第42話 不穏な噂


 ドレスの上にローブを羽織ったアイリスは、レオンを連れてイオールの街中を歩いていた。


 今回は魔物討伐に同行するということもあり、元々簡素なドレスで来ていたので、街中でもさほど目立たずに済んでいる。レオン以外にも、三人の騎士が少し離れたところから付いてきてくれていた。


「ごめんね、レオン……私が余計な指示をしたせいで、結局陛下に怒られちゃって……」

「いや、判断を間違えたのは俺なので……こちらこそすみませんでした」

 

 アイリスが隣にいるレオンに謝罪すると、彼は頭を掻きながら申し訳無さそうに俯いた。


 森の中ではローレンに叱られて褒める暇がなかったので、アイリスはレオンの素晴らしい剣技を思い出しながら、落ち込む彼にその時の興奮を伝えた。


「でも、レオンの剣技、すごかったわ! 一瞬で魔物を倒しちゃうなんて!!」

「……ホントですか!?」


 アイリスからの称賛の言葉を聞き、レオンの表情がパアッと明るくなる。まるで褒められて尻尾を振っている子犬のようで、とても可愛らしい。

 

「うん! 流石は、宮廷騎士随一の腕前!」

「ヘヘッ。俺の良いところ見せられて良かったです」


 そう言うレオンは、少し照れながらも満面の笑みを浮かべている。


(こんな優秀な騎士は、やはり私ではなく陛下の護衛について欲しいわ)


 アイリスがそんなことを思いながら歩いていると、ひときわ賑わっている場所に出てきた。どうやら街の中心にある市場のようだ。様々な露店が並んでおり、商人たちの活気で溢れている。


「野菜や果物、小麦……いろいろ売ってるわね。あっちはお肉を焼いているのかしら。とってもいい香りがするわ」

「城下とはまた違った賑わいがありますよね。何か食べますか?」

「うん!」


 露店を見て回ると、農作物以外にも精肉を扱う店が点在していた。イオール地方は農業が中心だが、一部畜産も行っているらしいかった。アイリスは肉の焼けた香ばしい匂いにつられ、一軒の肉屋の前で足を止めた。


「おう! 随分きれいなお嬢ちゃんだね。サービスするよ!」

「ありがとう。この串焼きを、五本お願いできますか?」

「あいよ!」


 アイリスが購入したのは豚の串焼きだった。

 焼き立ての串を受け取ると、まずレオンに一本渡し、それから後ろに付いてきてくれていた騎士たちにもそれぞれ串を渡した。そして、自分もガブリと頬張ると、じゅわぁっと口の中いっぱいに肉汁が広がった。肉の旨味をガツンと感じられ、王城で出される繊細な料理とはまた違った良さがある。


「ん〜!! 脂が乗っていてすごく美味しい!!」

「ハハッ! 嬉しいこと言ってくれるな、お嬢ちゃん!」


 快活な店員は、ガハハと大口を開けて笑っている。

 これは街の人と話せる貴重な機会だと思い、アイリスはこの店員に話しかけてみることにした。


「とても賑やかで素敵な街ですね」

「だろ? 街の中心は活気に溢れてて、だが少し離れると畑が広がって静かで落ち着いていて、良いところなんだ」


 しかし店員はそう言った後、腕組みしながら眉を顰めて続けた。


「でも最近、近くに魔物が住み着いちまってなあ。農家の連中も、畑を荒らされて参ってるらしい」


 どうやら、魔物の噂は街の住人にも知れ渡っているようだ。魔物の情報は既にコネリー伯爵がまとめているので、これ以上有益な情報は出てこないだろうが、街の人しか知らない話もあるかもしれない。アイリスはそう思い、少し踏み込んで尋ねてみることにした。


「被害があったのは畑だけですか? 畜産の方に影響は?」

「いや、そっちの方は大丈夫らしいんだが……」


 店員はそこまで言うと声を潜め、アイリスにこっそりと続きを話した。


「どうも、街の孤児院で何人か子供が行方不明になっているらしくてな。空飛ぶ魔物に攫われたんじゃないかって、もっぱらの噂だ。お嬢ちゃんも気をつけな」

「行方不明……」


 その言葉に、アイリスはふとルーイが追っている魔法師失踪事件のことを思い出した。


(……流石に無関係かしらね。学校とイオールの街では距離が遠すぎるし、そもそも魔法師の一件は家出みたいだし)


「ありがとう、おじさま。気をつけるわ。それじゃあ」

「おう、まいど!」


 店員と別れ、アイリスはもうしばらく街の中を散策した後、コネリー伯爵邸へと戻った。




***




 ローレンたちが偵察から伯爵邸へと戻ったのは、ちょうど日が沈む頃だった。

 

 それからアイリスは、約束通りローレンから調査の報告を受けた。彼の話によると、残念ながら偵察中には目当ての魔物は現れなかったらしく、今日は予定通り伯爵邸へ宿泊することになった。


 そしてアイリスは今、ローレンやコネリー伯爵と共に食卓を囲んでいる。国王の来訪とあって、豪勢な料理の数々が並べられていた。


「この度は国王陛下直々にお越しいただき、なんと御礼を申し上げればよいか。こちらで対処できれば良かったのですが、あいにく私兵の中には魔法が使えるものがあまりおりませんで」

「構わん。イオールで採れる農作物は王都の重要な食糧源だ。それが危ぶまれるとあれば、国が動くのは当然だ」


 当たり前なのだが、ローレンは食事の時でも王としての威厳を保ち、美しい姿勢で食事を取りながら伯爵と会話を弾ませている。


 一方のアイリスは、普段このような格式張った食事会に参加する機会がほとんど無いため、粗相をしないように必死だった。王妃として情けない限りだが、緊張して会話に混ざる余裕などなく、ひたすら二人の会話に耳を傾けていた。


けいには確か、息子がいたか」

「はい。現在はヴァーリア魔法学校で寮住まいをしております。私は魔法はからきしですが、息子はそこそこ出来るようでして。こんな事を申し上げるのは少しお恥ずかしいのですが、出来の良い自慢の息子です」


 伯爵は少し照れ笑いを浮かべながら、自分の息子について嬉しそうに語っていた。ローレンもそれに釣られたのか、微笑をこぼしながら言葉を返す。


「そうか。魔法師はこの国では貴重だ。子息の今後の活躍に期待しよう」

「勿体なき御言葉。息子にも必ずお伝えいたします」


 伯爵は目尻に皺を寄せながらにこやかにそう返した後、少し遠い目をしながら続けた。


「実は、息子は幼い頃に母親を魔族に殺されておりましてね……心に傷を負い心配していたのですが、真っ直ぐな子に育ってくれて安心しています」


 家族の愛情を知らないアイリスは、こんなにも父親に愛されているドミニクのことが、少し羨ましくなった。いつも気難しい顔をしているドミニクだが、父親の前では笑顔を見せるのかもしれない。


 そんなことを考えていると、アイリスは心の底から出てきた言葉をいつの間にかポツリとこぼしていた。


「コネリー伯爵のような優しいお父君がいらっしゃって、ご子息は幸せ者ですね」

「いやあ、どうでしょう。良いところなど一つも見せられていない、ダメな父親です」


 苦笑しながらそう言う伯爵に、アイリスは言葉を返す。表情に寂しさが滲まないよう、微笑みを作って。


「いいえ。親の愛は、何物にも変えられません」


(――大丈夫。家族の愛情は知らないけれど、師匠の優しさは覚えているわ。それに、今は王城や学校のみんなも優しくしてくれる。うん、寂しくなんてない)


 アイリスは心の中で感傷を振り払うと、再び二人の会話に耳を傾けた。


 それからしばらく歓談が続いた後、夕食会はお開きとなった。

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