第31話 自由


「お父様!?」


 現れた男性の姿を見たマーシャが、悲鳴に近い叫び声を上げた。彼女の表情から、みるみるうちに血の気が引いていく。


 そこにいたのは、マーシャの父であるルーズヴェルト公爵だった。事のあらましを聞いてもらうため、マーシャからは見えないよう、小部屋で待機してもらっていたのだ。


「マーシャ……! お前はなんてことを……! あれほど魔法の研究はやめろと言っていたのに……!!」


 公爵はマーシャに近づきながら非難の声を浴びせた後、すぐにローレンに向かって謝罪の姿勢をとった。

 

「陛下、この度はなんとお詫びを申し上げればよいか……どんな罰でも受ける所存でございます」


 公爵の言葉に、ローレンは小さく溜息をつくと、書類を一度テーブルの上に置いた。そして、公爵に視線を向けながら告げる。


「今回の件で、貴公らに処罰を与えるつもりはない」


 国王からのその言葉を聞いた途端、公爵もマーシャも信じられないというような表情を浮かべた。


 そんな彼らを見据えながら、ローレンは言葉を続ける。


「マーシャ嬢の行動は軽率だったとはいえ、利用された側だ。また、今回黒幕は、マーシャ嬢が宮廷魔法師になりたいという気持ちにつけ込んだ訳だが、能力的に申し分ないマーシャ嬢が宮廷魔法師になれなかったのは、女性という理由で正当に評価されなかったからだという話も聞いている。これは、正しい人事制度を築けていない、こちらの落ち度だ」


 ローレンの言葉を聞いたマーシャは、再び目に涙を溜めていた。

 一方の公爵は、この異例な措置に驚きと安堵の表情を浮かべ、すぐにローレンへ感謝の言葉を述べた。


「陛下。寛大な措置に心から感謝申し上げます……この御恩、一生をかけて返す所存でございます」

「全ては妻の意向だ。感謝を述べるなら、妻にするんだな」

「ア、アイリス殿下が……?」


 公爵は心底驚いたように目をぱちくりさせ、アイリスの方に視線を向けた。"愚鈍で無能な氷姫" が、まさか処遇の決定に一枚噛んでいたとは思わなかったのだろう。


 すると公爵は、アイリスの元で徐に跪いた。


「アイリス殿下の御慈悲に、心からの感謝を。私は、貴方様に忠誠を捧げると誓いましょう」

「ルーズヴェルト公爵……」


 アイリスは公爵の言動に驚きつつも、事前に考えていた彼への頼み事を伝えることにした。


「ありがとうございます。では、私から二つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」

「は。なんなりとお申し付けを」


 そして、アイリスは人差し指を立てると、公爵に向かってはっきりと告げた。


「まず一つ目ですが、マーシャさんに魔法の研究を続けさせてあげてください」


 アイリスの言葉に驚いた公爵は、バッと顔を上げこちらに視線を向けた。彼は、随分と困惑した表情を浮かべている。


「し、しかし、アイリス殿下。このような事件を起こしておきながら、続けさせるというのは……」

「彼女の魔法の才能には目を見張るものがあります。ここでその芽を摘んでしまうのは、この国にとって大きな損失となるでしょう」


 アイリスからのこの上ない賞賛の言葉に、公爵は驚いたように大きく目を見開いた。


「それほど、娘は優秀だと……?」

「はい。たった一人で魔法の無効化の技術を確立させたマーシャさんは、天才と言わざるを得ません」

「左様でございましたか……。自分の子の才能すら見抜けないとは、大変お恥ずかしい限りです。承知いたしました。娘には魔法の研究を続けさせると、お約束いたします」


 すると、二人のやりとりを聞いていたマーシャが、涙ながらに言葉を発した。


「アイリス殿下……本当に、なんとお礼を申し上げればよいか……」


 涙を流しながら礼を言うマーシャに、アイリスは穏やかな視線を向け言葉をかけた。


「『仮面の魔法師』が、あなたは大変優秀な研究員だと言っていましたから。マーシャさん、今もまだ宮廷魔法師になりたいのなら、試験を受けてみますか?」


 その問いに、マーシャはふるふると首を横に振ると、涙を拭ってからしっかりとアイリスを見つめた。


「いいえ、アイリス殿下。宮廷魔法師を目指していたのは、あくまで父に認めてもらうためでした。叶うことなら、私は学校で研究を続けたいと思っています」

「わかりました。ではこの国の発展のため、研究に勤しんでください」

「はい。貴方様のご期待に添えるよう、尽力いたします」


(よかった。これで彼女も、少しは自由に生きられるはずね)


 母国で不自由を強いられてきたアイリスは、自由に生きることの難しさを誰よりも知っていた。マーシャには何者にも縛られず、自分が望む道を歩んでほしいと思っていたのだ。


 そして、アイリスは再び公爵に向き直ると、一つだけ懸念事項を伝えておいた。


「ルーズヴェルト公爵。黒幕は口封じのために、マーシャさんを亡き者にしようとするかもしれません。しばらくの間は、護衛を付けられた方がいいでしょう」

「は。ご助言に感謝いたします」


 アイリスの言葉に、マーシャは少し怯えた表情を見せていた。

 相手の実力が計り知れないため、本当はアイリスが護衛につきたいくらいなのだが、流石にそういうわけにもいかない。公爵家の護衛とあらば実力も申し分ないだろうから、大人しくそちらに任せることにする。


 すると、公爵がアイリスに続きを促してきた。


「アイリス殿下。二つ目の願いは何でしょうか」

 

 公爵の問いに答える前に、アイリスは静かにひとつ深呼吸をした。アイリスにとって、これが今日一番の目的だったのだ。

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