第15話 その2


 いよいよ、最後の料理の登場である。

 高杯に注がれた牛の乳から、甘い香りが漂う。

「羊の骨と臓物を、塩のみで煮た品でございます。牛の乳に合う乾煎りした黍と大麦の粉も用意しております」

「うむ、待ちかねたぞ」

 天乙も家臣たちも、手を叩いて、やんやの喝采である。

「羊の肉を食らうのであれば、骨に付いた身をせせってこそだ」

「どうぞ、骨を叩き割る際にはお申しつけ下さい」

「はは、それには及ばぬ」

 悪戯小僧の顔付きで天乙は笑うと、腰にぶら下げている短刀を軽く叩いてみせた。

「われら以上に、羊の肉に精通した者はおらぬのだぞ?」

 摯も笑みを返すと、頭を下げて引き下がった。

 天乙たちは、我先にと羊の骨にむしゃぶりついた。

「おお、これは良い塩加減だ」

 骨を巡って先頭にいる天乙は、まるで餓鬼大将のようである。

「先程の羊の肉も旨かったが、こちらの骨と肉を味わうと、やはり塩が薄かったと思う」

「はい」

「しかし、ようわれら好みの塩加減を知っておったな」

「いやそもそも、骨肉と臓物を饗しようと、よくぞ思い至ってくれたものよ」

 感心しきりの家臣たちに、それは、と摯は答える。

「商氏からの旅人を歓待した方々から話しを聞いたのです。有莘氏の羊料理は旨いが、少しばかり塩が薄すぎる、と残念がっておられたと」

「ははは、そうかそうか、少しばかりか」

「はい、おまけに、せっかくの旨い所を、むざむざ捨てており惜しい事この上なし、と」

「言えておる、わらしはようも気にかけてくれたな」

 摯との話しはそこまでとなった。

 迂闊に喋っていては、横から、ひょい、と肉を盗られてしまうからである。

「商氏で暮らしていた頃は、骨の中の髄まで味わっておったな」

 子供の腕ほどもある太い骨を天乙は叩き割り、とろりと零れ出た髄を素早く匕で掬い取ってすすっていく。

 臓物も、蜂の巣のような形の部位から血の塊のような部位まで、余す所なく食らい尽くす。

「うむ、髄も旨い。臓物も、新鮮さが伝わってくる」

 実際、商氏ほど羊料理に精通しており、そして一片の骨、一滴の血も無駄にせず料理に用る民はいないのだから、これは最高位の賞賛であった。

「公子、この大麦の粉の焦がし具合も良いですぞ」

「黍もです、黍といえば粥ばかりで飽き飽きしておりましたからな」

「はは、そう急かすでないぞ」

 黍は砕いてから乳に浮かべ、麦の焦がし粉は練るように溶かしながら飲む。

 どちらも、商氏では民草にまで広まっている食事風景であり、言わば、商氏の根幹を成す郷土料理であった。

「……」

 喜んで食べていた天乙が、急に押し黙ったかと思うと、手を止めた。

「公子?」

 心配する家臣たちに、大事ない、と天乙は手を上げる。

「何でもないのだ、ただ……」

「ただ、如何されましたか? お気に召さぬ事でも?」

「いや、母上の味を思いだしてしまった、それだけの事よ」

「……公子」

「懐かしいな、母上の味が」

 家臣たちの間からすすり泣きがしとしとと漏れ出した。

「お労しや」

 商氏の料理を食べて、懐かしい、と思ってしまう。

 それ程長きにわたり、国元を離れてしまっているのだと気付かされてしまったのだ。

 天乙の懐かしい、とは、帰りたい、と同義語だったのである。

 急に、湿った空気になってしまったその場に、ふわり、と甘く柔らかな優しい香りが、包みこむようにただよった。

「何だ、この香りは?」

「最後の料理にございます。こちらの酒には、菊の花弁を浮かべて下さい」

 摯が用意しやのは、鍋の中にあった白いような黄色いような品であった。

 ふんふん、とまるで子犬のように天乙は鼻を鳴らす。

「甘い匂いがするな」

「この甘い香りは、卵にございます」

「たまご」

 ぽかん、と口をあけて、天乙は料理を受けとった。

「こちらは、牛の乳と鶏の卵と擂り潰した木の実、そして酒を合わせ、器ごと湯に浸して温め、固めてでございます」

「有莘氏では卵を常食するのか?」

「そうではございませんが」

 家臣の当然の疑問に、摯は苦笑した。

「ただ、服忌していた間、わたしを心配して様子を見にきて下さった方々から、様々な話しを聞いて過ごしておりました。その中で、体だけでなく、心までもが弱っていた子に卵を食べさせてみたところ、徐々にですが元気を取り戻したと、とあるおうなから聞いたのです」

「体だけでなく心までも」

「牛の乳も、卵も、そして木の実も、元はそれぞれがそれぞれの子孫を残し育む為のものにございます。即ち、母の慈悲と慈愛そのものと言えましょう」

「母の慈悲と慈愛そのもの、か」

 鶏は、民草にとって蛋白源であると同時に、物物交換をする際にも主流になる程であるから、大変に貴重な物であるし、今のように、日に一つ必ず卵を産む雌鶏など存在しえない時代であるから、その鶏を増やす為の卵は更に貴重であった。

 そんな卵を、子の為に求め、料理して食べさせてやろうなどとは、親の愛情なくして出来ぬだろう。

 子の方も、心配している親の鬼気迫る本気度が伝わる。

 病は気からではないが、親にこんなに愛されているのだから死んでも元気になってやる、と意気込むに決まっている。

「どうか、お召し上がり下さい」

「……頂くとしよう」

 天乙は、ほほ笑んだ。


 最後の卵料理を食べ終えた天乙は、菊の花を散らして浮かべた耳杯を掲げ持った。

「莘公に、すっかり馳走になりました」

「ご満足して頂けましたかな」

「勿論です」

 天乙の満面の笑み、それが答えであろう。

「本日の饗応料理は感じ入るばかりでした、まことに素晴らしい」

 手放しで持ち上げられて、悪い気がする者はこの世にいない。

 居住まいを正して感謝を述べる天乙に、莘公は顔を赤らめた。

「特に最初に頂戴した羊の肉、あれは大層、旨いものでした」

 これまで、どちらがより評価されるかと緊張した面もちであった易堅一派であったが、天乙の言葉を聞き、勝った、という空気を生じさせた。

 嬉々とした、それでいて、どうだ、という傲慢な態度を隠そうともしない。

「商氏に帰らずにあれほどの肉にありつけるとは、思いもよらぬことでした」

「気に入って下さり、何よりです」

「突然の客を祖国の料理で饗すとは。そしてそれが可能であるとは。莘公に力がなくては為しえませぬ。感服するばかりです」

「いや、ははは、それ程の事では」

「饗応とは如何にすべきであるのか。普段から、どう厨房を躾ておくべきなのか。饗応とは如何なる姿であるべきか。莘公の如くあらねばならぬ、と心に刻みます」

 一方、摯を中心にして控えている方丹たちは手放しで易堅たちを褒める天乙に、野獣のように唸りながら歯噛みする。

 ぬしは一体何を味わっておった、と叱りつけたいし、ぬしの舌はなまくらか、と頭ごなしに怒声をぶつけてやりたい。

 ――どう考えてみても、わしらの料理の方に心を揺さぶられておられたのに。

 自負が芽生えていたところであったから余計に心身にこたえ、潰れそうである。

「それから、驚かされされましたのは」

「まだ、何か?」

「鯉のなますです。われら商氏は、魚の生臭みをどうも苦手としておりましたが、どうやらそれは、われらの目が曇っておっただけのようです」

「は?」

「学ばされました」

 戸惑う莘公を前に、一度、言葉を区切った天乙は、摯を微かに見た。

「どんなに煩わしい癖も嫌味な所も、掛け合わせ様で上手く活かしてやれるのだと」

 天乙のことばを、じ、と摯は聴き入っていた。

「活かしてやりさえすれば、それはただただ、長所となり、唯一無比となる」

 ――まるで、わたしに向けて、語りかけて下さっているようだ。

 言えば、気の迷いと失笑されるか、自惚れが過ぎると叱責されるかのどちらかだろう。

 それでも摯は、胸元を押さえて聞き入らずにはいられなかった。

「此度の事、たかが料理とは言えますまい。事は全てに通じませぬか?」

「その、心は?」

「即ち、われらが治めるべき氏に対してもです。実に、示唆に富んでおります」

「ほっほほ、言われてみれば、確かに」

 つまり、どんな人物にも輝ける場所というものはある、活かしてやるのが、われら為政者の務めである、と天乙は言いたかったのである。

 ただ、あまりに大っぴらに言おうもなら、どこでどのように捻じ曲げられて伝わるかしれないので、言い濁す必要がある。

 そこは莘公も心得ていた。

「深い学びを得られた、楽しい時間でした」

 天乙は、真摯な態度で礼を尽くした。

 莘公も上機嫌である。

 家臣が褒められるということは、その家臣を従えている主人の手柄ということであるから、間接的に莘公を手放しでべた褒めしているわけで、実に二年以上ぶりに、莘公がかつての栄光を取り戻した瞬間であった。

「莘公の厨師は食材に留まらず、世の理まで料理されておられる。素晴らしい。商氏にも、斯様な厨師が欲しいものです」

「やったぞ、わしらの勝ちだ!」

 天乙からの最大の賛辞に、方丹たちは場もわきまえず、大声で叫んで立ちあがった。

 がっばと摯に抱きつくと、ゆさゆさと激しく揺さぶりながら揉みくちゃにし、場も憚らず男泣きに泣いたのだった。


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