第10話 話が違うじゃないですか!
夕食後、アイリスは寝支度を済ませると、夫婦の寝室へと向かった。そして部屋に入るやいなや、昨夜同様に枕元で本を読んでいたローレンに抗議の声を上げた。
「陛下! どういうことですか!?」
「何がだ」
「話が違うじゃないですか!」
「何の話だ」
「レオン・トラヴァーのことです!!」
「誰でもいいと言ったのはお前の方だろう」
「そうですが! そうではなく!!」
ローレンは、本から顔も上げずに淡々と返事を返してくる。
アイリスは少し息が上がるのを感じながら、レオンのために、と再度口を開く。
「彼は宮廷騎士の中でも随一の腕前で、元々は陛下の専属騎士をされていたと聞きました。そういう方は、ご自分を守るためにお使いください。私には無用の長物です。どうか元の配置に戻してあげてください」
「だが、至近距離から不意打ちを喰らえば、お前も危ういんだろう?」
「それはそうですが……そもそもそんな至近距離に怪しい人がいれば、警戒して防御魔法を使います。それに、レオンは今回の配置にかなり不満気でしたよ?」
それを聞くと、ローレンは本から顔を上げ、あからさまな溜息をついた。
「あいつは少し外を見た方がいい。俺を敬愛するあまり、周囲が見えなくなる時がある。腕は確かなんだがな」
アイリスは思い当たる節が多々あり、あぁ、と納得してしまった。
「とにかく、この配置は決定事項だ。至近距離からの攻撃対策としては、あいつ一人いれば十分だからな」
「ですが……」
「お前に仕えることで、あいつにもいい刺激になるだろう。貴族の出ではないから礼儀作法に欠けるところがあるが、大目に見てやってくれ」
「……私をレオンの教育係か何かにしようとしていませんか?」
「何のことだかな」
フッと口角を上げるローレンをじとりと見やり、今度はアイリスが溜息をつく。
(陛下の説得は無理そうね……明日レオンに謝らないと……)
「そういえば、目当ての本は見つかったのか?」
ベッド脇に
「す、すみません、こちらのお礼を言うのが先でしたね。図書室と講義の件、手配していただきありがとうございました。おかげで有意義な時間を過ごせました」
「そうか。ならいい」
ローレンは事も無げにそう言うと、再び本に目を落とした。
一通り会話が終わり、アイリスはベッドに入った。やはりまだ誰かと一緒に眠るのは落ち着かず、ローレンがページを捲る音しか聞こえない静寂に、少しソワソワしてしまう。
夕方レオンから聞いた、ローレンの夢の話でも尋ねようかと口を開くも、言葉にする前に思い留まった。
(レオンはなにか言いにくそうにしていたし……陛下本人が私に話そうとするまでは、私から尋ねるのはやめておきましょう)
代わりに、今日ずっと考えていた『とある計画』を実行に移すべく、ローレンに一つお願いをしてみた。
「陛下、近日中に城下を見て回りたいのですがよろしいですか? もちろんお忍びで参りますので、陛下にご迷惑がかかるようなことはいたしません」
「城下? 構わないが。なにか気になる場所があるのか?」
「城下の様子を実際の目で見てみたいのもありますが、少し買い物をしようかと」
「買い物? 行商人を城内に呼んでも構わないぞ?」
「それではだめなんです。私が買ったということは隠したいので」
「……何か面白いことを考えているな?」
目を眇めながらアイリスを見遣るローレンに、アイリスは悪戯っ子のような笑みを返す。
「ふふっ。まだ秘密です」
「まあいい。危ないことだけはするなよ」
「……わかりました!」
誰かに心配されることが、こんなにもくすぐったく嬉しいことなんだと、アイリスは改めて感じた。思わず頬が緩んでしまう。
「では、明日にでも行けるよう手配しよう。城下に行くなら、もう少し護衛を増やしたほうがいいだろう。俺は同行できず、すまないが」
「いえ、レオン一人で十分ですよ。陛下の折り紙付きなら私も安心ですし。それに今回は『お忍び』なので、目立つのは避けたいのです」
「…………わかった。くれぐれも気をつけろよ」
同行者を増やすことに関して、アイリスが折れないと察したローレンは、渋々承諾してくれた。
「ありがとうございます、陛下。あと、念の為、王都の地図をいただきたいのですが、ございますか?」
「ああ、手配しておこう」
(――なんというか……やっぱり私に甘すぎない……?)
結婚してからというもの、ローレンに要望が断られたのは離婚やレオンの配置についてくらいで、その他のほとんどは二つ返事で了承してもらえている。
ありがたい限りなのだが、今までそうした経験のないアイリスは、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。
「……ありがとうございます、陛下。何かお土産を買ってきますね」
「ああ、楽しみにしている」
ローレンは穏やかな笑みを浮かべながら、隣に横たわるアイリスの頭を唐突に撫でた。
(………………!!!)
ローレンの思わぬ行動に、アイリスは石のように固まってしまった。彼は本に視線を戻してからも、アイリスの頭を撫で続けている。
(何!? ペットか何かだと思われてる……!?)
すると、ローレンは徐ろにアイリスの頭から手を離し、一房の艷やかな黒髪を掬い取った。
「お前の髪は絹糸のようだな。触り心地がいい」
「あ、ありがとう……ございます」
ばくばくとうるさく鳴る心臓を押さえつけながら、アイリスはかろうじて一言だけそう返した。
(な、なんて心臓に悪い事を……! 平常心、平常心……!)
自分にそう言い聞かせながら冷静さを保とうとするも、ローレンの手は未だにアイリスの髪を弄んでいて、こちらとしては寝るどころではない。
「あの、陛下、もう、寝ますね……?」
「ん? ああ、おやすみ。アイリス」
就寝の挨拶と共に、ローレンの手がようやくアイリスの髪から離れた。こうしてやっとの思いでローレンの手から解放されるも、寝付くまでにいつもの倍以上の時間がかかってしまうアイリスだった。
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