第33話 愚鈍で無能な氷姫


 公爵たちとの面会が終わったその日の夜、アイリスは夫婦の寝室でローレンが来るのを待っていた。今日の面会に同席してくれたことに、改めてお礼が言いたかったのだ。


(陛下、今日は遅いな……)


 面会に出席していた分、公務が押してしまったのだろう。このまま寝台にいては眠ってしまいそうだったので、アイリスはバルコニーに出て夜風に当たることにした。


 外に出ると、綺麗な三日月が顔を出していた。心地よい風が、アイリスの頬を撫でる。バルコニーの手すりに頬杖をつきながら、アイリスは美しい夜空を見上げた。


(面会の後、改めて情報を整理してみたけど、結局黒幕は分からずじまいだったわ……)


 アイリスは自分の無力さに落ち込み、大きく溜息をついた。他の人より多少魔法が使えるといっても、こういう時に役に立たなければ意味がない。


 程なくして人の気配を感じ、アイリスは後ろを振り返った。バルコニーの入り口に、寝衣姿のローレンが立っている。


「珍しいな。月でも見ていたのか?」

「まあ……そんなところです」


 アイリスが部屋に戻ろうと歩き出す前に、ローレンがこちらに近づいてきた。彼は、風になびくアイリスの黒髪を長い指で掬い、耳にかけてくれた。


「元気がないな。何かあったか?」


 気遣わしげな低い声が、アイリスの心に響く。今はローレンの優しさが、余計に情けなく感じさせた。


「いいえ、問題ありません。本日はお忙しいのにご同席いただき、ありがとうございました。陛下のギフトのおかげで、色々と助かりました」

「………………いや、大したことはしていない」


 ローレンの返答に間があったため、アイリスは『問題ない』と言ったのが嘘だと判断されたのではないかと思い、冷や汗をかいた。嘘が一切通用しないというのも、なかなかに大変だ。


 しかし、ローレンは特に追求はして来ず、ふと思い出したようにアイリスに尋ねてきた。


「そういえば、お前のギフトはどんなものなんだ? お前ほどの魔法師なら、何かしら能力を持っているのだろう?」


 その問いに、アイリスは苦笑しながら答える。


「……そんなに大した能力じゃないので、笑わないでくださいね? 私のギフトは、一言でいえば、あらゆる生命との対話、でしょうか。動物でも植物でも、命あるものなら誰とでも会話をすることができます」

「十分凄いと思うが」

「でも、役に立ったことはありませんよ。独りの寂しさが紛れるくらいです」


 師匠がくれた青い小鳥とは、よく話をしたものだった。外出を許されなかったアイリスに色んな話を聞かせてくれたり、叔父たちに虐められた時に慰めてくれたり――。


(でも、結局あの子のことは守れなかった。今回も、何も役に立てなかった。私の力なんて、その程度でしかない――)


 アイリスはくるりとローレンに背を向けると、独り言のようにつぶやいた。

 

「結局、私は陛下のお役に立てませんでしたね。暗殺未遂事件のこと、任せてもらっておきながら、黒幕もわからずじまいで」

「そんなことはない。お前がいなければ、マーシャ嬢のところにすら辿り着けなかった」

「そうでしょうか……私がいなくても、陛下が遣わした部下の方たちが、事件を解決していた気がします」


 度重なる失態を思い返し卑屈になってしまったアイリスは、ついいじけた子供のようなことを言ってしまう。自分でも面倒な女になっているとわかっているが、どうしても言葉が溢れて止まらなかった。


 するとローレンが、優しい声音で言葉をかけてくる。


「信用していなかったわけではない。この事件をお前一人だけに背負わせるのは、違うと思ったからだ。それに、ルーズヴェルト公爵を味方に引き入れるという、大きな成果を残しただろう」

「公爵は元々、今の権力図に疑問をお持ちでした。今回のことがなくとも、陛下の派閥に入られていたと思います」


(どうしてこんな気分になるんだろう……別にいいじゃない、役に立たなくたって。どうせ誰も、私に期待なんてしてないんだから。離婚まで適当に過ごして――いや、でも違うの。私は役に立たないと、居ちゃいけないの。役立たずは、生きてちゃいけないの)

 

 ぐるぐると取り留めのない思考が巡る。重たい鉛を飲み込んだように、胸の奥が暗く冷たく沈んでいく。

 

「私はやっぱり、"愚鈍で無能な氷姫" ですね。多少魔法が使えても、何の役にも立たない......」


 アイリスは自嘲気味に明るく言い放ったつもりだったが、声がくぐもってしまっていた。目の前がじわりと滲み、星々がより一層光って見える。


「アイリス、こちらを見ろ」

「誰からも必要とされない……いらない子――」

「アイリス!」


 ローレンの声と共に肩を掴まれ、ぐいっと彼の方を向かせられたと思った途端、彼に唇を塞がれた。アイリスが驚いて目を見張ると、すぐに柔らかな唇が離れていく。


「へ、へいか……」

「それ以上自分を卑下する言葉を吐くなら、もう一度口を塞ぐ」


 ローレンのかすれた低い声が、アイリスの耳をくすぐる。どちらかが少しでも動けば、再び唇が重なりそうな距離だった。眉を顰め鋭い眼差しでこちらを見つめる碧い瞳から、目を逸らすことが出来ない。


「……で、でも私は、何もお役に……んむっ」


 アイリスが言葉を紡ごうとした途端、再び唇が重ねられた。


「んんっ」


 アイリスが逃げようとするも、腰と頭に手を回され、今度はすぐに離してもらえなかった。しばらくの抵抗の末、やっとのことで開放される。


「ぷはっ」


 アイリスはクラクラする頭でローレンを見上げた。いつの間にか溢れていた涙を、彼の指が優しく拭う。


「言ったはずだ。お前は、お前が生きたいように、自由に生きればいい。もし仮に誰かの役に立てなくても、お前の居場所が無くなったりはしない」


 ローレンのその言葉に、アイリスはやっと自分の感情の正体に気づくことができた。


(そうか……私は、怖かったのね)


 人から忌み嫌われ、自分の居場所が無くなることが。そして、初めて魔法を褒めてくれたローレンに、失望されることが。


 母国にいた頃は、人から嫌われようが、自分の居場所が無かろうが、何も感じなかった。でもそれは、感情に蓋をして気づかないふりをしていただけで、心の奥底では恐怖を感じていたのだ。誰かの役に立たなければ自分に居場所なんかないと、無意識にそう思い込んでいた。


「私、生まれて初めて自分の魔法を陛下に褒めてもらって......すごく嬉しかったんです。だから、この力で陛下のお役に立ちたくて……失望、されるのが怖くて……」


 自分の感情に気づいたおかげで、スルスルと素直な言葉が出てくる。震える声で言葉を紡ぐアイリスに、ローレンは穏やかな眼差しを向けながら、ゆっくりと優しい手つきで頭を撫でてくれた。


「何度も言うが、お前の力には随分と助けられている。失望なんて、するはずがない。公爵の件も、確実にお前の後押しのおかげだ」


(私のギフトも、嘘がわかる力だったら良かったのに……それなら、この優しさが嘘かホントかわかるのに……)


 人の優しさに慣れていないアイリスは、ローレンの言葉を素直に受け取るのが怖かった。もし全て嘘だったら、きっと立ち直れない。全ては信じるなと、どうしても心が自衛してしまう。


 眼の前の瞳を見つめたまま何も言えないアイリスに、ローレンは不服そうな顔をした。


「信じてないだろ」


 心を見透かされたような言葉に、ドキリとする。はたから見れば、完全に面倒くさい女だ。


 すると、ローレンは困ったように笑い、クシャクシャとアイリスの髪をかき混ぜた。


「お前は、まずは自分に自信を持つところからだな。すぐには難しいだろうから、気長に言葉で伝えていくことにする」


(どこまでも、甘やかされている……)


 ローレンの言葉に、アイリスは胸の奥がきゅっと締め付けられる思いがした。

 またも何も言えずにいると、ローレンがアイリスの頬に触れながら、親指で優しく唇を拭ってきた。


「手出しをしないと言っておきながら、無理やり触れてすまなかった」


 アイリスはつい先程の口付けを思い出し、一気に顔が赤くなってしまった。ローレンとキスをするのは、婚姻の儀以来だ。アイリスはドキドキとうるさい心臓を押さえつけ、別に気にしていない風を装いながら彼に言い返す。


「ふ、夫婦なので、問題ないかと、思い、ます……」

「はっ。そうか」


 ローレンはクスリと笑うと、アイリスの手を引き、薄暗い寝室へと戻っていった。そして、明かりを消して二人で寝台に入ると、ローレンがこちらを見遣り、尋ねてくる。


「アイリス。今回の件の礼がしたい。何か欲しいものはあるか?」

「いえ、本当に大したことはしていないので――」


 全て言い切る前に、ローレンの指先がアイリスの唇に触れた。先程のキスを思い出し、ドクンと心臓が跳ねる。


「また塞がれたいか?」

「す、すみません……ありがたく頂戴いたします……」


 悪戯っぽく聞いてくるローレンに、アイリスはそう答えるしかなかった。

 アイリスは彼の方に体を向け、うーん、と頭を悩ませる。


(つい最近、文具やネックレスを頂いたばかりだし……欲しいもの……あ、)


「物じゃなくてもいいですか?」

「ああ、俺が叶えられることなら」

「その、時間が合う時だけで構わないので、陛下と一緒に、お食事を取りたい……です」


 アイリスは話している途中で少し照れくさくなってしまい、最後の方は尻すぼみになりながら彼に要望を伝えた。


 アイリスは、物心ついた頃からずっと一人で食事を取ってきた。しかし、学校に通いだしてから、誰かと一緒に食べる食事はとても楽しく、そして何倍も美味しく感じられるものだと知った。それから、いずれはローレンと食卓を囲んでみたいと思っていたのだ。


「お安い御用だ」


 薄闇の中で、ローレンは微笑みながら穏やかな声でそう答えてくれた。


 こうしてアイリスは、翌日からローレンと一緒に朝食を取るという習慣ができたのだった。

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