第17話 怖い夢、優しい手


(真っ暗…………何も見えない…………)


 気がつくと、アイリスは暗闇の中にいた。どこまでも続く、見渡す限りの闇――。

 アイリスはおもむろに立ち上がり、歩き始める。あまりに何も見えなくて、どちらが前でどちらが後ろか、わからなくなりそうだ。

 当てもなく彷徨さまよい歩くと、スポットライトが当たったように明るい場所が見えてきた。


(何かいる……?)


 目を凝らすと、そこには一羽の美しい青い鳥が飛んでいた。懐かしいその姿に、アイリスは思わず駆け出した。


「トト!!」


 父が亡くなり城から出られなくなった後、いつも慰めてくれた可愛い小鳥。アイリスが悲しい時も、つらい時も、側で慰め続けてくれた優しい小鳥。もういないはずの小鳥との再会に、アイリスは胸が高鳴った。

 しかし、懸命に走っているはずなのに、一向に距離が縮まらない。やがて息が切れ、その場で立ち止まってしまった。


 すると、ライトに照らされた場所に二人の青年が現れ、突然青い鳥を鷲掴みにした。――その青年たちは、アイリスの従兄弟、現アトラス国王の息子たちだった。その手には、ナイフが握られている。


(ああ、この光景は…………)


 既視感のある光景に、アイリスはこれが夢だと悟る。この後に起こる事を思い出して、アイリスの頭から血の気が引いていく。


「…………やめて! 殺さないで!!」


 懸命に叫ぶ声は、誰にも届かず虚空に消えた。

 そして、アイリスの目の前が真っ赤な血の色に染まった。残ったのは、赤に染まった青い鳥が息絶え、冷たくなった姿だった。




***




「ハアッ、ハッ、ハアッ――――」


 アイリスが夢から目を覚ますと、まだ辺りは真っ暗だった。

 呼吸がかなり荒くなっている。どうやら泣いていたらしく、目頭が熱かった。喉もカラカラだ。

 アイリスはベッドに腰掛け、袖机に置いてあった水を一気に飲み干した。それでもまだ落ち着かず、手が小刻みに震えている。脳裏に焼き付いた血の色が、頭から離れない。


「アイリス、大丈夫か?」


 不意に聞こえた優しい声が、アイリスを現実に引き戻してくれた。アイリスは、少しくぐもった声で答える。


「も、申し訳ありません、陛下。起こしてしまいましたか?」

「問題ない。泣いていたのか?」

「少し夢見が悪かっただけです。いつもは吉夢の魔法をかけているのですが、侵入者の騒動の後で、かけ忘れてしまったみたいで」

「……いつも悪夢を見るのか?」

「いえ、吉夢の魔法は念のためかけているだけです。夢は良いに越したことないでしょう?」


 ローレンに心配をかけないよう、アイリスは少し声音を明るくして答えた。


「大丈夫ですので、陛下はおやすみください。ただでさえ、侵入者の一件で睡眠時間が削られているのに」

「構わん。明日はさほど公務も多くないから、朝はいつもよりゆっくり寝ていられる」


 ローレンは小さく明かりをつけると、おいでと言わんばかりに寝台の上をポンポンと叩いた。その手に導かれ、アイリスは寝台に戻り横たわる。


 ローレンはアイリスに少し近づき、優しく頭を撫でてくれた。その手の温もりが心地よくて、つい甘えてしまう。

 アイリスを落ち着かせるように、ローレンはゆっくりと優しい声で話しかけてきてくれた。


「どんな夢だ?」

「……鳥が……死んでしまう夢です」

「鳥?」

「……父が亡くなって、いよいよ王城から出ることも難しくなって、師匠にももう会えなくなるようになって……。最後に師匠に会った時、寂しくないようにって、一羽の小鳥をくれたんです。青色の羽をした、賢くて優しい綺麗な鳥を……」


 ローレンはアイリスの頭を撫で続けながら、気遣うような瞳でアイリスの言葉に耳を傾けている。


「叔父上たちに小鳥のことがバレたら、絶対に取り上げられると思って、必死に隠しました。でも……私がちょっと目を離した隙に、従兄弟たちに殺されてしまいました。その小鳥が魔物だったのもあって、私は折檻として、三日間物置き部屋に閉じ込められました」



『魔物を飼っているなんて恐ろしい奴め!!』

『きっとこの魔物を使って、良からぬことでも考えていたに違いない! お前を生かしてやってるというのに、なんて恩知らずな!!』



 罵声とともに、当時の記憶が蘇る。たくさん叩かれて、体中痛くて、三日三晩飲まず食わずで死んでしまいたくなるほど空腹で、そして小鳥が死んでしまったことが何より悲しくて……。

 苦しみが次から次へと溢れ出し、アイリスは思わず目を伏せ、手をきゅっと握り込んだ。涙が溢れ出ないよう、息を殺して我慢する。

 少し落ち着いてから口を開いたが、声が少しくぐもってしまった。


「その後......再び青い鳥が私の元にやってきました。小鳥が死んでしまったのを知った師匠が、もう一羽送ってきてくれたんです。でも同じことが起きるのが恐ろしくて、その子は師匠の元に返しました……そこからは、本当に独りで……」


 すべて言い切る前に、とうとう一粒の涙がこぼれてしまった。堰を切ったようにポロポロと涙が溢れてくる。嗚咽が止まらない。


「わ、私のせいで……私がもっとちゃんと、見ていれば……」

「決してお前のせいではない。悪いのは全て、鳥を殺めた者たちだ」


 アイリスは涙で眼の前が滲んで、ローレンがどんな表情をしているかわからなかった。しかし、すべてを包み込むような、優しくも力強いその声は、アイリスを心から気遣っているものだとわかった。


「陛下……手を……握っていていただけませんか?」


 甘えだとわかっていても、今は誰かの温もりで、死んでしまった小鳥の冷たさを拭い去りたかった。そうしないと、この暗い感情に飲み込まれてしまいそうだった。


 するとローレンは、アイリスをぐっと抱き寄せたかと思うと、片方の手でアイリスの手を握り、もう片方の手でアイリスの背をポン、ポン、と一定のリズムで優しく叩き始めた。


「へ、陛下…………!?」


 アイリスは驚いてローレンを見上げると、すぐ目の前にあった優しい瞳と視線がぶつかった。深く、穏やかな海の色だった。


「安心しろ。お前を苦しめる奴は、もうここにはいない」


 ローレンの温もりとその優しさに、今までずっと独りで抱えていた思いがすべて溢れ出し、アイリスは声を漏らしながら泣いた。


「う、うう…………」


 ローレンはアイリスが泣き疲れて眠るまで、アイリスをずっと優しく包みこんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る