第19話 夢


 以前レオンが言い淀んだ、ローレンの夢――。

 本当は本人から直接聞くべきところだが、アベルの本心を探るためには尋ねざるを得なかった。

 

「――その夢というのは?」

「あの子の……ローレンの夢は、魔族との共存です」

「………………!」


 ローレンが数々の実績を上げているにも関わらず、未だにアベル派閥が圧倒的である理由が、ようやく理解できた。魔族は人族にとって忌み嫌う対象であり、共存しようと思う人間などそうそういないだろう。


 そしてアベルは、力強い視線をアイリスに向けたまま続ける。


「もしその夢が実現すれば、この国は必ず混乱に陥ります。そうなるのがわかっているのに、放って置くわけにはいきません。だから……あの子の力をこれ以上大きくさせるわけにはいかないのです」


 そう言うアベルは、拳を強く握り込み、わずかに眉根を寄せている。いつも柔和なアベルが、このような表情をするのは珍しかった。この国を心から思っての言葉だと、アイリスは直感的にそう感じた。


「そう簡単に実現する事でもないでしょうが、あの子は私よりもずっと優秀です。もしかしたら、本当にそんな偉業を成し遂げてしまうかもしれない……。――アイリス様は、あの子の夢を聞いてどう思われましたか?」


 不意にそう聞かれ、アイリスは魔族と共存する方法について、少し考えを巡らせてから答える。


「そうですね……すぐに実現するのは非常に難しいと思います。そもそも魔族と魔物の区別がついている人の方が少ないですし、魔族は異形の怪物だという偏見を拭い去るには、それ相応の年月が必要でしょう。そしてなにより、何百年にも渡る人族と魔族との禍根を取り除かなければなりません。それは並大抵のことではないでしょう」

「――…………」


 アイリスの回答を、アベルは目をぱちくりさせながら聞いていた。何かおかしな事でも言っただろうかと、アイリスは首を傾げながら尋ねる。


「えーと、アベル様、何か?」

「ああ、いえ、怖いとか恐ろしいとか、そういう反応が普通かと思っていたので……」

「ああっ! そっちでしたか……! すみません長々と!」


 アイリスは、自分の回答がずれていた事に気づき赤面した。ローレンの夢が実現可能かどうか聞かれたのかと思い、随分長々と講釈を垂れてしまった。


 恥ずかしさで思わず顔に手を当てるアイリスに、アベルは穏やかな笑みを向けた。


「いえいえ。しかし、アイリス様も実現が難しい夢だと思っていらっしゃるようで、安心いたしました。もし、ローレンが無謀な行いをしそうになったら、止めてあげてください。難しそうであれば、私が代わりにあの子を止めます。だから――」

「アベル様」


 無礼な行いとわかりつつ、アイリスはあえてアベルの言葉を遮った。そして、真っ直ぐにアベルを見据える。


「確かに困難な夢だと思います。ですが私は、陛下の夢が叶った未来の方が、見てみたいと思ってしまいました」


 アベルはアイリスの言葉に驚きを隠せない様子だった。彼は大きく目を見開いた後、わずかに眉を顰めた。


 そんな彼の反応に構わず、アイリスは言葉を続ける。


「確かに、今のまま魔族との敵対関係を保っていたほうが、無用な混乱を生まずに済みます。明らかな敵を用意することで、民の不満を国から逸らすこともできるでしょう。ですが、長きに渡る人族と魔族との争いが終結することは、それ以上に価値があることだと思います」


 黙ってアイリスの言葉を聞いていたアベルは、少し困ったような表情をした。


「ですが、魔族との共存は難しいと、あなたも仰ったではありませんか」

「ええ、難しいでしょうね。長命な魔族との禍根を取り除くには、長い時間をかけて少しずつ歩み寄るしかないと思います。しかし、ご聡明な陛下のことですから、それはご自身でもよくわかっていらっしゃるのではないでしょうか。それでも魔族との共存を望まれているということは、何か策をお持ちなのではないかと、私は思います」


 アベルは再びわずかに眉根を寄せながら、黙ってアイリスの言葉を聞いていた。


 そしてアイリスは、緋色に燃える瞳でアベルの双眸をしっかりと捉えたまま、今日の会話の中で心に浮かんだ、ひとつの夢を語った。


「それと私は今日、アベル様と陛下が共に手を取り合い支え合う――そんな未来を実現するという夢ができました」

「…………!! それは…………とても素敵な未来ですね」


 アイリスの言葉に、アベルはどうしてか、くしゃりと泣きそうな笑顔でそう答えた。


 今日の会話を通して、この温和なアベルがローレンの暗殺に関わっているとはどうしても思えなかった。アベルはただこの国を誰よりも愛し、そして、ローレンのことも大切に思っている……そんな気がしたのだ。


「ずいぶん話し込んでしまいましたね。アイリス様、本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそありがとうございました。またお話できると嬉しいです、アベル様」


 別れの挨拶を交わした時には、アベルはいつもの人好きのする笑顔に戻っていた。アイリスも笑顔で答え、部屋を後にしようとする。今日の収穫としては十分だ。


「アイリス様」


 退室しようとした時、アベルから不意に名前を呼ばれ、アイリスは振り返った。相手は無表情に近く、感情が読めない。


「あの子は……ローレンは今、命を狙われています。あなたとの婚約が決まってからは特に。………あなたもどうか、お気をつけて」


 アベルを敵ではないと思った矢先のその言葉に、アイリスは一瞬息が詰まった。ただの忠告か、それとも宣戦布告か――。アベルの表情からは、そのどちらなのか読み取ることはできなかった。


「…………ご忠告いただき、感謝いたします」


 アイリスはそうとだけ答えると、レオンと共に部屋を後にした。




***

 



「ルーイ。君は彼女をどう見る?」


 アイリス達が退室した後、アベルは自分の後ろに控えていた青年に問いかけた。


 ブルーアッシュの髪に、切れ長の黒い瞳を持つ青年は、目尻がやや上がっており猫を思わせる印象だ。今は姿勢を崩して腕組みをしながら佇んでおり、先ほどまで直立不動で控えていた人物とは、まるで別人のようだ。


 そんな青年が、しかつめらしくアベルの問いに答える。


「んー? そうだな、一言で表すなら…………美人だな」

「ルーイ、真面目に答えなさい」


 アベルは苦笑しながら青年をたしなめた。すると青年は、砕けた口調で続ける。


「まあ、噂とはだいぶ違うってことは明らかですよね」

「ああ、私もそう思うよ。あの二つ名をつけた者の眼は節穴のようだね」

「"愚鈍で無能な氷姫" でしたっけ? もしわざと本性を隠してたんなら、相当面白いな。――ちょっと調べてみるか」


 面白い玩具を見つけたかのように、青年はニヤリと笑った。


「ルーイ。もし、ローレンが彼女を迎え入れた理由がわかったら教えて欲しい。あの子が何の理由もなく結婚したとは考えにくいからね」

「了解、主様。どうします? 一目惚れとかだったら」


 青年が冗談混じりにそう言うと、アベルは思わず苦笑を漏らした。


「はは。その方がこちらとしてはありがたいけどね」

「ま、なんかわかったら、すぐ報告しますんで」


 その後アベルが退室し、片付けを命じられた青年だけが部屋に残った。青年はひとり窓枠に浅く腰掛け、漫然と外を眺めている。


「王妃様の正体やいかに――。しばらく退屈しなさそうだな」


 青年はニヤリと笑いながら、静かにそう呟いた。

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