第18話 アベル・バーネット
「ん……」
翌朝、日の光で目を覚ましたアイリスは、たくさん泣いたためかやや気怠さが残っているものの、憑き物が取れたようにスッキリとしていた。朝日の入り方から、いつもより遅めの起床であることがわかる。
寝ぼけた頭がだんだん冴えてくると、自分がなにか温かいものに抱きついていることに気が付いた。ふと視線を上げると、ローレンの美しい碧眼と目が合う。
アイリスはそこでようやく、自分がローレンに抱きしめられながら眠ったことを思い出した。今は自分がローレンに抱きつく形になっている。
自分の行いに心臓が跳ね上がり、アイリスは慌てて身を引きローレンから距離を取った。
「ああっ、陛下! ごめんなさい!!」
「よく眠れたようで何よりだ」
ローレンはフッと小さな笑みを漏らしながら、アイリスを見つめている。朝の光に照らされて、ローレンの金色の髪がキラキラと輝いていた。
普段ローレンはアイリスより早く起きて公務に向かうので、思えば朝こうしてまともに言葉を交わすのは初めてかもしれない。
「い、いつからお目覚めで……?」
「俺も今起きたところだ」
昨夜は侵入者騒動に加え、アイリスに起こされ寝足りなかったのだろう。ローレンにしては遅い起床に、アイリスは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。公務に支障は出ないかと心配になる。
「その、昨夜はご迷惑をおかけしました……」
「いや、こんなのは迷惑のうちに入らん」
そう言うとローレンは体を起こし、寝台から降りてアイリスを見遣る。
「俺は公務に向かうが、お前はもう少し休んでいて構わないぞ」
「いえ、十分眠れたので大丈夫です」
「そうか。学校の件は、試験の日程が決まり次第連絡する。先方に話を通すにあたって、身分は王城の関係者ということにしておくが、問題ないか?」
「問題ありません。ありがとうございます。昨日の侵入者の件について、何か進展があれば教えてください」
「ああ」
その後、自室へと戻っていったローレンを見送ったアイリスは、寝台の上で大きく伸びをしながら今後のやるべきことを考えた。
(……よし、まずは論文を書き上げましょう!)
元々『仮面の魔法師』の実績づくりとして論文を書き始めていたアイリスは、ヴァーリア魔法学校へ論文を提出することに決めた。入学が仮にできなかったとしても、論文の提出という形で学校との接点は作れるはずだ。
日々の講義や王都の結界解析に加え、試験日が決まるまでの数日間、アイリスは論文執筆に注力することになった。
***
後日、ある日の昼下がりに、アイリスはある人物の誘いでレオンを引き連れ王城の一室を訪れていた。
「失礼致します。アイリスです」
「どうぞ、お入りください」
部屋の前で立ち止まり声をかけると、中からは穏やかな、しかしよく通る声が聞こえてきた。
中に入ると、中央にあるソファには、金色の髪にローレンよりもやや淡い碧眼をもつ人物が座っていた。その後ろには、側近であろう一人の青年が佇んでいる。
そう、『ある人物』とは、ローレンの叔父であり政敵でもある、アベル・バーネットだ。先日廊下ですれ違った際、お茶に誘われたのが実現した形だ。
「ごきげんよう、アベル様。本日はこのような場を設けていただき、誠にありがとうございます」
「こちらこそ、アイリス様とはゆっくりお話してみたかったので、お時間をいただけてとても嬉しいです。もう少し早く実現したかったのですが、色々と公務でバタついてしまって。どうぞお掛けください」
アベルはにこやかに微笑みながら、向かいの席を指し示す。アイリスは言われた通りアベルの向かいに着席し、レオンは後ろに控えていてもらった。テーブルの上には、菓子が乗った皿と趣味の良い茶器が並べられている。
「王城での生活には慣れましたか?」
「ええ。陛下のお心遣いのおかげもあって、とても快適に過ごさせていただいています」
「そうですか。陛下とうまくいっているみたいで、何よりです」
アベルは笑顔を絶やさず会話を続けている。
実は今日、アイリスはその笑顔の裏に隠された本心を見定めるつもりでここに来ていた。果たしてアベルはローレンのことをどう思っているのか、そして何より、国王であるローレンを殺し、王位を簒奪するつもりなのか――。
アイリスはひとまずこのまま会話を続け、相手の出方を伺うことにした。
「それにしても、アベル様の政治手腕は素晴らしいですね。最近この国の歴史や政治経済について勉強しているのですが、その中でアベル様の功績の数々を知りました」
「ありがとうございます。支えてくれた臣下たちのおかげです。私一人の力ではとても」
「そんな、ご謙遜を」
しばらく、そんな当たり障りのない会話が続いた。
踏み込んだ話題を一向に振らないアベルに、アイリスは思い切って仕掛けてみることにした。緋色に輝く瞳で、しっかりとアベルを見据える。
「アベル様、単刀直入に聞いてくださって構いませんよ?」
「え?」
「何か私にお聞きしたいことがあったのでは?」
アイリスの言葉に、アベルは少し目を見開いた。
そもそも、多忙なアベルが何の用事も無しにこのような場を設けるとは考えにくかった。アイリスに接触しローレンの動向を探ろうとしているのだろうと、元から勘ぐっていたのだ。
「……お気づきでしたか。いやはやお恥ずかしい」
アベルは首に手を当て苦笑しながら答える。
「いえね……今まで全く結婚に興味がなかったローレンが、急に妻を迎えるだなんて言い出したものですから、一体どんな心境の変化かと気になってしまって」
(なるほど。知りたかったのは今回の結婚の理由についてね……でも、それは正直私が一番知りたいわ)
実のところ、アイリスも今回の結婚の経緯は詳しく聞かされていなかった。
三年ほど前から、アイリスにバーネット国王から婚約の申し込みが来ているという話は聞いていた。
しかし、さっさとアイリスを厄介払いしたい現国王の叔父達と、『黒髪緋眼』を他国に渡すまいとする魔法協会の間で、かなり揉めていたようだった。結局国王の権力が勝ち、一年前に婚約が決まり今に至る。
「実は私も、今回の結婚には正直驚いておりまして……。陛下やこの国にはあまり利の無い結婚ですし、不思議に思っていたんです。陛下からも、特に何も聞かされていなくて……。アベル様は何かご存知ありませんか?」
「いえ、私も何も。と言っても、私にはそもそも教えてくれないでしょうが……。私はあの子に嫌われていますから」
そう言いながら、アベルはどこか寂しそうな表情を浮かべた。ローレンとアベルは政治的に敵対しているが、やはり仲も悪いのだろうか。
(でも、陛下のことを名前で呼んだり、『あの子』と呼んだりしていらっしゃるわ。昔は兄と弟のような関係だったのかしら?)
アイリスは二人の関係性が気になり、少し踏み込んで質問してみることにした。
「その……嫌われている、というのは昔からですか?」
「いえ、ローレンが王位を継ぐまでは、兄弟のようによく遊んでいましたよ」
「では、何か理由が?」
「理由は色々ありますが……差し当たっては、私が彼の夢の邪魔をしているから、でしょうかね」
(陛下の夢……。恐らく、レオンが以前言っていたものね)
刹那の沈黙の後、アベルは感傷を振り払うように一度強く目を閉じた。そして、再びゆっくりと瞼を開け、アイリスを真正面から見据えた。強い意志の宿った瞳だった。
「アイリス様、折り入ってお願いがあります。あの子が夢に向かって暴走しそうになったら、その時は止めてあげて欲しいのです」
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