第38話 ルーイ・ダウンワード


 アイリスの目の前にいる整った顔立ちの青年は、この学校の制服を身に纏っていた。ネクタイの色が紺色であることから、それが二年生のものだとわかる。


 以前会った時は、確かブルーアッシュの髪だったが、今は変装のため茶色に染めているようだった。顔の印象も以前と異なるが、黒い瞳の色だけはそのままだ。

 

 すると、彼は切れ長の瞳を細めて笑いながら、アイリスに向かってこう言った。


「いやあ、こんなところで護衛も付けず何してるのかなと思って。ねえ、?」

「――…………!!」


 彼のその言葉に、アイリスの心臓がドクンと跳ねた。思わず息を呑み固まってしまう。


 ローレンの暗殺を企てる黒幕がアベルではないとは思いながらも、確信が持てない今、アベルの側近であるこの男に自分の正体がバレるのはできれば避けたかった。しかし、彼の瞳はカマをかけているようには見えない。


(私が王妃だと確信している相手に、いくら言い繕っても時間の無駄ね……)


 そう思い諦めて小さく息を吐くと、アイリスは反撃に転じることにした。


「変装してるあなたを見かけてもせっかく知らないふりをしていたのに、あなたから声をかけてくるなんて台無しだわ。ねえ、アベル殿下の側近さん?」


 すると今度は、目の前の彼が一瞬固まった。そして、アイリスは間髪入れずに追撃する。


「以前アベル殿下とお茶会をした時に、後ろに控えていたわよね?」


 しかし、アイリスの言葉を聞いても彼は焦る様子もなく、腕組みをしながらニヤリと笑った。


「……どうして俺が殿下の側近だと?」

「あなたの魔力を見ればわかるわよ。私、一度その人の魔力を見たら、姿を変えていても本人かどうかわかるの」

「まじかよ......とんだ諜報員泣かせだな。変装の努力も水の泡だ」


 そう言う割に、彼は楽しそうに笑っていた。

 一体なぜ接触してきたのだろうか。目的がわからない。アベルにアイリスの正体を報告するだけなら、わざわざこちらに接触する必要もないだろう。


「どうして私の跡を付けてたの?」

「そりゃ、麗しの王妃様を見かけたんで、ご挨拶をと」


 青年は恭しく一礼しながらそんなことを口にしたが、あからさまな嘘にアイリスは思わず溜息をついてしまった。


「そういう冗談はいいから。もしアベル殿下に私の正体を話すつもりなら、魔法であなたの記憶を消さないといけないんだけど」

「ああ、待った待った! そんなつもりはないから!」


 アイリスが脅すと、青年からようやく先程までの余裕が消え、彼は焦ったように両手を挙げて降参のポーズを取った。


「俺も今、潜入調査中で身バレするとまずい。だから、お互い黙っとくってことでどうだい?」

「……その言葉をどうやって信用しろと?」

「そうだな。約束を破ったら死ぬ、みたいな魔法とかかけてくれてもいいよ?」

「なっ。そんな極端な……」


 自分の命を軽々しく扱う青年の発言に、アイリスは思わず眉を顰めた。出来なくはないが、人の命を奪う呪いのような魔法をかけるつもりはなかった。


 青年の覚悟と度胸に免じて、アイリスは彼の言葉を一旦は信じることにした。


「わかったわ。でも、もしアベル殿下に私の正体が伝わってると思ったら、即あなたを処断しに行くから」

「ああ、それでいいよ。ありがとう、王妃様」

「この姿の時に王妃様って呼ぶのはやめて」

「じゃあ、お嬢さんで。俺はルーイ・ダウンワード。あ、学校ではルーカスって偽名を使ってるから、そこんとこよろしく」


 青年は胡散臭い笑顔を浮かべながら、自分の名を教えてくれた。ルーイという名前も本当かどうかわかったものではないと思いながら、アイリスは改めて接触の理由を尋ねることにした。


「で、本当はどうして私に接触してきたの?」

「え? 興味本位」

「は?」


 ルーイの様子からして、どうやら嘘ではなさそうだった。

 アイリスは母国で生き抜くために今までいろんな人間を観察してきたが、こんなに行動原理がわからない相手は初めてだ。


(まるで気まぐれな猫みたい――)


 そう思ったらなんだかおかしくなって、アイリスは思わずフッと笑みをこぼしていた。

 すると、ルーイがアイリスの顔を覗き込みながら、仮面越しにまじまじと見つめてきた。そんな彼に、アイリスは怪訝そうな表情を浮かべて尋ねる。


「な、なに?」

「いや、そんなふうに笑うんだと思って。できれば仮面無しで見たかったな」

「アベル殿下とのお茶会でも笑ってたわよ」

「あれは作り笑いだろ? うん、今の笑顔のほうが百倍いい」


 ルーイは腕を組み、うんうんと頷きながそう言った。本当に掴みどころのない人物だ。


 アイリスは返事に困り、ひとまず今後の参考までにどうやってこちらの正体を見抜いたのか尋ねることにした。


「それにしても、どうして私が王妃だとわかったの? 仮面も付けて、髪も染めてるのに」

「お嬢さんが俺を見破った方法と似てるかな。姿は変えていても、人間癖ってのは出るもんでね。姿勢、歩き方、話す時の発音や言葉遣い……。そのあたりを観察すれば、同一人物かどうかくらいすぐにわかる」

「……なるほどね。参考にするわ」


 たった一度アベルとのお茶会で会っただけなのに、こちらの正体を見破るなんて、彼の記憶力と観察眼は相当なものらしい。

 アイリスが相手の能力に舌を巻いていると、ルーイは頭の後ろで手を組みながら揶揄うような笑みを浮かべて言った。


「でもまさか『仮面の魔法師』の正体がアイリス王妃殿下だったとはな〜。ってことは、あんたは本物の『黒髪緋眼』ってことか。陛下はそのことを知っててお嬢さんと結婚したのかい?」

「さあ、どうだか」

「ハハッ。警戒されてるな〜。大丈夫、大丈夫。何を聞いてもアベル殿下には報告しないから」


 そう言って目を細めて笑うルーイは、なんだか随分と楽しそうだった。それにしても、主君に報告するつもりもないのに、どうしてこちらのことを探ろうするのだろう。


 こちらからも聞きたいことはたくさんあるが、そろそろ昼休みも終わりそうなので、アイリスは最低限聞いておくべきことだけ尋ねることにした。


「あなたはどうして学校に潜入を? なにか事件でもあったの?」

「ああ。殿下の命令で、魔法師の失踪事件を追ってるんだ」

「魔法師の失踪?」


 ルーイの思いも寄らない回答に、アイリスは眉根を寄せた。


「そ。ここ数日の間に、この学校の生徒二名が立て続けに行方不明になってる」

「なにそれ、初耳だわ」

「行方不明って言っても、どっちも『家出する』っていう書き置きがあったから、学校側は各家庭に対応を任せてるみたいだ。だから学校内でも広まってないんだろ」


 ルーイの話をそこまで聞いたアイリスは、率直な疑問を口にした。


「でも、だとしたら、ただの家出騒動にアベル殿下が直々に調査をご命令なさるなんて、どういうことなの?」

「行方不明になったうちの一人が、アベル殿下の知り合いのご令嬢らしくてね。それで調査してるってわけ」


 アイリスの問いに、ルーイは腕組みをしながらそう答えた。そして彼は、今までにない穏やかな表情を浮かべると、唐突にアイリスの頭をぽんぽんと撫でながら続けた。


「お嬢さんも学校だからって気を抜かず、くれぐれも気をつけて」

「ちょっ、何!?」


 彼の突飛な行動にアイリスはドギマギしてしまい、思わず身を引いた。ルーイはその反応を揶揄うようにケラケラと笑うと、またよくわからないことを言い出した。

 

「まあ、あんたには強力な護衛がついてるから大丈夫か」

「護衛? レオンのこと? 学校には付いてきてもらってないけど」

「ハハッ。旦那様に愛されてるねってことだよ。それじゃまたね、お嬢さん」


 ルーイは変わらず笑顔でそう言うと、さっさとその場を後にしてしまった。


「意味がわからないわ……」


 一人取り残されたアイリスがポツリとそうこぼした時、ちょうど午後の授業の予鈴が聞こえてきたのだった。

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