第9話 政敵との接触
再度図書室へ向かう道中、アイリスは思わぬ人物に声をかけられた。
「ごきげんよう、アイリス様。お会いするのは婚姻の儀以来ですね」
聞き覚えのある声に、思わず肩がぴくんと跳ねる。
ーーアベル・バーネット。
ローレンの叔父であり、この国の政治に大きな影響力を持つ人物。ローレンより十歳年上であり、二人の娘がいるらしい。
容貌はローレンに似て整っており、金色の髪にローレンよりもやや薄い碧眼を持つ。垂れ気味の目尻に穏やかな声が、柔和な印象を与えている。
「ごきげんよう、アベル様。この城に来てからまともにご挨拶ができておらず、申し訳ございません」
「いえいえ。婚姻の儀でお忙しかったでしょうから、仕方ありません」
アイリスがにこやかに挨拶を返すと、アベルは一瞬驚いたような顔をするも、すぐに笑みを返してきた。
隣のレオンはというと、威嚇するようにアベルを睨みつけている。主君であるローレンの政敵だからだろうが、相手は王族だ。やれやれと思いながら、アイリスは視線でレオンを嗜めた。
レオンの態度を気にする様子もなく、アベルが続ける。
「随分と雰囲気が変わられましたね。何か心境の変化でも?」
「いいえ、これが素の私です。今までは少し、猫を被っておりました」
「そうでしたか。どうぞ私には気を遣わず、ありのままのあなたでいてくださいね」
昨日までは誰に対しても無表情で言葉少なに対応していたので、急に態度を変えることに恥ずかしさがないと言えば嘘になる。が、それよりも自分を偽らなくていいという気楽さが圧倒的に勝った。
「それにしてもレオン君を護衛騎士に選ぶとは、陛下はアイリス様を相当大切になさっておいでですね」
「? それはどういう……?」
「あれ、ご存知ありませんか? レオン君は宮廷騎士の中でも、随一の剣の使い手なんですよ。元は陛下の専属騎士だったくらいです」
「えっ!?」
(私、昨日陛下に『騎士はお飾りでいい』って言ったわよね? 陛下はそれに『わかった』って仰ってたわよね!?)
動揺するアイリスに、アベルはクスクスと人好きのする笑顔を浮かべながら言う。
「愛されている証拠ですよ」
「そういうことではないと思いますが……」
そもそも愛されるような事をした覚えのないアイリスは、苦笑しながら返事をした。
そんな会話をしていると、アベルから思わぬ提案を持ちかけられた。
「あ、そうだ。もしよければ、近いうちにお茶でもいかがですか。ぜひアイリス様とお話してみたいと思っていたんです」
(……! これはチャンスね。陛下の政敵がどんな人物か知っておくに越したことはないわ。陛下陣営を増強するヒントを得られるかもしれないし)
「もちろん、ぜひ。楽しみにしておりますね」
アイリスはにこやかに返答しアベルと別れると、図書室へは向かわず、レオンと共に自室へと戻った。
***
「レオン、少しお話しましょう」
自室に戻ったアイリスは、護衛騎士選定の経緯を聞くために、お茶をしながらレオンと話をすることにした。夕食の時間まで図書室で本を漁ろうと思っていたが、計画変更だ。
「今朝、私に挨拶にいらした時に不満顔だったのは、陛下の専属を外されたからですか?」
アイリスが率直に尋ねると、レオンはどこかバツが悪そうに答えた。
「……はい、今朝はその……失礼な態度を取ってすみませんでした。アイリス様にご挨拶に伺うほんの少し前に、今日付けで王妃殿下の専属護衛になるよう言われました。でも、特に説明らしい説明は聞いていなくて……納得しきれていないのが正直なところです」
レオンは奥歯を噛み締め、悔しさを押し殺した表情をしている。
「俺はずっと、ローレン陛下の専属騎士として役目を果たしてきたつもりでした。あの人に仕えることを心から誇りに思ってた……。陛下も俺のことを評価してくれてるから、側に置いてくださっているのだとばかり……でも、俺の勘違いだったみたいです」
アイリスは頭を抱えた。まさかローレンが自分の騎士を私に充てがうとは思ってもみなかったからだ。それに、これほど実力があり忠誠心の強い者を……。
「ごめんなさいレオン……何か手違いがあったようなので、陛下にはあなたの配置を元に戻すよう進言しておきますね」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
レオンがクリクリとした大きな瞳を輝かせる。まるで大型犬が尻尾を振っているみたいで、アイリスはなんだか微笑ましくなった。
(素直で真っ直ぐなところは美徳だけれど、さっきのことは注意しておかないとね)
「陛下に忠誠を誓ってらっしゃるのはよく分かりましたが、先ほどのアベル様に対する態度は関心しませんね。陛下の品位も損ないますし、今後はご自身の立ち居振る舞いにはご注意ください」
アイリスの指摘に、レオンはかなり驚いたような顔をした。指摘の内容にというより、アイリスが指摘してきたこと自体に驚いたような反応だった。
「た、大変申し訳ございませんでした……」
「次から気をつけていただければ構いません」
「はい、ご指摘ありがとうございます。――その……アイリス様は、噂とは印象が随分違いますね」
「"愚鈍で無能な氷姫" ですか?」
アイリスは苦笑しながら自分の二つ名を口にする。
「陛下の名誉のためにも、この二つ名を払拭できるよう努力します」
「…………」
レオンは黙ってアイリスの言葉を聴いていた。
『氷姫』は私の態度でどうとでもなるが、魔法の力を隠している今、『愚鈍で無能』を払拭するのは骨が折れそうだ。無能を演じることは相手を油断させ良い方向に働くこともあるが、王妃という立場においては、ローレンの足を引っ張るものでしかないだろう。
(でも、レオンがこれほど陛下に近い人物なら、さっきの講義での疑問を聞いてみてもいいかもしれないわね)
アイリスはそう思い、レオンに一つ質問を投げかけた。
「レオン、少しお伺いしたいのですが。本日の講義で、陛下の功績を色々と伺いました。十分な実績を上げていらっしゃるのに、未だにアベル様を支持する方々が圧倒的に多いのはなぜなのですか?」
ローレンに直接聞いてもいいのだが、側近としての意見も聞いておきたかった。視点は多ければ多いほど良い。
「うーん……陛下がまだ小さかった頃、アベル様が国政に大きく貢献されたっていうのもありますが……」
レオンはどこか歯切れが悪い。視線を
「一番の原因は……………陛下が掲げている、夢のせいだと思います」
「陛下の夢……? それはどのような――」
ちょうどその時、夕暮れ時を示す鐘の音が遠くに聞こえてきた。
「…………この話は、また今度にしましょう」
レオンはそう言うと、アイリスから視線を逸らした。早くこの話を終わりにしたい、というような雰囲気を感じる。
(……今日はこれ以上聞くのは無理そうね)
そう思ったアイリスは、これ以上は追求せず、レオンと別れ夕食を済ませることにした。
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