第3話 離婚交渉の行末
「話を戻そう。なぜ力を隠していた。責めるつもりはないから、正直に話せ」
ローレンにそう尋ねられたアイリスは、どこから話そうかと思案しながらゆっくりと口を開いた。自分の過去を誰かに話すのは、初めてのことだった。
「私は――戦争の火種になるから力を隠すようにと、物心ついた頃から先代の王である父に言われ続けてきました。なので、人前では魔法を使ったことが一度もありません。私の力を知る人は、亡き父と、私の魔法の師匠だけです」
ゆっくりと言葉を紡ぎながら話すアイリスに、ローレンは続きを急かすことなく、真摯な視線を向けている。
「私の出産に耐えられず母が命を落としたため、父は私を『妻を奪った子』として嫌っていました……。それに加えて、周囲からは出来損ないの『黒髪緋眼』と思われていたので、元々肩身が狭かったのですが……父が亡くなった後は……私の居場所は完全に無くなりました」
アイリスは少しの息苦しさを感じ、小さく息を吐いてから続けた。
「……王位を継いだ叔父は、『黒髪緋眼』から王位を奪われないように、私を虐げました」
思い出したくない記憶に、思わず目を伏せる。叔父の罵声、叔母にぶたれた頬の痛み、従兄弟たちに水をかけられ凍えた夜――。
暗い感情に支配されないよう、きゅっと手を握る。
「だから、父が亡くなってからも、力を隠し続けました。無能と認識されることで、どこかに嫁ぐくらいしか価値がないと思われるよう、仕向けるために。一刻も早く国から出て、自由になりたかった……」
ローレンはアイリスを見守るような、だが少し苦々しい表情で、『そうか』とだけ返した。
しばし、二人の間に沈黙が流れる。
先に沈黙を破ったのは、アイリスの方だった。
「私の思惑通り無事追放されたので、もういいんです」
アイリスは、重たい空気を少しでも和らげるように、おどけた口調でそう言った。
別にローレンに同情して欲しいわけではなかった。立場の危うい王族など、よくある話だろう。
「お前が力を隠していた理由はわかった。一つ疑問なのだが……」
腕を組み思案顔のローレンから、的確な質問が飛んでくる。
「お前が本物の『黒髪緋眼』なら、実力で捩じ伏せ国外に出ることもできたのではないのか? 少なくともこの国では、無詠唱魔法が使えるのは一部の上級魔法師くらいだ。それともアトラス王国では無詠唱が一般的なのか?」
「いえ、母国でも詠唱が基本です。私は師匠の影響で、詠唱を省くことが多いですが」
アイリスは一息ついてから、質問の続きに答える。
「ええと……アトラス王家に『黒髪緋眼』が生まれると、どういう扱いになるかご存知ですか?」
ローレンは頭を振り、言外に続きを促した。
「呪いをかけるんです。国を出ると、命を落とす呪いを。王になるか他国に嫁ぐ以外、消せない呪いです」
「初耳だな。それはお前の実力を持ってしても、解けないものなのか」
「呪いというのは、術者が死亡すると、解呪の難易度が格段に跳ね上がります。ですので……アトラス王国では慣例として、『黒髪緋眼』に呪いをかけた後、その術者を殺すのです」
その言葉を聞き、ローレンはあからさまな嫌悪の表情を示した。
「――愚かな」
厳しい批判を含ませた声音で、ローレンが短く吐き捨てた。
アイリスは眉根を寄せ、困ったように苦笑しながら続ける。
「……私もそう思います。解呪が終わるよりも先に自分の命が尽きると判断して、呪いを解いて国を出るという方針は早々に諦めました」
一通り説明し終え、アイリスはふぅと息を吐いた。自分の深い部分を曝け出した気がして、なんだか少し気恥ずかしいような、そわそわするような気持ちになる。
「事情は概ね承知した。お前が魔法を使えるということがアトラス王家に伝わると、面倒な事になりそうだ。俺からは誰にも他言しない」
『他言しない』という言葉に、アイリスは安堵の表情を浮かべた。もし秘密が露見した場合、アトラス王家がどういう動きを取るのか、予想ができなかったからだ。王位に固執する叔父たちがアイリスを連れ戻すとは思えないが、念の為すぐには公表しないほうがいいだろう。
ローレンはというと、この話はこれで終わりとでもいうように、ソファに肘をつき悠然と座っている。
その様子を見て、アイリスは目をパチクリさせた。
「……それだけ……ですか?」
「? 何がだ」
「『黒髪緋眼』の力をいいように利用してやろう、とか」
「お前の力に期待して妻にしたわけではない」
「騙されたことを理由に、アトラス王国に戦争をふっかけよう、とか」
「誰がそんな面倒なことするか」
その言葉を聞いた途端、アイリスの心は一気に明るくなった。一方のローレンは、呆れ顔でアイリスを見つめている。
(魔法が使えることは、陛下にとって重要なことではない……? これって……まだ離婚のチャンスは残されているのでは……!? 魔法以外は何もできない無能ですって、アピールしないと!)
そんなことを考えていると、ローレンの表情が冷たいものに変わった。
「が、離婚の件は別だ。流石に承服しかねる」
アイリスの心を読んだかのようなタイミングで、要求を拒否する言葉がぴしゃりと言い放たれた。思わず肩がびくっと跳ねる。
考えが表情に出てしまっていたのか、先にローレンに牽制されてしまった。しかしここで諦めまいと、アイリスはめげずに食い下がる。
「で、ですが陛下。私は父が亡くなるまでの十年間しかまともに教育を受けていないので、最低限の礼節と教養しか身についていません。やはり、この国の妃として相応しくないかと……」
「社交の場に出られる最低限のことが身についていれば十分だ。もし必要な教育があれば、これから受ければいい」
「ぐっ……。そ、それに! 私、無愛想でつまらない女ですから!! 私では陛下に釣り合いません!」
「お前のそれは無愛想ではなく、感情を隠していただけだろう。それに、先程からなかなかに表情がコロコロ変わっているぞ。――せっかく母国を出られたお前を自由の身にさせてやれないのは心苦しいが、すぐに離婚というのは無理だ」
それらしい言い分を並べ立てるも
交渉が完全に失敗したことを悟り、悔しさに思わず唇を噛み締めた。
「――三年だ」
ぽつりと出たローレンの言葉に、なんのことだろう、と思わず顔を上げる。
「三年待て。三年以内に必ず実権を取り戻す。その後は国を出るなり好きにしろ。…………それまで許せ」
予想外の言葉に、アイリスは大きく目を見開いた。
まるで、アイリスのために実権を取り戻すと言っているようにも聞こえる言葉。アイリスの願いを最大限尊重するかのような返答に驚く。そして、彼が謝罪の言葉を口にするのも意外だった。
(三年待てば、自由の身が手に入る――。結婚して早々に離婚を切り出した相手に対しては、優しすぎる条件よね……。それに、ここまで言われたらね……)
アイリスは観念したように、はぁー、と大きく息を吐き、そしてローレンの美しい瞳を見据えた。
「わかりました。十六年間、我慢して耐えてきた身です。今さら三年増えようが、どうってことありません。むしろ譲歩してくださり、感謝しかありません」
ローレンに向けられたアイリスの瞳は、燃え盛る炎のように煌々と輝いていた。
「しかし、私は三年間ただ大人しく待つつもりはありません。陛下陣営に貢献できることがあれば協力を惜しみませんし、陛下も私の力を良いように使ってください。――共に国取りをしましょう!」
勢いよくそう告げたアイリスに、ローレンは双眸を大きく見開いた後、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「それは頼もしいな。よろしく頼む」
「はい!!」
こうして、待ちに待った離婚交渉は幕を閉じたのだった。
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