか。
「陛下? どうかされましたか?」
すると、少しだけ扉が開き、寝衣姿のローレンが顔をのぞかせた。湯浴みを済ませたばかりなのか、金色に輝く髪がまだ少し濡れている。
「夜遅くにすまない。起こしたか?」
「いえ、そろそろ眠ろうかと思っていたところです」
「今日はどうする?」
「え?」
アイリスはローレンの質問の意図が汲み取れず、目をパチクリさせた。しかし、彼の次の言葉に、アイリスは大きく驚くことになる。
「一緒に寝るか?」
「え!?」
アイリスは驚きのあまり、思わず声を上げてしまった。大きく目を見開き、ローレンの顔をただただ見つめる。するとローレンは、気遣わしげな瞳でアイリスを見つめ返してきた。
「大丈夫か?」
「???」
またしてもローレンの言葉の意味がわからず、アイリスは頭の上にハテナを浮かべる。
「先程、寂しそうな顔をしていた」
その言葉で、アイリスはローレンが何を言わんとしているのか全て理解した。
『先程』というのは、食事会で伯爵と会話をしていた時のことを指しているのだろう。父親に愛されなかったアイリスが、伯爵の父親としてのドミニクへの思いを聞き、寂しさを全く感じなかったといえば嘘だった。
表情は完璧に繕ったつもりだったが、ローレンは全てを見透かしたらしい。そして、そんなアイリスを心配し、今こうしてわざわざ声をかけてきてくれた。
ローレンの気遣いになんだか泣きそうになってしまい、アイリスは誤魔化すように苦笑しながら言葉を返した。
「やはり、陛下に嘘は通じませんね。でも大丈夫ですよ。私が隣にいては、疲れも取れないでしょう」
アイリスの返答に、ローレンは一瞬考える素振りを見せた後、穏やかな碧い瞳をこちらに向けた。
「では言葉を変えよう。俺がお前と共に過ごしたい」
ローレンのあまりに直接的な言葉に、アイリスは再び大きく目を見開いた。そして、その言葉の意味を理解した途端、なんとも言えない恥ずかしさに苛まれ、表情を隠すように俯いた。
アイリスはそのまま、消え入りそうな声でなんとか返事をする。
「そ、そういうことであれば」
そう言って許諾すると、ローレンは微笑んでアイリスを自分の部屋へと招き入れてくれた。
そしてアイリスはいつもと同じように、読書するローレンの隣で横たわりながら彼と語らい始めた。一日の終わりにローレンと語り合うという、今では当たり前になったこの習慣が、今日は尚更かけがえのないものに感じる。
ローレンはいつものように本に視線を落としたまま、今日の出来事についてアイリスに尋ねてきた。
「街はどうだった?」
「とても活気に溢れていて、素敵な街でした。農業だけでなく、畜産も行われているのですね」
「ああ、一部な」
ローレンの問いにアイリスが明るい声で答えると、彼は穏やかな表情を浮かべていた。
そしてアイリスは、街で集めた情報をローレンに報告することにした。
「肉屋のおじさまに伺ったのですが、魔物の被害に遭ったのは畑だけで、畜産の方に影響はなかったそうです。今回の討伐対象は、肉食の魔物ではないのかもしれません」
「そのようだな。明日には魔物の姿を拝めると良いんだが」
この情報はコネリー伯爵から既に聞いていたらしい。やはり新しい情報はこれ以上出てこなさそうだと思いつつ、念の為もう一つの情報も伝えておく。
「あと、街の孤児院で何人か子供が行方不明になっているそうです。街の人達は、空飛ぶ魔物が攫ったのではないかと考えているようです」
「それは報告に上がっていなかったな……」
ローレンは本から視線を外すと、指で顎を摘みながら少しの間考え込んでいた。それから、アイリスの方へと視線を向ける。
「情報感謝する。城の者に連絡を入れて、調査に向かわせよう」
どうやらこれは、コネリー伯爵も把握していなかった情報のようだ。アイリスはローレンの役に立てたことが嬉しくて、少し顔を綻ばせた。
そしてアイリスは、こちらを向いているローレンの髪が未だに乾き切っていないのが気になった。いくら夏の時期とはいえ、ちゃんと乾かさないと風邪を引いてしまう。
「陛下。髪を乾かしても?」
「?」
アイリスの突然の提案に、ローレンは怪訝そうな表情を返してきた。それを見てアイリスは、悪戯っぽい笑みを浮かべながら体を起こすと、彼の横にちょこんと座った。
「失礼します」
アイリスはそう言ってから、ローレンの頭に左手をかざし、右手で綺麗な金色の髪をとかしていった。左手からは温かい風が出ており、ローレンの髪を揺らしている。彼の髪はとても滑らかで、触り心地がよかった。
ローレンは、アイリスの行いに驚いたように目を見開きながら尋ねてきた。
「これは?」
「風と火の魔法を組み合わせた応用です。髪を乾かす時に便利なんです」
「なるほど。これは良いな」
そう言うローレンは、微笑を浮かべながらアイリスに身を委ねていた。
ローレンに褒められて嬉しくなったアイリスは、思わず笑顔になって言葉を返す。
「でしょう。次の論文は、便利な生活魔法について書こうかと」
「それは良い。それに、お前の手で撫でられるというのも、悪くないな。心地よい」
「そっ……れは……お褒めに預かり光栄です……」
ローレンの言葉に、アイリスは自分の行動が急に恥ずかしいものに思えてきて、思わず手を止めそうになった。しかし、恥ずかしいからといって、ここで適当に終わらすわけにもいかない。アイリスは早く乾けと祈りながら、それでも丁寧にローレンの髪を乾かした。
「で、できました」
「ああ、ありがとう。助かった」
ローレンの髪は短いのですぐに乾いたのだが、至近距離で彼の髪に触れていたアイリスにとっては、随分と長い時間に感じた。
アイリスは緊張と恥ずかしさで妙に気疲れしてしまい、その後の会話もそこそこに、早めに就寝することにした。
「それではおやすみなさい、陛下」
「ああ、おやすみ、アイリス。良い夢を」
いつも通りのおやすみの挨拶に、アイリスは温かい気持ちを抱えながら眠りについたのだった。
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