第32話 答え


「もう一つのお願いは、他でもありません。今後、陛下がお困りの際は、是非ともルーズヴェルト公爵のお力を貸していただきたいのです」


 アイリスは公爵をしっかりと見据えながら、二つ目の要望を告げた。アイリスの言葉に、公爵は驚いた様子を見せる。


「それはつまり……ローレン陛下の派閥に入れ、ということでしょうか……?」

「おい、アイリス」

 

 アイリスの発言に、ローレンは眉を顰めてこちらを見遣った。

 ルーズヴェルト公爵家は、代々どの派閥にも属さず、公平な立場を貫くことで知られている。にも関わらず、アイリスが勝手なことを言い出したので牽制したのだろう。


 ここから先は、ローレンとの事前の打合せにはない、アイリスの独断的な行動だった。アイリスは、物言いたげなローレンを視線で制して続ける。


「いいえ、ルーズヴェルト公爵。命を救った代わりにこちら側に付けといった、脅すような真似をしたいわけではありません。そんなことで得られる助力など、仮初かりそめでしかありませんから。あなたのお立場を考えても、特定の派閥に属するのが難しいことはわかっています。そこまでお願いすることは出来ません」


 そう言ってからローレンの方をちらりと見遣ると、彼が変わらず険しい顔をしているのが目に入った。しかしアイリスは、彼を見て思い出す。国のために、人一倍努力する青年の姿を。


 いつも夜遅くまで本を読み、研鑽を怠らないあなた。

 いつ殺されるかもわからない恐怖を背負いながら、誰に蔑まれても自分の志を貫き通す、どこまでも強いあなた。

 そして、誰よりも優しくしてくれるあなた――。


(――この人に、報いたい)


 アイリスは心の中でそう強く思うと、公爵に向き直り再び語り始める。


「陛下は『魔族との共存』という、誰も成し得たことがない茨の道を進もうとされています。しかしそれが実現すれば、これまでにない平穏と利益が国民にもたらされるでしょう。周囲の理解が得られずとも、ただ国のためにその道を歩もうとする陛下を、私は支えたいと思ったのです」


 アイリスの言葉に、ローレンも公爵も驚いたように目を見開いている。


 『彼のことをどう思っているのか』という、リザからの問いが思い出される。あの時は、うまく答えることが出来なかったけれど……。


(――私は、この人を支えたい。ひとりで傷だらけになりながら、茨の道を進むこの人を)


 これが、今のアイリスの答えだった。


「ですので、これは私の身勝手なお願いです。今後もし、陛下が窮地に立たされることがあれば、ほんの少しだけ、力をお貸しして欲しいのです」


 二つ目の願いを聞き終えた公爵は、しばしアイリスを見つめていた。そして彼は、再び最敬礼の姿勢をローレンとアイリスに向けてこう言った。


「ローレン国王陛下、そしてアイリス王妃殿下。我らルーズヴェルト家は、今この時をもって、国王陛下の傘下に加わることを、ここでお約束いたします」

「よ、よろしいのですか!? 公平な立場であることを、何よりも大切にされてきたのでは……」


 そう言ってアイリスは慌てて公爵に聞き返した。

 公爵の申し出はありがたい限りなのだが、これは想定以上の回答だ。とんでもない約束をさせてしまったのではないかと、心配になってしまう。


 すると公爵は、力強い瞳をこちらに向け言葉を続けた。


「はい。我々一族が公平な立場を重んじてきたのは、王が権力を乱用し国が傾くのを防ぐためでした。しかし今の勢力図は、アベル殿下にあまりにも偏りすぎています。望ましくない状況であると、前々から思っておりました。ぜひとも、陛下にご助力させていただきたく存じます」


 ルーズヴェルト公爵家の影響力はかなりのものだ。ローレン派に属するとなると、アベル陣営との差も大きく縮まるのではないだろうか。


 アイリスはこの状況をどう収めればいいかわからず、思わずローレンに視線で助けを求めた。すると彼は、仕方ないというような表情でアイリスを一瞥すると、公爵を見据えて言葉をかけた。


「ルーズヴェルト公爵。貴公の助力に感謝する。もし今後、俺の方針が気に食わなければ、切り捨ててくれて構わない」

「は。陛下とともに歩めることを、誇りに思います」

「マーシャ嬢の身辺で不穏な動きがあれば教えろ。できる限りの助力はする。話は以上だ」

「ご配慮に感謝いたします。では、我々はこれで失礼いたします」


 公爵が立ち上がると、マーシャも続いて立ち上がり、その場で一礼をした。その目には、もう涙は浮かんでいなかった。そして彼女は、ローレンとアイリスに向かって口を開く。


「ローレン陛下、アイリス殿下。寛大な措置に心から感謝いたします。研究成果という形で、必ずこの御恩に報いてみせます」

「はい。期待していますね」


 マーシャの言葉に、アイリスはニコリと微笑みかけながらそう返した。今後、彼女の論文を読むのが楽しみだ。


 それから公爵は、マーシャと共に退室しようとする間際、徐にローレンの方を振り返った。その時の公爵は、どこか子を慈しむ父のような表情をしていた。


 そして公爵は、慈愛に満ちた声でローレンに言葉をかける。


「陛下。私は陛下が幼い頃から貴方様を見守って参りましたが、この度はかけがえの無い素敵な奥方を迎えられましたな」

 

 ローレンは、公爵の言葉に少し驚いたように目を見開いた後、チラリとアイリスを見遣ってから短くこう答えた。


「――ああ、そのようだ」


 そのやりとりを聞いていたアイリスは、思わず恥ずかしくなり俯いて手をぎゅっと握った。


 しかし、すぐにはたと思い直す。


(私は……陛下に見合うような人間ではないわ。陛下を支えたいなんて言っておきながら、結局黒幕にも辿り着けず、何のお役にも立てていないもの……ルーズヴェルト公爵も、元々陛下側に付くつもりみたいだったし……)


 なんだか急に情けない気持ちに苛まれ、アイリスは握る手に力を込めた。

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