第7話 初めての二人の夜
「そ、そろそろ寝ましょうか! 人が側にいると寝にくいと思うので、私はソファで寝ますね」
アイリスは、恥ずかしさを誤魔化すようにそそくさとソファに向かい、クッションを枕にしてゴロンと横になった。
すると、ローレンが険のある声でアイリスを咎める。
「おい、ベッドを使え。これから毎日そこで寝るつもりか」
「問題ありません。なんなら母国にいた時よりも、寝心地がいいくらいです」
「では俺がソファを使う」
「そんなの駄目に決まってます! ただでさえ最近お忙しいのに、しっかり休んでいただかないと!」
しばし睨み合いが続いたあと、ローレンは一つ溜息をつくと、無言のままアイリスに近づき
「うわっ、ちょっ、陛下!? 降ろしてください!」
「動くな頑固者。落ちるぞ」
バタバタと抵抗するも、ローレンはびくともしない。細身に見えるが、なかなかに鍛えているらしかった。
横抱きのままベッドまで運ばれ、ゆっくりと下ろされる。
「別にお前がいたところで睡眠に支障は出ないから、気にせずここで寝ろ。あと、お前は軽すぎだ。普段の食事量をもう少し増やせ」
「わ、わかりました……」
有無を言わせぬローレンの物言いに、アイリスはそう答える他なかった。
どうやらローレンはすぐに寝るわけではないようで、枕元に座り本の続きを読み始めた。
アイリスはというと、ベッドに横たわったもののどうにもソワソワしてしまい、なかなか眠れそうになかった。そもそも、誰かと一緒に眠るというのが初めてなのだから無理もない。
アイリスはとうとう沈黙に耐えかねて口を開いた。
「何の本を読んでいらっしゃるのですか?」
「法律に関する本だ。日中は研鑽の時間が取れないから、寝る前にこうして本を読むことが多い」
(努力家なのね……)
王という立場に甘んじず努力を惜しまないローレンに、アイリスは素直に尊敬の念を抱いた。歴史を振り返っても、権力を持て余し堕落する王は多い。
「今後もし時間が合えば、先ほどのように魔法について講義してくれると助かる」
「……! もちろんです。私が教えられることであればなんでも!」
ローレンからの思わぬ申し出に驚きつつも、頼られたことに嬉しさを覚え、思わず頬が緩んだ。
それから、先ほど聞きそびれていたことをふと思い出し、読書の邪魔をして悪いと思いつつ口にする。
「そういえば、先ほど私に剣が当たっていたらどうするおつもりだったんですか? 結婚早々妻を殺害なんて、流石に大騒動になりますよ?」
「そんなことするわけないだろう。お前が何もしなければ、寸止めするつもりだった」
ローレンは事も無げに言うが、あの剣速で寸止めは無理では、と
今度はローレンが本に目を向けたまま、唐突にアイリスに尋ねてきた。
「この城での暮らしに不自由はないか?」
「いいえ、全く。母国にいた頃より、余程良い生活をさせていただけて感謝しています。ですが……やはりいきなり妃の公務は荷が重く……。もちろんこれから勉強して、できる限りのことはするつもりですが……その、申し訳ありません……」
妃として役に立てることが限りなく少なく、アイリスは情けなさで声がだんだんと弱々しくなった。
アイリスは叔父たちに虐げられていたせいで、父が亡くなる十歳までの間しか、まともな教育を受けさせてもらえなかったのだ。妃教育も同様だ。
「そのことなら構わない。謁見や社交の場などには最低限出てもらうが、それ以外の公務は別の者にやらせる。お前は自分のやりたいように、自由に過ごせばいい」
「そ、そういうわけには!」
「"愚鈍で無能な" 妃が来る予定だったんでな。ある程度、対応の用意はしていた」
ローレンが目を眇めながら悪戯っぽくそう言うと、アイリスは余計に申し訳なくなった。
「力を隠していた件は大変申し訳なく……。ですが、魔法が使えても、妃としてお役に立てないことは変わりません」
「そんなことはない」
ローレンは本から顔を上げ、アイリスを見つめながら優しく否定した。彼の瞳の強さが、世辞や慰めではなく本心からの言葉だと思わせてくれる。
「ありがとうございます。ですが……最低限のこと以外何もしなくて良いとなると、流石に暇になりますね」
「この国で過ごすにあたって、何か希望はあるか?」
「そうですね……図書館などはありますか? 魔法書を調べたくて。あと、陛下にご協力するに当たって、この国のことを最低限知っておきたいので、まとまった本があれば読んでみたいです」
「わかった。手配しておく」
「ありがとうございます」
国王として多忙だろうに、お荷物の妻にこんなにも配慮してくれることが嬉しくもあり、また少し申し訳ない気もする。
暇な時間に他に何をしようか、とアイリスが思いを巡らせていると、ローレンがふと思い出したように口を開いた。
「ああ、それと、いい加減お前の専属護衛を決めようと思う。今までは、臨時の騎士が交代で務めていたからな」
アイリスが三ヶ月前にこの国に来てからというもの、婚姻の儀の準備で城内はかなり慌ただしく、これまではローレンの近衛騎士が交代でアイリスの護衛をしてくれていた。最初から決まっていたのは侍女くらいだ。
「ありがとうございます。でも、お飾りで構いませんよ。至近距離から不意打ちでも喰らわない限りは、そう簡単に死にませんから。私に人員を割いていただかなくても大丈夫です。誰でも構いません」
「わかった」
ローレンは短くそう答えると、再び本に視線を落とした。
その後もしばらく会話を続けていると、緩やかな眠気が訪れ、段々と瞼が重くなってきた。
アイリスは半分頭が寝ぼけていたせいで、最近気になっていたことをつい口にしてしまった。
「……陛下は……お世継ぎを、作ろうとは……なさらないんですね……?」
「なんだ、欲しいのか?」
ローレンがアイリスに視線を移しながらそう聞き返した時、自分がとんでもない発言をしていたことに気づき眠気が一気に吹き飛んだ。自分の発言に激しく後悔するも、一度放たれた言葉は二度と戻らない。
ドキドキと心臓が落ち着かないアイリスは、しどろもどろになりながらローレンに言葉を返した。
「い、いえ!! そ、そうではなく……! 王妃として当然の義務だと思っていたので、ある程度は覚悟していたと言いますか……特に深い意味はなく……」
「今お前が身籠れば、俺の暗殺を企てている相手は躍起になってお前と子の命を狙ってくるだろう。そういうのは、全てが片付いてからにすべきだ」
『暗殺』という言葉に、アイリスは一気に冷静さを取り戻した。
(相手、というのは、政敵であるアベル・バーネット殿下のことかしら……? 陛下は既に犯人の目星を立てている……?)
アイリスが思考を巡らせていると、ローレンが再び口を開いた。
「……それに」
ローレンは目を眇め、悪戯っぽい笑みを浮かべながら続けた。
「誓いのキスで、ああもガチガチだったお前に務まるとは思えん。手出しはしないから、安心しろ」
その言葉に、アイリスは二週間前の婚姻の儀のことを思い出し、一気に顔が熱くなるのを感じた。眼前に輝いていた美しい碧い瞳と、唇に触れた柔らかな感触が蘇る。
「だ、だって初めてだったんですもん! 仕方ないじゃないですか!」
アイリスが顔を真っ赤にしながら半ばヤケになって言い返すと、ローレンはクック、と声を漏らして笑い出す始末だ。
「知りません! もう寝ます!」
アイリスは、赤くなった顔を隠すように、上掛けを勢いよく頭の上までかけた。
「ああ、おやすみ、アイリス」
「……!! ――おやすみ……なさい」
誰かにおやすみと言われることも、誰かの温もりを近くに感じながら眠ることも――。アイリスにとって、全て初めてのことだった。
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