第20話 忠誠を誓うのは
アイリスはアベルと別れた後、レオンを引き連れ自室に向かって歩いていた。すでに日は傾いていて、オレンジ色の夕日が廊下の大きな窓から差し込んでいる。この時間の廊下に
(アベル様と直接お話できてよかったわ。陛下の敵ではない気がしたけど、最後の言葉が気がかりね……。陛下はどう思っているのか、今夜にでも聞いてみようかしら)
先程のアベルとの会話を反芻しながらそんなことを考えていると、レオンが妙に静かなのがふと気になった。ローレンの政敵であるアベルに対して、文句の一つや二つ飛んできそうなものだが、そういえば部屋を出てから一言も発していない。
少し心配になったアイリスは、振り向いてレオンに声をかけた。
「レオン、どうかした? 具合でも悪い?」
アイリスは、気遣わしげな表情でレオンの顔を覗き込む。
が、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「アイリス様――今までのご無礼、どうかお許しを」
「えっ?」
畏まった態度のレオンに、アイリスは困惑してしまった。どうして急にそんなことを言われたのか、全くわからない。
「俺は――いえ、私は、"愚鈍で無能" と評されるあなたが陛下に相応しい方なのか、実はずっと疑問に思っていました」
「……そう思うのも仕方ないわよ。私、前評判が最悪だもの」
最初の挨拶での態度はそういう理由もあったのかと、アイリスは苦笑しながらレオンを見遣る。
対するレオンは、真剣な表情で言葉を続けた。
「いいえ、先程の会話で確信しました。あなたは "愚鈍で無能" などでは決してありません。まさしく、陛下の妃に相応しい方だ」
「……ありがとう。そう言ってもらえて、すごく嬉しいわ」
アベルとの会話のどこがレオンに響いたのかはわからない。でも、この城で自分を認めてくれる人がいるのは、とてもありがたいことだった。アイリスは彼の言葉に、胸の奥が少し熱くなるのを感じる。
そしてレオンは、力強い眼差しでアイリスを見つめたまま続けた。
「アイリス様。陛下の夢を笑わず、蔑まず、まして叶った未来を見てみたいと仰った方は、今までに一人もいませんでした。すぐにでも陛下に報告しに行きたいくらい……嬉しいです。陛下の夢を応援してくださって、ありがとうございます」
その言葉にアイリスはハッとした。レオンは今まで、周囲から蔑まれる主君を一番近くで見てきたのだ。味方の少ない孤高の主君を――。
真剣な眼差しのレオンに、アイリスは微笑みかけながら言葉を口にした。
「私、陛下の夢に協力するわ。夢が現実になったその時は、陛下を馬鹿にした奴らを一緒に見返してやりましょう!」
その言葉にレオンは一瞬目を見開いた後、すぐに穏やかな笑みをこぼした。
そして一拍置いてから、レオンは再び真剣な表情に戻ると、その場で跪きアイリスを見上げた。窓から入る夕日の光が、ただただ二人を照らしている。
「アイリス様。今後私は、あなたに心からの忠誠を誓います。そして、この命をかけて、あなたをお守りすると約束します」
アイリスは、レオンの思いも寄らない言動に驚いた後、少し困ったように笑った。そしてその場でしゃがみ、レオンと目線を合わせる。
「ありがとう、レオン。でも、私なんかのために、あなたの大切な命をかけないで。あなたの命は、あなただけのものよ。騎士道精神には反するかもしれないけど、今後もし、絶対に勝てない相手に遭遇したら迷わず逃げなさい。約束ね」
アイリスは、師匠から譲り受けた青い小鳥のことを脳裏に思い浮かべていた。助けられなかった、可愛い小鳥――。自分のせいで誰かが死ぬなんて、二度とごめんだった。
「それは……約束できません」
眉根を寄せながらそう答えるレオンに、アイリスはまた困ったように笑った。
「そっか。じゃあ、もしそんな時が来たら、私が本気でレオンを逃がすわね」
「じゃあ俺は、全力で
しばしの間、二人は目を合わせたまま沈黙した。しかし数秒の後、アイリスが堪え兼ねたように笑いを漏らし、レオンがそれに釣られた。
「ふっ、ふふ」
「くくっ」
「お互い頑固ね。でもレオンの言葉、嬉しかった。これからもよろしくね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
(この国では、今はまだなんの力も持たないけれど、こうやって少しずつ、味方を増やしていけば良い)
レオンと本当の意味で打ち解けられた気がして、アイリスは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
***
「陛下、謝らなければならないことがあります」
その日の夜、アイリスは枕元に姿勢を正して座ると、開口一番にローレンへ謝罪した。普段通り隣で読書をしているローレンは、本から視線を上げアイリスを見遣る。
「なんだ。叔父上と話したことか? 別にそれはお前の自由だ。気にするな」
「……ご存知でしたか。いえ、それ自体ではなく……陛下の夢の話を、アベル様に聞いてしまいました。本来なら、陛下から直接聞くべきことでしたのに」
『夢』という言葉に、ローレンの眉が一瞬ピクリと動き、すぐに自嘲した笑みを浮かべた。
「幻滅したか? 政権を取り返すつもりなど本当にあるのか、と」
「いいえ、まさか。私もぜひ陛下の夢の実現に協力させてください」
力強い瞳で言い切るアイリスを見て、ローレンはフッと笑みをこぼした。
「お前は本当に……いつも想像以上の回答をするな。普通呆れるだろう、魔族との共存など」
苦笑するローレンに、アイリスは人差し指を立てながら、ニコリと微笑みかけた。
「お忘れですか? 私の師匠は魔族ですよ? 魔族との共存は、むしろ喜ばしいことです」
そう言ってから、アイリスにふと疑問が生じた。アイリスは元々魔族との関わりがあったから魔族への偏見もないわけだが、ローレンはどうして魔族との共存を望むようになったのだろうか。
「陛下は、どうして魔族との共存を目指そうと思われたのですか?」
「……俺は、何百年にも渡る、人族と魔族との無益な争いを終わらせたい。ただそれだけだ」
どこか遠くを見つめるローレンの表情からは、真意が読み取れなかった。それだけが理由ではない気がして、アイリスが質問を続けようと口を開きかけた時、ローレンが先に言葉を発し、話題を変えられてしまった。
「先日の侵入者の件だが、やはりただの雇われの暗殺者だったらしく、首謀者や結界を破った魔法師に関する情報は出てこなかった」
「そうですか……」
首謀者に辿り着くには、やはり魔法師を見つけ出さないといけないらしい。暗殺の話題が出たので、アイリスは気になっていたことをローレンに尋ねてみた。
「陛下は、暗殺の首謀者がアベル様だと考えていらっしゃいますか?」
「……さあ、どうだかな」
ローレンはまたもや感情の読めない無表情で、短くそう答えるだけだった。
(また、はぐらかされた――)
先程の夢の理由に関してもそうだが、今日ははっきりとした回答が得られないことが多い。これ以上聞いても何も得られそうになかったので、アイリスは口をつぐんだ。
「それと、ヴァーリア魔法学校の入学試験の件だが……。『仮面の魔法師』殿であれば、ぜひとも我が校へ入学して欲しいとのことだ。試験は簡単な面接だけで良いと」
「えっ、本当ですか!?」
待ちに待った知らせに、アイリスは表情をパッと明るくした。しかも今の話だと、ほぼ入学確定のようである。
「ああ。よかったな」
先程と打って変わって優しい面差しをしたローレンが、アイリスの頭を優しく撫でた。なんだか近頃、彼に頭を撫でられることが増えた気がする。
「学校に行くにあたっての護衛だが、こちらで適当に手配しておく。レオンを連れて行くと、流石にお前が王妃だとバレるからな」
「えっ、私一人で大丈夫ですよ? 生徒に護衛がついて回るのは、流石に目立ちますし」
「そういう訳にもいかない。目立たないように配置するから、お前は何も気にせず学校を楽しんでこい」
「は、はい……」
(相変わらず、過保護ね……)
アイリスはそう思いつつ、何を言ってもローレンの意思が覆りそうになかったので、これ以上は何も言わないことにした。
「あと、これだけは約束だ。結界を破った魔法師が誰かわかっても、決して一人で動くな。わかった時点で俺に報告すること。いいな?」
「わかりました」
アイリスは、以前城下町に出かけた際に、『危ないことをしない』という約束を破って怒られたのを思い出す。今回はローレンの言い付けをちゃんと守ろうと、心に誓うアイリスだった。
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