第6話 魔族


「失礼します」


 寝支度を済ませたアイリスが再び夫婦の寝室に戻ると、そこには既に寝衣に身を包んだローレンの姿があった。彼はベッドの枕元に座り、何やら本を読んでいる。


「杖を使うのか? てっきりまた無詠唱かと」


 ローレンが本から顔を上げ、こちらに視線を向けながら尋ねてきた。


 アイリスは結界を張るために、寝室に魔法の杖を持ってきていたのだ。胸の高さあたりまでの長さの、一本の木から作られた杖。師匠からもらった大切なものだ。


「はい。杖は無くても困りはしませんが、魔力の安定化やサポートに役立つので、あるに越した事はないんです。詠唱も、複雑な魔法を発動させる時や、集中が必要な時は使いますよ」

「ほう、楽しみだ」

「では、早速。この部屋と我々の自室にまとめて結界を張ります」


 アイリスはそう言って部屋の中央辺りまで行くと、杖を胸の前で両手に持ち、目を閉じた。すっと息を吸い、意識を集中させる。


「《光よ、全てを阻む盾となり、主を守れ》」

 

 詠唱を唱えた後、トン、と杖を床につくと、そこから瞬時に光の粒が部屋全体に広がり、そしてすぐにフッと消えた。


「……美しいな」


(い、今のは魔法に対して……よね??)


 ローレンの言葉に一瞬いらぬ勘違いをしそうになり、アイリスは慌てて話題を逸らした。


「あ、あとは、陛下の自室に元々施されていた結界に、仕掛けを施しますね」


 アイリスはローレンの自室に繋がる扉の前まで行くと、そっと右手を扉に添え、目を閉じた。流石に自室に入るのは憚られたので、扉越しに術を施すことにする。


(効果は……無効化時の追跡。……今ある結界を書き換える……)


 集中し、魔法のイメージを脳内で作り上げていく。


「《光の蝶よ、来るきたる時に彼の者を指し示せ》」


 アイリスが呟くと、扉が淡く光り、またすぐに消えた。

 無事魔法が成功したことに安堵し、ふうっと息を吐く。

 

「今日のところは、ひとまずこれで完了です」

「ああ、助かる。それにしても、魔法学で習う一般的な詠唱とは異なるんだな。結界の詠唱はかなり長いものだったと記憶しているが。違いはあるのか?」


 ローレンがベッドから立ち上がり、アイリスに近づきながらそう尋ねてきた。


「魔法は発動のイメージができるかがすべてなので、詠唱なんてものは極論どんなものでもいいんですよ。無詠唱もその延長です。人族の詠唱が画一的なのは、その方が多くの人に伝承しやすいからだそうですよ」

「そういうものなのか。それにしても、魔法の複雑化や無効化などは、アトラス王国では一般的なのか?」


 ローレンの問いかけに、アイリスは困ったように苦笑した。


「あー……ええと……。実は、きちんとしたところで魔法の教育を受けたわけではないので、それが一般的なのかわからなくて……。全て師匠から教わったものなので」

「先ほども師の話が出てきていたな。なんという魔法師だ? さぞ高名な人物なのだろう」


 その問いに、アイリスはぐっと答えに詰まった。内容が内容だけに、正直に答えて良いものか逡巡する。


(……まあいいか。どうせこの人に嘘は通用しないし。もし不快に思われても、あわよくば離婚までの期間が短縮されるかもしれないし)


 そう割り切ると、アイリスはローレンを見据え、思い切って自分の師のことについて語った。


「私の師匠は魔族です。ですので、陛下はご存知ないかと」

「!」


 アイリスの言葉に、ローレンの目が見開かれる。しかしその瞳に嫌悪の色はなく、単なる驚嘆しか表れていなかった。


(意外な反応だわ。魔族に親しみを持つ人間なんて、南方の一部の国くらいかと思っていたけれど)


 強い魔力を持つ、人に似た異形の化け物。人語を話す怪物。人々が魔族に抱く印象はそんなところだ。


 この大陸では中央に五つの人族の国があり、それを取り囲むように四つの魔族の領地がある。

 魔族の領地は、四大魔族と呼ばれる大魔族――北方「剣神グランヴィル」、東方「豪傑のダリオン」、南方「恵みのライラ」、そして西方「魔王オズウェルド」がそれぞれ治めている。


 ここバーネット王国は大陸の西方に位置し、北から西部一帯が「魔王オズウェルド」が治める領地に、北東の一部地域が「剣神グランヴィル」が治める領地に隣接していた。

 この国は、二百年ほど前までは魔族との戦争が絶えなかったそうだが、現在は「剣神グランヴィル」の領地との国境沿いでたまに小競り合いがあるくらいで、あとはほとんど休戦状態にあるらしかった。


 すると、ローレンの双眸から驚きの色が消え、穏やかな眼差しに変わった。


「それは得難い師だな」

「……魔族を忌避なさらないのですね」

「魔族も人族も、善良な者もいればよこしまな者もいる。魔力量と見た目が多少違うくらいで、どちらの種族もそう大差ないだろう」


 ローレンのはっきりとした物言いに、アイリスは目を見張った。


(この国は魔族と友好関係にあるのかしら……? でも、魔族との小競り合いはあると聞くし……)


 アイリスが考えを巡らせていると、ローレンは腑に落ちたような表情でつぶやく。


「だがなるほど。お前が持つ知識や技術は並大抵ではないと思ったが、魔族が師と聞いて納得した」

「全ては師匠のおかげです。三歳の頃に森で偶然出会ってから、父が亡くなる十歳までの間、私に魔法を教えてくれました。彼は師匠であり、私の唯一の友人です」


(師匠は変わらず元気かしら……また会えるといいのだけれど)


 黒みがかった灰色の髪に、月のように輝く金色の瞳、そして頭に生えた二本のツノ――。長身に整った顔立ちを持つその魔族のことを、昔の記憶を頼りに思い浮かべる。五百年以上生きているらしいが、見た目は二十代前半といったところだった。


 懐かしい人物に思いを馳せながら、ふとローレンに視線を戻すと、何やら微妙な顔をしていた。


「どうかしましたか?」

「……いや」

「?」


 歯切れの悪いローレンを珍しく思いつつも、アイリスは深く追求せず、残りの要件を片付ける。


「あと、これ、気休めですがお守りです。よければお使いください」


 アイリスはそう言うと、ローレンに首飾りを手渡した。銀の細い鎖に透明な水晶が通してあり、水晶の中心は、まるで金色の光が閉じ込められているかのように、キラキラと輝いている。


「お守り?」

「はい。陛下の身が危険に晒された時、役に立つ……かもしれません」

「?」


 眉をひそめたローレンの言外の質問に、アイリスは苦笑して答える。


「師匠の見様見真似で作ったので、実際に上手く作動するかわからなくて。正常に作動すれば効果は絶大なのですが……保証できないので、気休め程度に身に付けていただければと。あ、気持ち悪ければもちろん付けていただかなくても……」

「いや、ありがたくいただく」


 そう言うと、ローレンはさっそく首飾りを首に通した。

 ローレンの寝衣は首元が開いており、金の輝きを放つ水晶が胸元を彩っている。鎖骨で銀の鎖がたわんでおり、なんだか妙に蠱惑的だ。ローレンの美しい容貌も相まって、まるで神話の壁画のようだった。


(なんて絵になる人……)


 ローレンにしばし見惚れていると、一瞬だが寝衣から傷跡のようなものが見えた気がした。


「傷跡……ですか?」

「ああ、随分前のな」


 ローレンはそう言うと、襟を広げて左肩を見せてくれた。そこには、左肩から胸の上あたりまで、剣で切られたような傷跡があった。

 それを見たアイリスは、思わず鎮痛な面持ちになる。


「これは……以前暗殺されかけた時の……?」

「そうだ。俺が十四歳の時だな」


 なんて事ないように言うローレンに、アイリスはますます胸が苦しくなった。

 

「魔法で傷痕を治したりはしないのですか……?」

「今は何ともないからな。それに……あの時のことを忘れずにいられる」

 

 ローレンは、どこか遠い目をしながらそう言った。


(そんな辛い記憶、どうして忘れないようにしているの……?)


 傷跡の大きさから、当時はかなり酷い怪我だったことが想像できる。


(私なら、こんな傷一瞬で治せるのに)


 アイリスは無意識のうちに手を伸ばし、ローレンの傷跡に触れていた。すると、ローレンが苦笑しながらアイリスに指摘する。

 

「アイリス。くすぐったい」

「ああっ、ごめんなさい陛下!!」


 アイリスは自分が男性の肌に直接触れていることに気づき、慌ててバッと手を引いた。加えて、お互い薄着であることを今さら認識し、アイリスは自分の顔に熱が広がっていくのを感じるのだった。

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