第15話 ご無事ですね?
アイリスは翌日から、この国についての講義と図書室での魔法の勉強に加え、王都に張られた結界の解析と魔法学の論文執筆にも取り掛かり始めた。論文の執筆は、仮面の魔法師としての実績作りとして始めたものだ。
王都の結界解析は順調に進んでいたが、論文を書くのは初めてのこともあり、なかなかに難航していた。仮面の魔法師の噂が消える前に、早めに一、二報くらいは提出したいものだ。
アイリスはたまに謁見などの王妃としての公務もこなしながら、ここ数日は忙しくも穏やかな日々を過ごしていた。
しかし、待ち望んだその日は唐突にやってきた。アイリスとローレンが寝静まった後の、月のない夜だった。
アイリスは、ピシッという、かすかな物音で目が覚めた。
(――――部屋の結界が破られる音……!)
脳がそう理解した途端、眠気が吹き飛び一気に覚醒する。アイリスはベッドから飛び起きると、バルコニーへの扉をバンッと勢いよく開け外に飛び出した。しかし、そこに侵入者の姿はない。
ハッとして右手を見ると、ローレンの自室につながるバルコニーに黒い人影が見えた。アイリスの心臓がドクンと跳ねる。
侵入者は、バルコニーの手すりから体を乗り出しているところだった。アイリスが二重で施しておいた結界に阻まれ、侵入を諦めたらしい。少し体の動きが不自由に見えるのは、アイリスが結界に仕掛けておいた罠のせいだろう。侵入者が結界に触れた時に麻痺が付与されるよう、細工をしておいたのだ。
侵入者はバルコニーから飛び降りると、ドサッという音とともに地上に落下した。よろよろと立ち上がり、逃亡を図ろうとする。
(逃げられる前に拘束しないと! ――――《掴め、見えざる手》!)
アイリスは心の中で詠唱を唱えると、右手を侵入者の方にバッと向けた。すると侵入者は、"何か" に足を掴まれたように途端にバランスを崩し、『うぐっ』という鈍いうめき声とともに地面に倒れた。
(暗くてよく見えない……一旦下に降りないと……!)
侵入者を捕らえるために、アイリスが地上に降りようと手すりから身を乗り出した瞬間、唐突に腰周りに力が加わるのを感じた。かと思うと、すぐにぐっと後ろに引き寄せられる。
「おい、ここを何階だと思っている」
耳元で発せられた声から、ローレンが後ろからアイリスの腰に腕を回しているのだと理解した。
「へ、陛下!? いえ、これは飛び降りようとしたのではなく……というか離してください!!」
バタバタと暴れるも、腰に回された腕はびくともしない。ローレンによってバルコニーに戻されたアイリスは、急いた気持ちで訴える。
「早く犯人を捕らえないと、逃げられてしまいます!」
「衛兵がすでに動いている。問題ない」
ローレンが地表を見遣ると、視線の先には二人の衛兵に捕らえられた侵入者の姿があった。月のない夜に、ランタンの光が眩しく輝いている。その光景に、アイリスはようやく落ち着きを取り戻した。
ローレンに向き直り、この国の王の体に問題がないことを目視で確認してから問いかける。
「陛下、ご無事ですね?」
アイリスのその問いに、ローレンは顔を
「それはこちらの台詞だ。怪我はないな?」
「はい」
「中へ戻るぞ」
二人が部屋に戻ると、ローレンはそのまま廊下側の扉へ向かい、部屋を出ようとする。侵入者を捕らえたとはいえ、まだ敵が潜んでいるかもしれない。アイリスはローレンの身の安全が心配になり、思わず声をかけた。
「どちらへ?」
不安気なアイリスの表情を見て、ローレンは立ち止まり引き返してきてくれた。そして、アイリスの目の前まで来ると、ローレンの手がそっとアイリスの頭に触れた。
「大丈夫だ。指示を出したらすぐ戻る。お前は休んでいろ」
ローレンの力強い言葉に、少し不安が和らいだ。冷静さを取り戻したアイリスは、今自分にできることを考える。
「いえ、陛下さえよろしければ、このあと逆探知の結果を共有させてください。捕らえられた侵入者からは、さほど魔力を感じませんでした。おそらく結界を解いた魔法師と暗殺の実行犯は別かと」
「そのようだな。助かる」
ローレンが部屋を出ていくと、アイリスはすぐに左手の自室に戻り、真っ先に机の上を確認した。蝶の形に切り取られた白い紙片が、金属製の小さなトレーの上に置かれている。アイリスは静止する蝶を見て顔を顰めた。
(蝶は動いていない……ということは、結界を解いた魔法師は城内にはいない)
この蝶は、ローレンから暗殺未遂事件のことを聞いた日の夜に仕掛けたものだ。城内に結界を破る魔法師がいた場合、この蝶が魔法師のところまで飛んでいく仕組みになっていた。しかし、この仕掛けは無駄に終わったらしい。
続いてアイリスは、机に置いていた地図を手に取った。先日ローレンに手配してもらった王都の地図だ。
(お願い、上手くいってて……!)
祈るような思いで地図を開き、
「――――あった!!」
王都の地図には、一箇所だけ黒く塗りつぶされたような跡があった。逆探知の成功を意味するその印を見たアイリスは、ホッと胸を撫で下ろす。
万が一魔法師が城内にいなかった場合の保険として、この地図の仕掛けを用意しておいて良かった。地図は大まかな場所しかわからないため、蝶よりも精密さには欠けるが、ある程度は仕方がない。本当は城外にも蝶を仕掛けたかったが、可動範囲に限界があり無理だった。
アイリスはそのまま地図を持ち、二人の寝室に戻った。しかしローレンはまだ戻っておらず、ソワソワした落ち着かない気持ちで帰りを待った。
程なくしてローレンが戻ってくると、アイリスは思わずローレンに駆け寄った。
「陛下! いかがでしたか?」
「侵入者は捕らえた。今から尋問が行われる。吐かなければ、明日俺が行くことになっている」
アイリスは、国王が直々に尋問するのかと一瞬不思議に思ったが、ローレンのギフトである『嘘を見抜く力』があれば、尋問も容易いだろうと納得した。
そして、アイリスは早速ローレンに地図を見せた。
「陛下、これを」
「先日手配した王都の地図か。てっきり城下へ行く際に使うものだと思っていたが、逆探知に使っていたとはな」
「はい。初めは、城内に魔法師がいる前提の仕掛けしか施してなかったのですが、捜索の範囲を広げておいて正解でした。陛下、ここには何がありますか?」
アイリスが地図上の黒く塗りつぶされた箇所を指さしながら尋ねると、ローレンは目を眇めながらつぶやいた。
「……ヴァーリア魔法学校か」
「学校?」
「ああ、この国最高峰の魔法学校だ。魔法師の育成だけでなく、最先端の研究が行われている場所だ」
「なるほど……。魔法の無効化の技術はこの国ではまだ一般的ではないようなので、学校で研究が進められていてその技術を使った、という可能性が最も考えられますね」
(でも、魔法師がたくさんいる場所なら、すぐに犯人を絞り込むのは難しいわね……)
犯人まであと一歩のところなのに決定打に欠ける手掛かりしか入手できず、アイリスは思わず歯噛みする。これでは、ローレンの役に立てたとは言えない。
「…… 犯人を捕えると言っておきながら、大まかな場所しかわからず申し訳ありません」
「いや、この情報だけでも大きな収穫だ。感謝する。少なくとも学校関係者とわかっただけでもありがたい。ここからはこちらで引き取ろう」
俯きながら謝るアイリスに、ローレンは優しく声をかけた。慰めの言葉をかけられると、余計に情けなく感じてしまう。
(何か手掛かりは……)
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