番外編1ー1.嘘の音
「お初にお目にかかります、ローレン国王陛下。アトラス王国から参りました、アイリス・アトラスと申します」
美しい真紅のドレスに身を包んだ少女は、この国の王、ローレン・バーネットの前で見事な一礼を見せた。まともな教育を受けさせられていないと聞いていたが、最低限の礼節は身につけているらしい。
ローレンは今、謁見の間にある玉座に座っていた。今日は、アトラス王国から嫁いできた少女アイリスと、初めて対面する日だった。
「遠路はるばるよく来てくれた。国王として歓迎する。顔を上げよ」
ローレンはよく通る低い声で、目の前にいる少女に言葉をかけた。すると少女は、ローレンの指示に従い顔を上げると、無表情でローレンを見据えた。
少女はこの国には珍しい黒髪をしており、その対比で白い肌がより一層際立っていた。ローレンを見据える緋色の瞳は、美しく輝く宝石のようにも、全てを焼き尽くす炎のようにも見える。細すぎるその腕は、少しの力で折れてしまいそうだ。無表情で感情の読めない彼女は、さながら人形のようだった。
「この城で過ごすに当たって、不便なことがあればすぐに申せ。これから婚姻の儀の準備で忙しくなるだろうが、できる限り快適に過ごせるよう計らおう」
ローレンがそう言葉をかけると、アイリスは表情一つ変えず、恭しく返事をした。
「陛下の寛大なご配慮、心から感謝申し上げます。ここ、大国バーネットの王妃となれることを、誇りに思います。これから、誠心誠意この国に尽くしてまいります」
アイリスの言葉を聞いて、ローレンは思わず顔を顰めた。元々は美しい声だろうに、あまりにもノイズが多かったのだ。
ローレンは、魔力の高い人間が持つ「ギフト」という特殊能力を有している。その内容は『嘘を見抜く力』で、相手が嘘をついていると、その部分だけひどく耳障りに聞こえるのだ。
(全て嘘か……望まぬ婚姻であれば、致し方ないのかもしれない)
ローレンはチクリと胸の奥が傷んだが、表情には出さずに続けた。
「長旅で疲れただろう。今日はゆっくり休むと良い」
「はい。ありがとうございます、陛下。それでは失礼いたします」
(……これも嘘か)
ローレンはまたもや聞こえた耳障りな声に、思わず溜息をついた。
自分の身勝手な理由で無理やりアイリスと婚約した償いとして、せめて彼女には不自由ない生活を送らせたいと思っていた。しかし、これは一筋縄ではいかなそうだ。
その日以降、ローレンの耳に入ってくる彼女にまつわる話は、普通の王族とは思えないようなものばかりだった。
ローレンは、アイリスがこの城で過ごしやすいよう、年齢の近い優秀な侍女を何人か付けていた。しかし彼女は、自分の事は自分でできるからと、侍女の手伝いをことごとく断っているという。王妃に侍女が付かないわけにもいかず、本人をなんとか説得し、今は一人の侍女が最低限の手伝いをしていると聞いた。
侍女や護衛騎士に彼女の印象を尋ねると、口を揃えて『無表情すぎて何を考えているかわからない』と答える始末だ。
"愚鈍で無能な氷姫" という噂は、"氷姫" の部分に関しては今のところ本当のようだった。
ローレンも、アイリスが母国で不当な扱いを受けてきたということは聞いていた。やせ細っているのを見るに、ろくに食事も与えられていなかったのかもしれない。
さらに彼女は、侍女を一人も連れず、たった一人でこの国に嫁いできた。王女が他国に嫁ぐ場合は、侍女が数名同行するのが一般的で、単身で嫁いでくるというのはあまり聞いたことがない。持参した荷物も、ほんのわずかなドレスと、何に使うかわからない木製の杖くらいだという。
アイリスの周囲の人間は、あまりにも普通の王族とかけ離れた彼女の扱いに頭を悩ませていた。
後日、ローレンは久々にアイリスと顔を合わせていた。
この日は王城で、貴族を呼んだ夜会が開かれていた。平たく言えば、国王の婚約者のお披露目会だ。
代わる代わる挨拶に来る貴族たちに対しても、アイリスは変わらず無表情で言葉を返していた。
アイリスの隣で会話を聞いていたローレンは、今にも頭が痛くなりそうだった。彼女の言葉が嘘まみれだったからだ。アイリスが口を開くたびに耳障りな音が聞こえ、実に不愉快だった。
(俺に対してだけではない。あらゆる人間に対して嘘をついている――)
王城にいる限り、嘘の音を聞かない日はないが、ここまで嘘にまみれた人間は初めて見た。全てが嘘で固められた彼女は、ある意味異常だった。
しかし三ヶ月後、ローレンは初めて彼女の感情を垣間見ることになる。それは、婚姻の儀でのことだった。
ローレンの目の前には、純白のドレスに身を包んだアイリスがいた。
そのドレスは胸元から腰にかけてアイリスの体に沿って美しいラインを描いており、裾にかけては光り輝く生地が惜しげもなく使われている。肩や鎖骨が露わになるデザインだが、玉のように磨き上げられた肌はヴェールによって隠されていた。
着飾った彼女を見て純粋に美しいと思う一方、ヴェール越しにもわかるその無表情には、どうしても好感が持てなかった。この表情も、きっと嘘で塗り固めて作られた物だからだ。
「それでは、誓いの口づけを」
司祭の言葉の後、ローレンがアイリスのヴェールを上げると、緋色の瞳と視線が重なった。ルビーのように輝く瞳は、身につけているどの宝飾品よりも美しく見えた。透き通るような白い肌に対して、髪は艶やかに黒く輝いている。
儚ささえ感じるその美しさに、その場にいる皆が息を飲んでいた。
そして、ローレンがアイリスの肩に触れ、口づけの姿勢を取ろうとした時だった。アイリスが、緊張したようにきゅっときつく目を瞑ったのが見えたのだ。よく見ると、微かに震えているのがわかった。
(――……………………)
アイリスの反応が年相応の少女のものに見え、ローレンは思わずフッと口角が上がってしまった。
「緊張しすぎだ」
ローレンが目の前の少女にしか聞こえない小さな声でそう告げると、彼女は驚いたようにハッと目を開けた。その瞬間、二人の唇が重なる。
一拍置いてから唇を離し彼女を見ると、白い頬が真っ赤に染まっていた。この反応は決して嘘ではないと、ローレンは本能的にそう感じた。
この時が、アイリスの感情を初めて垣間見た瞬間だった。
(――お前は他に、どんな表情を見せてくれる?)
ローレンは、嘘で塗り固められたこの少女の本当の姿を、もっと暴いてみたいと思ってしまった。
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