第13話 陛下に怒られるようです


 アイリスは城に戻るや否や、ローレンに呼び出しを食らってしまった。


(……これは……もしかしなくても怒られるやつね……)


 レオンに案内されながらローレンの執務室へと向かっているが、アイリスの足取りは非常に重いものだった。


 謎の魔法師の出現で、衛兵たちに余計な混乱を招いてしまったのだろうか。

 こんなことになるなら、昨日のうちに『計画』についてローレンに説明しておけばよかったと後悔する。しかし、あのまま何もせず魔物を放置して、みすみす被害を拡大させるような真似はできなかった。


「アイリス様、ここは俺が説明を。陛下も、話せばきっとわかってくださいます」

「ありがとう、レオン。でも大丈夫よ。これは私の問題だから」


 表情が硬いこちらを気遣うレオンの言葉がありがたい。が、今はレオンの厚意に甘えるわけにはいかない。これは、自分で起こした騒動なのだから。


 執務室の前に到着すると、アイリスは扉をたたき中の人物に声をかけた。


「陛下、失礼いたします。アイリスです」

「入れ」


 執務室に入ると、ローレンが執務机に向かって膨大な量の書類を処理しているのが目に入った。その隣では、側近のエドモントがローレンから受け取った書類に目を通している。


 アイリスが入室してからも、ローレンは書類に視線を落としたままであったため、表情が伺えなかった。


 すると、彼はキリの良いところで視線を上げ、アイリスを見据えた。その双眸には鋭い光が宿っている。数日ぶりに主君に会ったレオンからは、緊張が伝わってきていた。


「二人で話す。席を外せ」

「は」

「……かしこまりました」

 

 ローレンが低い声で命じると、エドモントとレオンが退室していった。

 しばしの沈黙の後、側近二人の気配が完全に消えたところで、ローレンが口を開いた。


「随分と派手に暴れたな」

 

 ローレンは眉を顰めながら、じとりとアイリスを見遣る。その視線の鋭さに思わず目を逸らしたくなるが、アイリスはぐっと堪え、ローレンの双眸を見つめ返した。


「仮面の魔法師はお前だろう」

「はい。無用な混乱を招いてしまい、申し訳ございませんでした。ご迷惑をおかけしないと言っておきながら……被害を抑えるためとはいえ、浅慮な行動でした」


 ローレンはアイリスの謝罪には触れず、一つ小さな溜息をついてから続ける。


「水魔法と土魔法、それに回復魔法まで扱う強者が現れたと噂になっているぞ。浮遊魔法を使っていたから、仮面の魔法師は魔族ではないかという憶測まで立っている」

「え!? そんな大事になっているんですか!? そこまで派手な噂を立てるつもりはなかったのですが……」


(魔物の攻撃範囲外から制圧するために、浮遊魔法を使ったのは仕方ないとして、あとは基本的な魔法がほとんどだったのだけれど……)


 想定以上の騒ぎになっていることに、アイリスは内心焦りを覚えつつ、今回の行動を説明するために自分の『計画』について話し始めた。


「私は、陛下の実権奪還に協力すると決めた日から、自分の力の使い所について考えていました」

「……ほう?」


 アイリスの言葉に、ローレンは目を眇めながら聞き返してくる。彼の鋭い瞳を見据えながら、アイリスは続ける。


「この国に嫁いだ以上、国のために力を使わないのは愚策だと考えています。いずれ力のことが公になった時、王妃は力も使わず何をしていたのかと非難する者が確実に出てくるでしょう。そして、その批判は陛下にも及ぶはずです」

「なるほど。だから仮面の魔法師として実績を作っておき、実はその魔法師が王妃だったとわかれば、そうした無用な批判を生まずに済む、というわけか」


 アイリスが説明するまでもなく、ローレンはこちらの意図を察したようだった。しかし、ローレンの表情は依然として険しいままだ。


「だが、お前が力を隠し通せば、そもそもそんな事態にはならないだろう」

「……私は、この力を陛下陣営拡大のために使いたいと思っています。まだ力の明かし時は見定められていませんが、王妃が本物の『黒髪緋眼』であることは、陛下にとって優位に働くはずです」


 ローレンは一瞬驚いたように目を見開いた後、すぐに眉を顰めた。


「アトラス王家の反応が読めない以上、力を明かせばその身に危険が及ぶ可能性もある。国内でもお前の力を利用しようとする者や、そもそも離婚を反対する者も出てくるだろう」

「アトラス王家に関しては、いずれ情報を集めようとは思っていますが、さほど心配していません。王位に執着する叔父だったので、私を連れ戻して王にしようという動きになるのは、あまり考えにくいかと。この力は陛下以外の方に利用させるつもりはありませんし、離婚の件は陛下がなんとかして説得してください」


 アイリスがきっぱりと言い切ると、ローレンはしばらく考えた末、額に手を当てながら再び大きな溜息をついた。


「…………お前の考えはわかった。あえて止めはしないが、身に危険が及ぶようなことはするなよ」

「わかりました。ありがとうございます、陛下!」


 アイリスは思ったより叱責が少なくホッとするものの、ローレンが変わらず厳しい視線をこちらに向けているのが気になった。まだ何かあるのだろうか。


 アイリスがローレンの様子を伺っていると、相手から不機嫌そうな声が発せられた。


「で、怪我は?」

「え?」

「怪我はないのか?」

「はい、この通り無傷ですが……」

「……そうか、ならいい。だが約束は守れ」

「約束……? ええと、無用な混乱を招いて、騒ぎを大きくしたことに怒っていらっしゃったのでは……?」


 その言葉を聞いて、ローレンの眉間の皺がますます深くなる。


(なんだか、さっきより怒ってるような……?)


 ローレンの考えが読めずに困惑していると、溜息混じりに険しい声が返ってきた。


「違う。お前が魔物を討伐し事態を収拾したことは、褒められこそすれ、責める所などどこにもない。王都に魔物が出現して負傷者無しというのは、本来ならあり得ないことだ。だが……危ないことはするなと言っただろう」


(確かに昨日、城下に出るにあたって危ないことはしないって陛下と約束したけど……危ないこと……?)


 アイリスは首を傾げながら考え、数秒後にハッと気づいてから慌てて弁明した。


「ああっ! 申し訳ありません!! ええと、魔物討伐は幼い頃からの日課のようなものだったので……危険な行為だという認識が欠けていました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

「魔物討伐が日課…………?」


 ローレンは、訳がわからないというように目を眇めている。


「はい。幼い頃から、せめて国の役に立てと、人目がないところでの魔物討伐を父から命じられていました。そのため、物心ついたときから魔物との戦闘には慣れていまして……」

「……とんでもない父親だな」

「私もそう思います。ですがいい経験になりましたし、そこで師匠とも出会えたので、今となっては良かったと思っています」


 呆れ顔のローレンに、アイリスは苦笑しながら答えた。


 当時は、父が私を嫌っているから魔物討伐という危険なことを命じるのだと悲しく思うこともあったが、今は城から出してもらえていたことに感謝すらしている。父が亡くなってからは、叔父たちが厳しく、城から出ることもできなくなってしまった。


 アイリスはこの一連のやり取りで、ローレンが怒っていた理由がアイリスの身を案じていたからだとわかり、なんだかこそばゆい気持ちになった。


(陛下って、思った以上に心配性よね……多少の戦闘は問題ないことを伝えておかないと)

 

「陛下、私にそのようなご心配は無用です。自分の実力以上の敵とは戦いませんし、引き際はわきまえております」

「……レッドウルフ七体を一人で討伐できる者など、この国でもそう多くない。心配にもなるだろう」

「お心遣い感謝します、陛下。ご心配をおかけしました」


 ローレンの視線からようやく険しさが引いていくのを見て、アイリスは安堵した。

 そして、魔物討伐に関して先ほどレオンから聞いた話を思い出し、アイリスはローレンに提案を持ちかける。


「あと、レオンから伺ったのですが、陛下も魔物討伐に赴くことがあるとか。今後の魔物討伐は、私にお任せください。この国の王である陛下が向かわれるのは、あまりにも危険すぎます」

「………………考えておく」


 ローレンが再び渋面に戻ってしまい、何かまずいことを言ってしまったかと不安になったが、『他にも聞きたいことはあるが、まずは一旦休め』とローレンに言われてしまったので、アイリスは大人しく部屋を後にした。




***




 アイリスが退室して程なく、エドモントが執務室に戻ってきた。ローレンは既に書類との睨み合いを再開している。


「陛下、アイリス様はご無事でしたか? まさか城下に行かれた日に魔物が現れるとは」

「ああ、無事だ。……あいつとはいずれ『危険』の範囲をすり合わせる必要があるらしい」


 溜息混じりにローレンがそうつぶやくと、詳しい事情を知らないエドモントは首を傾げた。


「……左様で? ですが、アイリス様を大切にされているのがわかって、安心いたしました」


 にこやかに言うエドモントのその言葉に、ローレンの手が止まった。


「……これはそんなに良いものではない。ただの自己満足の罪滅ぼしだ」


 書類から顔を上げないまま、ローレンが自嘲めいた調子でつぶやく。その声音には、いつものローレンにはない弱々しさがあった。


「俺はあいつを政治の道具にするために、この国に迎え入れた。他の下衆な王族と変わらん」

「陛下……民を思えばこその選択だったと、私は理解しております。あまりお一人で抱え込みすぎませんよう」


 ローレンはその言葉には応えず、この話は終わりというように再び手を動かし始める。執務室には、ただペンを走らせる音だけが響いていた。


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