第23話 贈り物
「入学祝いを贈ろうと思ってな。何か欲しいものはないか?」
「え?」
「学校、合格したんだろう?」
「――相変わらず情報がお早い。…………ん? 合格したのついさっきですよ? 急にご公務に穴を開けて大丈夫だったんですか!?」
アイリスの入学が正式に決まったのは、今日の午前だ。そこから急に予定を変更して今出かけているとしたら、相当仕事に支障をきたしてしまっているのではないだろうか。
「問題ない。合格するとは思っていたから、あらかじめ今日の午後は空けておいた」
ローレンは事も無げにそう言うが、多忙な国王の予定を半日も空けるなど、相当大変だっただろう。ローレンがわざわざ自分のためだけに時間を作ってくれたことに、アイリスは嬉しさと少しの申し訳無さを感じた。
するとローレンは、碧色に輝く瞳でアイリスを見つめながら再び尋ねてくる。
「で、何か欲しいものはあるか?」
「うーん、そうですね…………そうだ! 学校で使う筆記用具が欲しいです!」
「わかった。いい店を知っているから連れて行こう」
ローレンは地図が頭に入っているかのように、迷いなく通りを進んでいく。国王が城下を散策する機会などそう多くないだろうに、やけに詳しいのが気になった。
「城下の道やお店のこと、よくご存知なんですね」
「ああ。幼い頃によく城を抜け出して、城下に来ていたからな」
「え、そうなんですか!? なんだか意外です」
「エドモントが俺を捕まえるのによく苦労していた」
「ふふっ、やんちゃだったんですね」
幼いローレンとエドモントの追いかけっこを想像して、アイリスは思わず笑ってしまった。少し笑ったことでようやく緊張も解け、普段通りに話せるようになった気がする。
そんな会話をしながら歩いていると、一つの店の前でローレンの足が止まった。案内された店は、老舗の文具店だった。店内には、手帳や万年筆など品の良い様々な文具が並べられている。
アイリスが店内を見て回っていると、ローレンは店主と何やら話し込んでいた。どうやら城下に抜け出していた頃の昔馴染みらしい。
少しして、ローレンがアイリスの元に戻ってきた。
「気になるものはあったか?」
「はい。このノートと万年筆が気に入りました」
「では、こちらを贈らせてくれ」
「ローレン様、ありがとうございます。でも、なんだか使うのが勿体ないですね。記念に飾っておきたいくらいです」
文具を大事そうに抱えるアイリスを見て、ローレンはアイリスの頭をポンポンと優しく叩いた。
「使い終わったら、また来ればいい」
「…………はい!!」
思わぬ次の約束に、アイリスはつい嬉しくなってしまった。誰かに贈り物をされたり、一緒に買い物を楽しんだりするなんて、母国にいた頃は考えられなかったことだ。
ローレンに文具を買ってもらい店を出ると、外は日が沈みかけているところだった。
「他に必要な物や、寄りたい所はないか?」
「いえ、こちらで十分です。ありがとうございます」
「では、最後に一箇所だけ付き合ってくれ」
そう言われてローレンに連れてこられたのは、城下が一望できる小高い丘の上だった。街が夕日に照らされ、キラキラと輝いている。
「うわあ……! すごい眺め…………!!」
「ここは人もあまり来ない上に、見晴らしのいい穴場なんだ」
幼い頃のローレンも、よくここに来たのだろうか。そんなことを思い、ローレンにふと視線を向けると、長いまつ毛に縁取られた瞳にオレンジ色の光が差し込んでいた。
アイリスは彼の瞳に見惚れ、思わず言葉を漏らしていた。
「瞳……綺麗……。夕日に光る海みたい……」
「俺にそんなことを言うのはお前くらいだぞ」
フッと笑みを漏らしながら、ローレンの瞳がアイリスに向けられる。
「海を見たことがあるのか? アトラス王国は内陸だろう」
「師匠に一度、幻影魔法で見せてもらったことがあるんです。だから、なんとなくはわかります」
「そうか。ならいつか本物を見せよう。この国の南部の海は、保養地としても有名なんだ」
「ほんとですか!? 行ってみたかったんです、海!! 約束ですよ!?」
「ああ」
目を輝かせて喜ぶアイリスの頭を、ローレンはそっと優しく撫でた。なんだか今日は、いつにも増して甘やかされている気がする。
「アイリス、これを」
ローレンはアイリスの頭から手を離し、
「なんですか?」
「開けてみてくれ」
アイリスは美しい包み紙を丁寧に剥がし、中から出てきた小箱を開けた。
「これは…………!」
小箱の中身は、一粒のダイヤがあしらわれたネックレスだった。
「王城でのドレスにはあまり映えないが、入学してからは城外で過ごすことが増えるだろう。手持ちの首飾りは、外では豪奢すぎて使いにくいと思ってな」
「こんなもの頂いてしまって良いのですか……!? 入学祝いなら先ほど頂きましたよ!?」
「これは、栞の礼だとでも思ってくれ」
栞とは、アイリスが以前城下に出かけた際のお土産のことだ。金額的にも全く釣り合いが取れていない。こんな高価な贈り物をされたことがないアイリスは、すんなりもらって良いものか困惑してしまった。
すると、ローレンがそっとネックレスに手をかけ、アイリスに尋ねてくる。
「着けても?」
「は、はい…………」
ローレンの碧い瞳に見つめられ、アイリスはそう返事をする他なかった。
ローレンはアイリスの後ろに回ると、優しい手つきでネックレスを着けてくれた。アイリスの髪に彼の息がかかるほどの近い距離に、心臓が止まりそうになる。
「似合っている」
再びアイリスの正面に立ったローレンは、満足気に顔を綻ばせた。そんな顔を見せられたら、素直に受け取るしかなくなってしまう。
「ありがとうございます……大切にします」
「もしよければ使ってくれ」
「はい……! とても……とても嬉しいです」
どうしてか、アイリスは思わず泣いてしまいそうになった。それが嬉しさのせいなのか、それとも別の何かのせいなのか、アイリスにはわからなかった。
(陛下は、私に優しすぎるわ……。そして、私に自由を与えすぎている…………不自然なほどに)
何の利益も得られない結婚相手に、なぜここまでするのか。
離婚話を切り出した夜にローレンから告げられた通り、アイリスの王妃としての仕事は謁見などの最小限のみで、あとは本当に自由に過ごさせてもらっている。王妃の仕事に慣れるまでの一時的な処置ならわかるが、一向に他の仕事が増える気配はなく、必要な妃教育もしないなんて、いくらなんでもおかしくないだろうか。
まるで、
これまでずっと聞くのが怖くて、でも胸の中で大きくなるばかりのこの疑問を、この時のアイリスは抑えることができなかった。
意を決して、ローレンに尋ねる。
「ローレン様、結婚相手に私を選ばれたのは、なぜですか?」
その問いに、ローレンの瞳が一瞬見開かれ、彼の形の良い眉がピクリと動いた。アイリスを見つめる瞳に、長いまつ毛が影を落とす。
「――――それは、離婚するときに教えよう」
その答えに、アイリスはこれ以上何も言えなくなってしまった。
(そうよ。最終的には離婚してこの国を去るんだから、理由なんて何でもいいじゃない)
アイリスはあまり気にしすぎないよう、何度も自分にそう言い聞かせた。
その晩、アイリスはローレンの答えについて考えないようにし、明日の初登校に備え早めに眠りについた。考えたらきっと、眠れなくなってしまうから――――。
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