第5話 暗殺未遂事件(2)
「破られた結界は、どの程度複雑化されたものだったのでしょうか」
アイリスが尋ねると、ローレンは先程から続く聞き慣れない話に眉を
「複雑化……? すまない。一通り魔法学は修めたつもりだったが、勉強不足のようだ」
「そうですね……例えば火球を出す魔法を例に挙げましょうか。同じ魔法でも、炎の強さや速度、方向などを、魔法師は無意識にコントロールしています。そういったパラメーターを細かく制御するほど、魔法は複雑になっていきます」
熱心に耳を傾けるローレンの真剣な眼差しに、アイリスは嬉しさを覚えた。誰かとこんなに話すのはいつ以来だろうか。人に何かを教えるというのも、初めてのことだった。
「結界魔法においては、そういったパラメーターを複雑にすればするほど、結界の強度が高まります。金庫の鍵を何重にも増やすようなイメージです。複雑なほど結界の解析に時間がかかり、解析できなければ反転魔法が使えず結界も無効化できない、ということですね」
アイリスは目を閉じると、ローレンの自室に施されている結界へと意識を集中させる。
(物理耐性と魔法耐性がかなり高い……まるでお手本のようね。でも、結界自体はそれほど複雑な構造じゃない)
数秒の後、アイリスはゆっくりと目を開けた。
「現在陛下の自室に張られている結界は、半年ほどで解析が完了するものです。半年前に破られた結界も同程度の強度のものだとすると、今から一年ほど前から、暗殺の計画が動いていたことになります」
「……お前との婚約が決まったあたりか」
「はい。暗殺紛いのような事件は、半年前の一件だけですか?」
「立場上、それ以前にも何度か経験はしているが、確かにお前との婚約が決まった頃から顕著に増えているな」
『何度か経験している』という言葉に、胸の奥が苦しくなる。目の前にいるこの青年は、いったいどれほどの死線を潜り抜けてきたのだろうか。アイリスは叔父たちから虐げられていたとはいえ、暗殺などとは無縁だった。
妃を娶り世継ぎが生まれれば、ローレンの立場はより強固なものになる。犯人としては、それまでに何としてもローレンを排除したい、ということなのだろう。
「一度目の結界破りは、普通に結界を解析して無効化したとして……二度目は今の情報だけだと、何とも言えませんね。あまりにも期間が短すぎます」
「一度目に破られた後、同じ魔法師が再度結界を施したんだが……その際、全く同じ結界を張ったため、結界の再解析が不要になり、たった十日で再度侵入を許した、ということは?」
考えを巡らせながら尋ねるローレンに、アイリスは舌を巻いた。
(簡単な説明しかしていないのに、随分と理解が早いわ。でも……)
「その可能性は無くはないのですが……同じ人物が施したとしても、多少のブレは生じます。全く同じ魔法を使うというのは、例えば石ころを二回投げるとして、二回とも全く同じ軌道かつ同じ距離まで飛ばすくらい難しいことなんです」
(二度目の結界が一度目のものとかなり似通っていて、解析に十日しかかからなかった……? というか、そもそも魔法の無効化って人族が扱えるものなのかしら? 師匠にしか魔法を教わってこなかったから、どこまでが人族の魔法なのかイマイチ線引がわからないのよね……。万が一、魔族が関わっていたら相当厄介だわ)
アイリスはぐるぐると思考を巡らせるが、今ある情報だけでは真相に辿り着くのは難しそうだ。憶測をいくつも立てるより、犯人を捕まえたほうが早い。
「二度目に結界が破られた後、結界を施す魔法師を変えてからは落ち着いているんですよね?」
「ああ」
「魔法師を変えたことで、再び結界の解析が必要になったと仮定すると……結界が張られて半年たった今、犯人は解析を完了し、もう一度侵入を図ろうとするかもしれませんね」
アイリスはしばらく考え込んだ後、小さく息を吐き一度目を閉じた。そして、覚悟を決めたように目を開くと、まっすぐにローレンを見据えて告げた。
「……この件、私に預けていただいてもよろしいでしょうか。うまくいけば、犯人を捕らえられるかもしれません」
その言葉に、ローレンは美しい碧の瞳を大きく見開いた。まさかアイリスから専門的な見解が聞けるだけでなく、犯人逮捕の提案までされるとは思ってもいなかったのだろう。
「何か策があるのか?」
「暗殺の実行犯と結界を解く魔法師が同じとは限らないので、陛下の自室に施してある結界が無効化されそうになった時、逆探知をかけます。それで魔法師の居場所は特定できるはずです」
「……わかった。だが、危ない真似だけはするなよ」
ローレンの言葉に、今度はアイリスが驚いた顔をする。
(誰かに心配されるなんていつ以来かしら……)
アイリスは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。今日ローレンと話したわずかな時間の中で、アイリスはこれまでにないほど感情が忙しなく動いていることに気づく。
「……それにしても、お前の魔法の知識量は底が知れないな。この国随一と言ってもいい。感謝する」
「ほ、褒めすぎです!!」
アイリスは生まれて初めて受ける真正面からの賞賛に、どういう表情をしていいか分からず、ただ顔に広がる熱を抑えるのに必死だった。
これ以上褒められるとうまく反応できそうになかったので、話を元に戻す。
「陛下の自室の結界は破られる可能性があるので、私がもう一枚結界を張っておきますね。この部屋と私の自室にも」
「……いいのか? 魔法を使うとお前の力のことが公になりかねないぞ」
「人前で使わなければ大丈夫です。アトラス王家の反応が読めないのでしばらくは隠すと思いますが、必要とあらば公表しても良いと思っていますよ。呪いが解けた今、むざむざと国に帰ってやるつもりもないので。言ったでしょう、良いように使ってくださいと」
「だがな……」
「それに、陛下に死なれては私も困りますし。百年かかっても解析が終わらない結界を施しますので、安心して眠っていただいて構いませんよ」
アイリスが少しおどけた風に言うと、渋い顔をしていたローレンの表情に淡い笑みが浮かんだ。
「わかった。恩に着る」
「では、今日からこちらの部屋で休みましょうか。私はソファをいただければ十分なので、陛下はベッドでお休みください」
「は?」
「同じ部屋にいた方が、いざという時に守りやすいですから。私は一度自室に戻って、寝る支度をしてきますね」
「おい」
「では後ほど」
「…………」
(どうしても私の方が寝支度に時間がかかるわよね。陛下をお待たせするわけにはいかないわ!)
アイリスが足早に部屋を後にすると、一人残されたローレンは、くっくと喉を鳴らしながら笑い声を漏らしていた。
「まさか、妃に『守る』と言われるとはな」
もちろん、その呟きはアイリスの耳に届くことはなかった。
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